厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 和菓子

8月7日は旧暦の七夕です。

仙台の七夕祭りは有名ですが、月遅れで七夕をする地域がありますね。

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長野のひなびた歓楽街も8月7日に七夕飾りをします。


8月7日は、立秋でもあります。

とはいえまだまだ暑く、死にそうです。


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この週末、あんみつを続けて食べました。

こう暑いと、冷たくてさっぱりしたものしか喉をとおりません。

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あんみつ(その1)

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あんみつ(その2)


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「あんみつ」について、「事典 和菓子の世界」で調べてみました。

関東大震災の後あたりに、銀座の若松が「あんみつ」を初めて売り出したそうです。

それまでは「あんみつ」ではなく、「みつ豆」(あんこの乗っていない「あんみつ」)が甘味処で提供されていました。

もともとのみつ豆は、《ゆでた赤えんどうと新粉餅に蜜をかけた》ものだったそうです。

江戸時代には屋台で売られていたものでしたが、大正時代になると喫茶室で「みつ豆」を食べるということがオシャレになりました。


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永六輔さんは旧暦を支持していました。

8月7日は旧暦の七夕。

それで思い出しましたが、新暦の七夕(7月7日)は、永さんの命日でもあります。

早いもので、亡くなってもう2年と1ヵ月になります。

毎日新聞の坪内稔典のコラムに永さんの俳句が紹介されていました。


《蜜豆が喰べたいといってご臨終  永六輔》




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「もののけ姫」に、乙事主(おつことぬし)というイノシシの化物が登場します。


乙事主は、高齢のイノシシであり、「海を渡ってきた」というセリフもあります。

ちなみに、声の主は森繁久彌。


森繁は「もののけ姫」に出演当時すでにかなりの高齢でした。

また、戦時中は満州でアナウンサーをしていましたが戦後「海を渡り」帰国した過去があります。

そんなわけで、森繁とイノシシの神様の経歴は重なるんですよね。


さらに、


乙事主がイノシシの大群を率いているように、森繁も「森繁劇団」を主宰していました。 


「森繁劇団」の舞台には、三木のり平や山茶花究なども出演しています。


昨今イノシシが里に下りてきて田畑を荒らしていることが問題になっていますが、

そんなニュースを見聞きするたびに暴れ回る「乙事主率いるイノシシの大群」のことを思い出し、ひいてはアドリブ乱発の「森繁劇団」のことまで思い出してしまうのです。


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11月の亥の日のこと。

百貨店で亥の子餅を買ってきました。


源氏物語に登場する菓子として、《旧暦十月亥の日に食べる亥の子餅があります》。


(写真右:亥の子餅/「和菓子を愛した人たち」より)


イノシシには、火を制するという信仰があり、その昔は火災を逃れるために亥の日にいろりやこたつを出したのだとか。

茶の湯でも、この日を炉開きの日にしており、お茶菓子として「亥の子餅」を用いるそうです。


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わが家には、薪ストーブがあります。

縁起を担ぎ、亥の日に薪ストーブに火を入れました。


風呂に入っているときのように、身体の芯が暖まりますよ。


百貨店で買ってきた亥の子餅(2種類)を開けて、いただきました。




形は、うり坊のようでカワイイです。

ただ、店によって製造法がまったく違うようです。


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「もののけ姫」で、美輪明宏がモロというオオカミの化物の声で出演しています。


(乙事主とモロ)

美輪は、宮崎駿に「乙事主とモロは、その昔いい仲だったと思って演じて下さい」と言われたのだとか。


森繁は女性へのスキンシップが過剰であることで知られていますが、

後年、呆けたふりをしてことあるごとに女性の手や膝を擦っては「あなた、その昔、私とイイコトをしましたかな」なんて言っていたそうです。


私は薪ストーブの前で亥の子餅を口にし、

モロの手をにぎにぎしながら「あなた、その昔、私とイイコトをしましたかな」などと言っている乙事主の姿を想像していたのです。

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携帯電話のデータ容量がいっぱいになってしまいました。

不必要な写真や動画を削除しなければなりません。


私は、家で映画を見たり新聞を読んだりしているときに、気になったシーンや記事があるとメモ代わりに写真を撮る習慣があります。

そんなわけでつい容量がオーバーしてしまうんですよ。


そこで、

不要な写真を削除するために、かつて撮った写真を見返すことにしたのです。


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携帯の中に入っていた不要な写真をピックアップしてみます。


(1)


1994年(20年以上前)に公開された「四十七人の刺客」という映画に出演していたときの浅丘ルリ子。

時代劇ですが、化粧はバッチリ!


(2)


2年か3年前に、小林旭と浅丘ルリ子が共演した舞台の新聞広告。


「あふれる大歓声!なりやまない拍手!」

誇大広告と思われる方もいるでしょうが、私は「そのとおり!」と言いたいと思います。 


アキラのカタギとは思えぬ堂々たる貫禄。

そして、

白黒でも分かる変わらぬ浅丘ルリ子のメイク。


(3)

で、数ヶ月前の写真。


テレビドラマの宣伝のために浅丘ルリ子がクイズ番組に!

しかも、加賀まりことともに石坂浩二を挟むという奇跡。


(4)

直近の写真。


それにしても、浅丘ルリ子のメイクは変わりませんなあ。



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富山の高岡へ行きました。

高岡は、加賀の前田家の影響下にあり、国宝である瑞龍寺という前田家由来の寺があることで知られています。

前田家のもと栄えた金沢は和菓子の町という印象がありますが、やはり、高岡も老舗のお菓子屋が多いようです。


で、

その瑞龍寺(国宝)へ行きました。


昔から変わらぬ姿で、私たちを迎えてくれました。


明治の廃仏毀釈で、由緒ある瑞龍寺も一部、破壊(移築)させられたところがあったようですが、いまは元に戻されているそうです。

それはそうと、いまはかつてと変わらぬ姿に戻り、参拝できるというのはありがたい時代ですね。


お寺で働いていた中年女性(マダム)と話をしました。

それによると、

瑞龍寺の檀家は、18世帯しかないそうです。

武家に信奉されていたお寺であったため、いまだに下々のものへ檀家が広がらなっていないこともあり、檀家の数は少ないのだとか。

檀家総代は、高岡の老舗和菓子屋の不破福寿堂さんなのだそうです。


そんなわけで、

瑞龍寺の売店には、不破福寿堂の銘菓が売られていました。

和菓子の良さは、その土地の、歴史の中でできあがった変わらぬ味なのだと思います。 



貝を開けると、


かためのゼリー


高岡の瑞龍寺と和菓子によって、変わらぬことは魅力だということを体感できました。


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ところで、

毎日の最大の楽しみのひとつは、「やすらぎの郷」というドラマを見ることです。

「やすらぎの郷」は、私にとって唯一見るテレビ番組です。


そのドラマに浅丘ルリ子は、「かつてのスター女優」の役として出演しています。

私にとって、浅丘ルリ子は、いまなおキラキラ輝くスターのままです。


ちなみに、このドラマの主演は石坂浩二です。

石坂浩二は、人気俳優でしたが、いまや私にとっては「拡大鏡の人」となっていました。 


余談ですね。


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で、携帯の容量オーバーの話に戻りますが・・・・・・、


浅丘ルリ子関連の不要な写真は、空き容量を増やすために削除すべきだと思っていました。

しかし、

改めていっぺんに見返すと、図らずも私は、ルリ子の変わらぬメイクの魅力を楽しんでいたのでした。


ルリ子のメイクは、言ってみれば、瑞龍寺の和菓子のようなものかもしれません。

変わらぬ魅力。

写真の削除は、廃仏毀釈めいた愚行なような気がしてきました。

削除は慎むべきか否か。


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とはいえ、

こんな小理屈は、携帯電話の空き容量確保の必要性には変えられるわけもありません。 


最後は問答無用で削除をすることにしたのでした。

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(続き)

仕事で、新潟へ行きました。
新潟で泊まり、翌日は長岡へ移動するという日程でした。

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ところで、
新潟が舞台の映画といえば、「越後つついし親不知」や「はなれ瞽女おりん」という
水上勉が原作の作品を思い浮かべます。

雪原を歩く瞽女(ごぜ)の一座
※瞽女は、盲目の女性放浪芸人

雪原を一列に進む瞽女たち

水上勉にすり込まれた私の新潟県のイメージは、

豪雪、
出稼ぎ、
あかぎれ、
間男、
強姦、
岸壁、
無理心中、
荒海、
盲目の旅芸人、
売春、
殺人・・・、

いやあスゴイところですね。
新潟は私好みのステキな県かもしれないと思ったのです。
やはり私は、
ディズニーランドより水上勉ランド(新潟)に行きたいタイプなのです。

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話は変わりますが、
新潟の和菓子屋さんを何軒か巡ってみました。

まずは、新潟市。
米どころだけに和菓子屋というよりも、団子屋や餅屋、米菓(せんべい)屋が多いという印象でした。
桜餅も小麦粉の焼き皮タイプでなく、もち米の道明寺タイプがメインに売られていたのには驚きました。
(一般的に、焼き皮は関東風、道明寺は関西風と言われています)
やはりこれも米どころゆえ、ということでしょうか。

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移動中に、笹団子を食べました。
(やはり米の粉でできています)
なんと、中身はあんこではなく、きんぴらごぼう。
よもぎのたっぷり入った米の生地に、しょっぱい具材。
意外に合うものですね。おいしくいただきました。

新潟の人が言うには、
「昔は砂糖は高価だったんで、本来の笹団子の姿は、中身は粒あんじゃなくおそらく惣菜だったんだと思いますよ」とのこと。
なるほど。

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続いて、長岡へ。
ここでも和菓子屋さんに入りました。
有名な「越乃雪本舗」へ寄りました。

長岡は新潟と違い、城下町ということもあるのでしょうか、団子よりも上生菓子(お茶菓子)を売っているお店が多いという印象を受けました。
文化の差ですね。

日本三大銘菓といわれる「越乃雪」。
箱を開けると、

お菓子の箱の中に入っていた栞によると、
《高杉晋作は亡くなる十日ほど前、今年の雪見はもうできないからと見舞いにもらった『越乃雪』を傍らに置いてあった松の盆栽にふりかけて雪見の名残をされたといわれています》とのこと。
キザですね。

越乃雪は、上品な淡い雪のようなお菓子でした。
口の中でスーッと溶けていきます。

※佐久間象山、河井継之助、明治天皇、岩倉具視、大隈重信、山本五十六らも食べたという由緒あるお菓子とのこと。

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趣味の菓子屋巡りをしているうちに、
水上勉に毒されたドロドロとした私の新潟観は大幅に修正が必要だと感じたのです。

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長岡のあとは、十日町、南魚沼に寄って、
長野へ戻るという日程。

豪雪地帯をドライブしていると、
「越乃雪」の淡雪は、「美化された雪」なのだと思いました。
行けども行けども雪また雪。

こういう風景を見ると、
水上勉の「厳しい新潟」も、それはそれで真実なのだと感じました。

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「はなれ瞽女おりん」という映画では、岩下志麻が、瞽女(盲目の旅芸人)であるおりんを演じます。
瞽女のしきたりとして、瞽女は男を知ってはならないのだそうです。
しかし、岩下志麻はそのタブーを犯してしまい、
旅芸人の一座から追放されてしまうのです。

やがて、
岩下志麻は惚れてしまった原田芳雄を探しに、旅に出ます。
長野の善光寺にたどり着き、
そこで、原田芳雄と再会するというストーリー。
(善光寺の仁王門)

新潟から長野にやってきた岩下志麻。

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雪深い新潟から長野へ。
図らずも私は、瞽女である岩下志麻と同じ道程を辿っていたのでした。


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どういうわけか子どものころは、うどんが好きでした。
学生になるとやっぱりパンチのあるこってりしたラーメンが好きになりますね。
ただ消化器官の強くない私は早々にラーメンを卒業して、そばのファンになりました。 

で、いまは、そうめんが大好きなのです。

ひやむぎは太すぎて論外です。
揖保乃糸や三輪素麺の極細がいいですね。

どんどん細いものを好むようになっています。
となると、
そのうち私は綿のような霞を食べて生きていくことになると思います。

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ある日、
長野市街地の北部を仕事で回っていました。
「そうめんや」という看板を掲げたいまは廃業している店を見つけました。
「そうめんや」

この看板を見て、
そうめん好きの私は、やっぱりそうめんの需要があったんだ!と同志を見つけたように嬉しくなりました。
閉店してしまっていることがなんとも惜しいと思いましたよ。

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福井県のおみやげをいただきました。
「御素麺屋」と書かれた包装紙。
包装紙をひらくと、和菓子の詰め合わせでした。
「御素麺屋」というのは、300年以上続く福井の老舗和菓子店なのだそうです。
不思議な屋号ですね。

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先日、
妻君と、長野の市街地で「そうめんや」という看板を見たという話題になりました。

私「長野に『そうめんや』があったとは知らなかったなあ」
妻君「この『そうめんや』って、素麺を売ってる店じゃないよ。駄菓子屋だったんだよ」 

妻君は、子どものころ祖父母に連れられて、「そうめんや」でよく駄菓子を買ってもらったというのです。
「なんだ、そうめんの専門店じゃなかったんだ・・・」とそうめん応援団の私は、少しがっかりしたのでした。

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ん?まてよ。
長野の「そうめんや」は、駄菓子屋。
福井の「御素麺屋」は、老舗の和菓子屋。

ということは、「そうめん」には「菓子」の意味があるのではないか、と推断した私。
で、この不思議な屋号を持つ「御素麺屋」のホームページで「由来」を調べてみると・・・・・・、

《一見、お菓子屋とは思えない「御素麺屋」という屋号ですが、名前の由来の文献は正式には残っていません。
しかし、長きに渡って言い伝えられてきたのは、『1699年(元禄12年)の創業時、当時の越前藩藩主松平吉品(まつだいらよしのり)公の病気の折、"そうめん"を献上し、それを食し病気全快になられ、それにより「御素麺屋」を与えられた』ということです。》

御素麺屋の命名は殿様の気まぐれだったのか。
菓子屋に素麺屋と名乗らせるだなんて、強権のなせる技ですね。

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結論は、
どうやら、長野の「そうめんや」と福井の「御素麺屋」に見られる、菓子屋と「そうめんや」の屋号の関係は、ただの偶然の一致のようです。
つまり、素麺と菓子は無関係でした。

自称名探偵の私の推理は、見事に破れたのです。

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