厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 和菓子

先日、里山の食文化(郷土食の加工)を学ぶために長野と新潟の県境の山間地へ行ってきました。

(若い移住者の方々に誘っていただいたのです)


雪がちらちら降る中、

栃の実の加工方法を里山のお年寄りたちに教えてもらったのですが、

生活の中で培った知恵とパワーに驚くばかりでした。


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新聞を読んでいたら流行語大賞の記事。


(毎日新聞)

野球に疎い私には、馴染みのない言葉でした。


また、

日経MJを読んでいたら《ピコ太郎、SNSからブレーク》との記事。


ピコ太郎の「PPAP」という言葉も流行したそうで、流行語大賞のベストテンに選出されました。

(これまた私には馴染みのない言葉でしたが)


ちなみに、そのほかに《トップ10には「聖地巡礼」「トランプ現象」「ゲス不倫」「保育園落ちた日本死ね」「(僕の)アモーレ」「ポケモンGO」「マイナス金利」「盛り土」が選出された》そうです。


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ピコ太郎なんて知らなかったなあ。

天下のご意見番として知られている大久保ピコ左衛門(大久保彦左衛門)ならよく知っていたのですが。


ピコ太郎は大久保ピコ左衛門一門ですか?


さて、

東映の大久保彦左衛門といえば、月形龍之介です。


大久保彦左衛門(月形龍之介)は徳川家光(北大路欣也)に諫言したご意見番として知られていますが、どの時代でもお年寄りの知恵は大切ですね。


ちなみに月形龍之介は、水戸黄門も演じています。

「水戸黄門」でも、ご老公(月形龍之介)は徳川綱吉(片岡千恵蔵)に諫言します。

さらに、

この映画では、黄門は杖をつきながら歩く老体にもかかわらず、


敵に襲われるや助さん格さんに瞬時に指示を出し・・・、


さらに、杖で若造を叩きのめすのでした。


知恵だけでなく、パワーでも、幕府をささえたのですね。


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話は戻りますが、

知恵とパワーさえあれば里山は、本当は豊かな場所だと思います。


(栃の実の加工の様子)


作業のあと、餅にして食べましたが、そのうまいのなんの!

このような食文化が継承されてゆくことに、あらためて関わっていきたいと思いました。 


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それはそうと、

知恵とパワーを兼ね揃えた「月形龍之介」は、幕府の中枢のような歴史の中心地だけの存在ではありませんよ。

山奥や里のような周辺には、中心よりずーっとたくさんの「月形龍之介」がいる!ということを知った一日です。

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東映には、かつて二人の「御大」がいました。
それは、片岡千恵蔵と市川右太衛門。
両御大は、ゼロから始まった東映を支えた二大スターです。

当時の東映社員いわく《「御大ゆうんは、インドの王様みたいなもんや。大学を出て撮影所にきたときは、戦前どころか江戸時代にきたと思ったわ」》
(「あかんやつら」春日太一より)
あまりの権威のため、御大を名前で呼ぶことすらゆるされない環境だったのだそうです。
当時、プロデューサーだった玉木は、《試写のときは眠っていることが多かった。それでも、上映が終わるとすぐに目を覚まし、大拍手をしながら、「いやあ、御大。今回も素晴らしい」と絶賛するのだ。》
(同上より)

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ところで、
5月5日の端午の節句をめがけて葉っぱ屋に繁忙期がやってきます。
端午の節句の和菓子といえば、笹の葉を使う京ちまきと、柏の葉を使う柏餅。

今年のお節句も、京ちまきと柏餅、いわば「葉っぱ」を使う和菓子界の二大御大が出回りました。

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今年のお節句は、私の息子にとって初節句でした。
そんなわけで、わが家には京ちまきと柏餅が並びました。
初節句なので、両雄並び立つ姿を見たいと思ったのです。

和菓子界の二大「御大」。
普通はどちらか一種類あれば、それで十分なのですが、わが家では両御大の共演が実現しました。

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それはそうと、
東映の両御大の話に戻しましょう。
市川歌右衛門は、「北大路の御大」と呼ばれていました。
それは《北大路に豪邸を構えていた》ためです。
一方、片岡千恵蔵は「山の御大」と呼ばれていました。
《垂水山のてっぺんに大邸宅があった》ためです。
(「シネマの極道」日下部五郎より)

ちなみに、北大路欣也は市川歌右衛門の息子です。
そんなわけで「御曹司」と呼ばれていました。
北大路欣也の芸名は、歌右衛門の住んでいた「北大路」が由来なのだと思われます。

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「天下のご意見番」(1962年・東映・松田定次監督)という映画を見ました。
江戸時代初頭、大久保彦左衛門という徳川家に仕えた「天下のご意見番」と呼ばれた家臣がいました。
大久保彦左衛門を演じるのは、月形龍之介。
この大久保彦左衛門の助言が、将軍徳川家光(北大路欣也が演じます)を救うということを主題にした映画です。
徳川家光役の北大路欣也

そこに、
ちょい役で、北大路欣也のサポート役として、市川歌右衛門と片岡千恵蔵両御大がそれぞれ数分ずつ出演するのです。
(二人とも端役で出演するというのは珍しいことだと思います)

左上が市川右太衛門、右上が片岡千恵蔵、主演の月形龍之介は中段左。
主演より、扱いの大きい両御大に目がいきますね。

ちょい役ではありますが両御大は見せ場を作り、月形龍之介と北大路欣也をサポートしていましたよ。
市川右太衛門

片岡千恵蔵

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こちらはわが家の御曹司(息子)。
うちの御曹司も、北大路欣也のように両御大(京ちまきと柏餅)のサポートを受けて、無事にお節句を終えましたよ。

ちなみに、私の実家に五月人形のひな壇があるのですが、
そこでも、両御大の共演がありました。
(左:柏餅、右:京ちまき)

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(おまけ)
「天下のご意見番」の見所について。

この映画の見所はオープニングのクレジットロールの「出演者」の並び順です。
「配役」の順番によって役者の格が示されるので、どちらの御大の名前をトメ(最後)にするかが問題になります。
(主演は先頭、格の高い役者がトメになるのが通例です)

主演は、月形龍之介(大久保彦左衛門役)。
トメが、どちらの御大になるかが問題ですね。

苦肉の策なのでしょう。
なんと「出演者」の先頭に、
ちょい役にもかかわらず千恵蔵御大の名前が真っ先に登場。
2番手に月形龍之介の名前。
となると、
トメは歌右衛門御大でピシャリ。

これで、万事うまくいきますね。
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長野では、2月15日(お釈迦様が亡くなった日)から3月15日(旧暦のその日)ごろまで、
「やしょうま」というものを食べる風習があります。
米の粉を練って棒状にしたものを「やしょうま」と呼び、この時期に長野の餅菓子屋さんへ行くと買うことができます。

私は、菓子の材料を卸すという仕事をしています。

配達のついでに「やしょうま」を菓子屋さんで買い、数年ぶりに食べました。
職人さんの作ったものは、おいしいですね。
(材料も良いのでしょう、ふふふ)

私が子どものころは、この時期になると祖母が作ってくれたり近所のおばあさんが持ってきてくれたりしたものです。
それをスライスして石油ストーブで炙って食べた記憶があります。

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ところで、
和菓子屋さんに配達しているとつくづく思うのですが、
お菓子の名前はバラエティに富んでいるなあ、と思うのです。
きっと悩んで名付けるのでしょう。

そのとき・・・、
《お菓子の名前の法則》を見つけてしまった私!
ふふふふ。

《お菓子の名前の法則》とは、どんなものか、説明しましょう。

1:形状、
2:材料、
3:加工法(お菓子の種類)、
この3点がお菓子を命名する際の基本要素です。

例えば、
「どら焼き」だと、「銅鑼の形」+「焼きもの」→(1)+(3)
つまり、どら焼きは、(1)形状と(3)加工法で命名された和菓子になります。

また、
「草餅」だと、「餅草(よもぎ)」+「餅菓子」→(2)+(3)
つまり、草餅は、(1)材料と(3)加工法(種類)で命名された和菓子です。

それから、
「きんつば」なんかは、「刀の鍔の形」→(1)そのものです。

どうですか。

しかし、この基本3要素だけでは、その店だけのオリジナリティを出すことができません。
オリジナリティをだすために、
4:地域性、
5:季節性、
この2点が応用要素になります。

例えば、
仮に「善光寺みそ饅頭」という菓子があったとすると、「善光寺(売られている場所)」+「みそ」+「饅頭もの」→(4)+(2)+(3)
つまり、「善光寺みそ饅頭」の名前は(4)地域性と(1)材料と(3)加工法で命名されたということになります。

また、
お茶席の菓子になると、半ば強引に、抽象的なイメージで命名されることがあります。 

例えば、「抹茶入り羊羹」で考えてみます。
「抹茶入り羊羹」が春の場合「若草」と呼ばれ、
夏めいてくると「新緑」、それから「夏野」というように命名し直すなんていうことがあります。
つまりこの場合は、「抹茶の緑色」+「そのときの季節」→(1)+(5)
(1)形状+(5)季節性で、名付けられたお菓子ということになります。

だいたいこの5要素で全ての和菓子の名前を網羅できる!と、万能な《法則》を見つけたと、私は悦に入っていました。
「どんな菓子でもかかってきなさい!私が法則によって解説してみせよう!」
(ま、法則だなんて、我ながら、くだらないことを考えているものですね・・・・・・)

そんなとき、
悦に入っていた私に冷水を浴びせる菓子と出会ってしまったのでした。

それが、「やしょうま」なのでした。

地方紙の記事によると・・・、
《月遅れの3月15日、お釈迦様の入寂の日には、米の粉でやしょうまを作って仏壇に供える。名前の由来は、入寂のときに食べて、傍らの弟子やしょに「やしょ、うまかったぞ」と言ったためだとか・・・》
えっ!?ばかな!
お釈迦様がヤショという弟子に向かって「やしょ、うまかったぞ」で、「やしょうま」?
ばかなー!

そのとき、お釈迦様の声が暗闇から聞こえてきたのです。
「Kばやしよ、おごるでないぞ!」

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そういえば・・・、
私が知っているだけでも《自画自賛系》の名前のお菓子、言われてみると、けっこうありました。

梅ぇなあ

これはうまい

こりゃいける

ばかうけ

私の《万能法則》、破れたり。

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「やしょうま」についての地方紙の記事には、続きがありました。
《別の説では(やしょうまを)片手で握った形が馬の背中に似ているため「やせうま」と言ったとか。郷土料理や伝統行事を子どもに伝承するいい機会にもなるので、親子で手作りしてみては。》

痩せ馬→やせうま→やしょうま
お釈迦様の「やしょ、うまかったぞ」は、さすがにムリがあるので、「やせうま」由来説の方が有力でしょうね。

佐渡には「やせうま」という菓子を涅槃会に供える風習があるそうですし、大分にも「やせうま」という菓子があるようです。

でも、調べてみると、
大分の「やせうま」も、「痩せ馬」から由来したという説はもちろんあるのですが、その他に、
鶴清麿という高貴な身分の幼君に八瀬という乳母がいて、その八瀬に向かって、《幼君は「八瀬、うま(いもの)」とせがみ、いつしか「やせうま」と呼ばれる大分の郷土食となった》という説もあるんだとか。
「八瀬、うま(いもの)」・・・。
こんなのあり!?

いずれにしてもお釈迦様のおかげで、
例外のない規則はない、という言葉を肝に銘じた涅槃会になりました。




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神棚に鏡餅を設置しました。
信仰心よりも楽しみとして、わが家に小さな神棚を設置したのですよ。
(写真左:長野市の和菓子屋「朝日堂」製の鏡餅/わが家の神棚)

鏡餅は、氏神様(近所の神様)をお招きするために飾るのだそうです。
つまり、氏神様に召し上がってもらうために奉るようです。

近所にあるガランとした神社にいる神様、なんだか応援したいです。

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子どもが生まれて、1ヶ月経ちました。

子供が生まれて1年(満1歳)のときに、「丸くした一升分の餅」(一升餅)を背負わせる風習があります。
(ちなみに私は、数年前にこの風習の存在を知りました)
「一升」と「一生」をかけて、死ぬまで食べ物に不自由しない願いを込めた習わしだとか、「一生、丸く暮らせる」という願いを込めた習わしと聞いています。

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餅について調べていると、
《産育文化では食物が重要な位置を占めるが、なかでも餅の使用は群を抜いている。妊娠五ヶ月の戌の日に腹帯をしめる。その際に力餅を食べると力が付く、乳が出ると伝える。/滋賀県ではハラミモチ(孕み餅)、京都府・奈良県ではハラミマイ(腹見舞い)と呼んでいた。三重県長島町(桑名市)では、妊娠五ヶ月目の帯祝いに紅白の餅が届いたが、これをハライタ(腹痛)餅と呼んだ。》
(「いとをかし」に民俗学者の板橋春夫さんの書いた記事より)

《愛知県では、餅の中に3,4粒の小豆を入れることになっており、餅を切ったときに小豆がうまく切れていると女児、切れていないと男児が生まれると占った。》
(同上)

面白いものですね。

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1月2日のこと。
先述の朝日堂の山本さんと、大学の後輩である宮坂くんが、氏神様と一緒にわが家にやってきました。

で、愉快にお酒を飲みました。
話のできる友人とはそうそう会えませんから興に乗り、ぐびぐびぐびぐび。

飲んだお酒は、ビールで始まり、日本酒、ワイン、ブランデー、ウイスキーと順番に渡り歩きました。
酒の渡り鳥。(写真は小林旭)

最後は、山本さんの持ってきてくださった上生菓子と花びら餅をいただきながら、ブランデーをロックで飲みました。

「チョコレートやドライフルーツ以上に和菓子と蒸留酒の相性は、バッチリですね!」 と私。
(和菓子と蒸留酒の組み合わせは、オススメです。)

ブランデーの瓶が空になったので、ウイスキーに変更。
そのときには、私は酩酊し、記憶が消し飛んでいたのでした。

その夜、どのようにお開きになったのか覚えておりません。

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翌朝のこと。
ぼんやりした頭で神棚を拝んでみたものの、すべてを見ていた氏神様は何も言ってくれないのです・・・。

1ヶ月の息子にいたっては視線も合わせてくれませんでした。

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《思い返せば、恥ずかしきことの数々、今はただ反省の日々を過ごしております。》
(「男はつらいよ」の寅さんからの年賀状より引用)

そんなわけで、
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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数週間前のこと。

めずらしく風邪気味だったので、葛根湯を飲んでいました。
抗生物質よりも漢方薬で治したい主義なのです。

そのおかげで、まあ、なんとか良くなりました。

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浅草の梅園の「くず餅」をいただきました。

白いくず餅にたっぷりと香ばしいきな粉をのせて、惜しげもなく黒みつを垂らしました。 
いいじゃないですか、おいしいじゃないですか。
しかも、
なんとなく体の調子も良くなった気がするじゃないですか。

というのも、
葛根湯は、葛(くず)の根っこからできているのですね。
で、私が食べたのは、くず餅。
なわけで、体の調子が良くなった気がしたのです。

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くず餅の箱の中に注意書きが・・・、
関東風の「くず餅」は、葛の根を使わず、小麦粉のデンプンを発酵させて餅状にしたものなのですね。

・・・・・・。
関東の菓子屋が、「くず餅」を「葛餅」と漢字で表記せず、「くず餅」とひらがなで表記するのは、罪悪感からでしょうか。
はたまた、食品表示法の、法の網の目をくぐるための悪知恵でしょうか。
(前者であることを祈ります)

ま、
病は気からですよ。

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一方、
関西風は、葛の根っこから葛粉を作り(吉野葛なんかが有名)、それを原料にして餅状にしたものを「葛餅」と呼びます。

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それはそうと、
関東風でない「葛餅」の原料である葛粉も、精製する過程で、薬効なんて洗い流されているはずですから、西も東も薬効の点では変わりないでしょう。

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余談になりますが、
私は、罪の意識を感じながら「くず餅」と名乗っている姿勢が、人間らしくて好きですね。
(キリスト教徒の原罪めいていて)

東「あのー・・・、わたくし、申し訳ありませんが『くず餅』と名乗らせていただいております」
西「あほんだら!わしが『葛餅』や!なにデタラメぬかしとんねん!」

おいしさと私の体調回復に免じて許してやってもらえないでしょうか。
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