厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 軽井沢

これから書くのは、軽井沢吟行の翌日の話です。


================


吟行は台風のなか決行したのですが、翌朝は一転、秋らしい爽やかな木漏れ日で目が覚めました。

ただ、宴会(句会)のときの飲酒の影響で、私にはぼんやりとした朝でした。


Yまもとさんは前夜に帰宅したため、残りの5人は、「軽井沢文庫」と呼ばれる軽井沢にゆかりのある文学者たちの記念館へ向かいました。


Aしざわさんは、作家のゴシップばかりをよく知っています。

「軽井沢文庫」に井上靖(軽井沢に別荘を所有)と瀬戸内寂聴の本が並んで置いてあるのを見て、

「寂聴のエッセイに、井上靖はまじめでつまらない人だって書いてあるんだよ。井上靖を囲んで宴会になったとき、あまりのつまらなさに『参加者は三々五々散っていった』って書いてあったのが忘れられないよ」とのこと。

いい話ですね。


================


「軽井沢文庫」の館長は加賀乙彦とのこと。

ちなみに、

前館長は中村真一郎だったそうです。

中村真一郎って名前だけは知られているけど一冊も読まれない代表的な作家だなあなどと思っていると、

Aしざわさんもやはり読んだことがない、とのこと。

さらに、「中村真一郎ってロボトミー手術をしたって噂があるんだよ」という真偽不明の衝撃的なゴシップ。


ちなみに「ロボトミー」をウィキペディアで調べたところ、

《1935年、ジョン・フルトンとカーライル・ヤコブセンがチンパンジーにおいて前頭葉切断を行ったところ性格が穏やかになったと報告したのを受け、同年ポルトガルの神経科医エガス・モニス(1874年 - 1955年)が、リスボン大学で外科医のアルメイダ・リマと組んで、初めてヒトにおいて前頭葉切裁術(前頭葉を脳のその他の部分から切り離す手術)を行った。その後、1936年9月14日ワシントンDCのジェームズ・ワシントン大学でもウォルター・フリーマン博士の手によって米国ではじめてロボトミー手術が激越性うつ病にかかっていた63歳の婦人におこなわれた。 世界各地で追試された。そのうちには成 功例も含まれたが、特にうつ病の患者の6%は手術から生還することはなく、生還したとしても、しばしばてんかん発作、人格変化、無気力、抑制の欠如、衝動性などの重大かつ不可逆的な副作用が起こった。》

で、中村真一郎については、

《過去の版に作家、中村真一郎が、ロボトミーの手術を受けたとの記載があったが、真偽の程は不明。》

とありました。


グレーゾーンの話は味わい深いですね。


中村真一郎の文学碑が中庭に展示されているのですが、それを見ながら、

Aしざわ「中村真一郎についてはロボトミー手術の人って印象しかないんだよ」


================


私も軽井沢ゆかりの文学者のゴシップを披露したいところ。


軽井沢文庫には、室生犀星(軽井沢に別荘を所有)の本も並んでいました。

室生犀星の代表的な詩、

《ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの。》

というのがあります。


「トラック野郎 度胸一番星」(東映)という菅原文太が主演の映画があり、その中で、 

デコトラのドライバーに扮する菅原文太が、《ふるさとは遠きにありて思ふもの》という詩に対し、「いい歌謡曲ですね。都はるみでしょう!!」と言ってみたり、

神妙な面持ちで文太は「《ふるさとは遠きにありて思うもの》か・・・。じゃあ俺も『ふるさと』にでも行くか・・・」と呟いたかと思うと、どういうわけかトルコ風呂へ行っちゃうとか最高なんですよ。


文太「《ふるさとは遠きにありて思うもの》か・・・」


あまりにもくだらなく、ゴシップとも呼べないような話なので、口には出しませんでしたが。


================


軽井沢文庫近辺には、移築され見学できる作家の別荘がいくつかあります。

野上弥生子と、堀辰雄、有島武郎(改装されて喫茶店にもなっています)の別荘が開放されています。


堀辰雄の別荘


で、

少し離れたところにはフランス文学者の朝吹登水子の別荘も見学できるようになっていました。


鳩睡荘


朝吹家の別荘は、他の文学者の質素な別荘とまるで違う豪華で贅沢なものでした。


(内装)


朝吹家は、とてつもない名門で、展示されていた家系図を見ると全員が全員、華麗に大成しているという有様なのです。


父方は三井系の大実業家、母方は政治家の名門。兄弟もそれぞれ芸術家、文学者、実業家。子や孫も翻訳家や大学教授になっています。

ちなみに、最近芥川賞を受賞した朝吹真理子も朝吹一族です。


完璧で非の打ちどころがなく、ぐうの音も出ないとはこういうことを言うのだろうと思いました。


そんなわけで私は、朝吹家の完璧な家系図を眺めながら、

サヤにしまっていた「俳句」という刀を再び抜くことにしました。

家系図に向かって袈裟斬り一閃!


「えいやー!」


で、できた俳句は・・・、


《家系図にコソ泥見つけ秋うらら 軽囃子》


失礼な妄想でしかありませんね。


================

================


話は前後します。


句会の夜、どういうわけか藤沢周平の話題になって、

誰かが「藤沢作品は派手じゃないんだけど丁寧で、料理でいうとダシが効いていますね」と言うと、

別の誰かが「Kばやしさんはダシよりも、トッピングばかり重視しますよね」と、私を揶揄する発言をしたのです。

まあ、でも、この指摘はごもっとも。確かに私は、

ヤクザ、マフィア、悪徳刑事などが悪事に悪事を重ねるような小説、例えば馳星周のトッピング盛り盛り小説を愛読しているのです。

言ってみれば、私は、ダシなど眼中になくラーメン屋へ行ってもトッピングだけを注文してビールと一緒につまんで帰っちゃうタイプかもしれません。


で、


この馳星周の風貌。

まさにトッピング。


ちなみに、


こちらは藤沢周平の風貌。

まさにダシ。


================

================


「軽井沢文庫」を去るときに、

いまの館長は加賀乙彦であることを考えると、あと数年で世代交代をしなければならないということを考えました。

次期館長は誰がなるべきか。

軽井沢にゆかりのある現役の作家・・・。


いた!軽井沢在住のベストセラー作家が!

そうです。

馳星周です。

あの風貌で軽井沢在住。


馳星周が館長になったあかつきには、「軽井沢文庫」周辺は歌舞伎町のようになるに違いありません。


================

================


(おまけ)

井上靖を「つまらない人」と書いた瀬戸内寂聴先生と俳句についての後日談がああります。


吟行に同行したKぼさんから、黒田杏子先生のエッセイの切り抜きをいただきました。 



(日本経済新聞)


その記事によると黒田杏子は瀬戸内寂聴の句会の指導をしていたそうです。

その寂聴は95才にして句集を出すとのこと。


例えば、寂聴先生のこんな句が紹介されていました。

《子を捨てしわれに母の日喪のごとく》

《御山のひとりに深き花の闇》


人生を投影させる俳句の迫力に、私などはおそれいるしかありません。


mixiチェック

軽井沢へ吟行へ行ってきました。

参加メンバーは、私を含めた大学の仲間4人(Kばやし、Aしざわ、Hま、Mやさか)と、長野市の和菓子屋のYまもとさんと電気屋のKぼさんという面々の道中になりました。

皆で軽井沢を散策しながら俳句を作り、最後に宴会を兼ねた句会をするというプランです。 


================


軽井沢というと生活に余裕のある人々の集まる避暑地として知られていますね。

ただ、

私は週刊誌のスキャンダル記事を愛読していることもあり、軽井沢というと、

Eイベックスの重役(たぶんチャラチャラした男)が、若い女性シンガーを別荘に連れ込み、淫らな行為を強要した場所というイメージが強いのです。

つまり、私にとっての軽井沢は、「避暑地」というよりも、「チャラチャラ男が淫らな行為をするメッカ」でしかなかったのです。


「チャラチャラ男のメッカ」に裸一貫で乗り込むなどというのは、あまりにも危険です。 


そんなわけで、私たちは俳句という長くてピカピカしたものを腰に差して、危ないときは刀のように俳句を振り回す覚悟で乗り込んだのです。


軽井沢吟行にのぞむ私たち。

(「荒野の素浪人」より)


================

================


台風の午前中。

傘をさして、私たちは旧軽銀座と呼ばれるにぎやかな通りを歩き出しました。

おみやげ物だけでなく、高価な絵画や調度品を売る店や、不動産屋も並んでいます。

ペット可の飲食店がいくつもありました。


やはり経済的に余裕のある人が遊びに来ているのでしょうね。

で、さっそく一句。


《残菊や服着た犬を抱く女   軽囃子》


ちなみに、「軽囃子(けいばやし)」というのは私の俳号です。

Kばやしが由来という安直なものです。


もともと軽井沢あたりは、信州と上州の境界にある小さな宿場町だったようです。

そこへキリスト教の宣教師たちが入り込み、教会や別荘が立つようになったとか。

やがて避暑地として知られるようになり、いまや多くの人で賑わうリゾートになりました。


================


旧軽銀座から路地に入って、ユニオンチャーチという100年以上前に建てられた教会に寄りました。


ユニオンチャーチは素朴な風情があり、白樺の十字架がかかっているところも味わい深く感じました。


《白樺の十字架の下木の実落つ   軽囃子》


上州は、国定忠治や木枯らし紋次郎のようなヤクザ者の多い土地柄です。

その昔、軽井沢というところは、上州のヤクザ者がふらっと流れてくるようなところだったのではないかという妄想から、


《教会に旅の博徒や荻の風   軽囃子》



(「木枯らし紋次郎」こと中村敦夫)


句会では「白樺の十字架」ではなく、「旅の博徒」の方を提出しました。

わびさびよりケレン味を選択する悪い癖です。


================


別荘の建ち並ぶ小道を歩きます。


道に迷いながらも私たち漂泊の俳人一行は、室生犀星の別荘に到着しました。


室生犀星は、軽井沢に疎開していた時期があり、また、避暑地としてもこの別荘に住んでいたといいます。

まったく読んだこともなく、まるで人柄も知りませんが、いかにも室生犀星のお宅でした。


こうやって散策してみると、いろんな別荘があるものですね。

我々ごとき者が、他人の別荘に対し、「趣味が悪い」だの「センスがない」だのと、無責任にピーチクパーチク言い言いするのも罪のないことですね。


《別荘を批評してゆく鵙日和(もずびより)   軽囃子》


================


万平ホテルというクラッシックホテルに立ち寄ります。


エントランス付近のストーブには火が入っています。

クラシカルな雰囲気の中、いかにも余裕のある人々が、豊かに時間を過ごしているホテルです。


このホテルには小さな資料室があり、ありがたいことに無料で見学ができると聞いて、漂泊の我々は托鉢の僧侶がお恵みをもらうがごとく合掌しながら見学しました。

ジョン・レノンが宿泊したときの写真や、三島由紀夫の宿帳などが展示してありましたよ。


ホテルのわきには、

作家ものの工芸品を売っている雑貨店がありました。

芸術作品のような手作りの雑貨を眺めながら(むろん買わずに)別荘での暮らしを夢想するのも一興です。


《秋の夜は六万円のランプかな   軽囃子》


================


散歩をしていると、図らずも芭蕉の句碑を見つけました。


《馬をさえ眺むる雪のあした哉   芭蕉》


もしこの句が匿名で私たちの句会で提出されていたら、

「ケレン味のない句だな」の一言で斬り捨てられていたように思います。

恥ずべきことです。


句碑の向かいには「ショー記念礼拝堂」という、軽井沢に初めて建てられた教会がありました。

この教会のおかげで軽井沢が避暑地として知られることになったのだそうです。


別荘地を歩きながら、

こんな狭い地域に何人も文豪が暮らしていたのかと思うと不思議な気持ちになりますね。

別荘のわきには、せせらぎが流れています。


《水澄むやござの下には土左衛門   軽囃子》


このような風景の中で、情死した有島武郎は発見されたのでしょうか。


================


夕方、宿泊する山荘に到着。


酒を飲み、景気をつけて句会を始めます。


句作する私。

(「荒野の素浪人」より)


ルールは、それぞれが匿名で俳句を提出し、互選で俳句を選び、点数を競うというものです。


こんなヘボ句会でも緊張感があるのですよ。


俳句の講評をしながら宴会になりました。


句会を兼ねた宴会をする私たち。

(「荒野の素浪人」より)


ちなみに結果は、

かろうじて総得点で私がトップでした。トップという響き。

気持ちのいいもんですなー。


で、

私が参加者の俳句の中から採ったものは、


「天」(最も良いと思った俳句)

《秋の炉や女給と呼んでみたくなり   Mやさか》


「地」(2番目に良いと思った俳句)

《秋惜しむレノンポスター色褪せる   Yまもと》


「人」(3番目に良いと思った俳句)

《秋深し行儀の悪い前衛建築   Aしざわ》


================



句会を楽しむ私たち。

(「荒野の素浪人」より)


句会は盛況のうちに終わり、

参加者それぞれが「天」に採った俳句の作者に、景品と短冊をプレゼント。



(私のいただいた短冊)



俳句を振り回しているときの私。

(「荒野の素浪人」より)


「チャラチャラ野郎」に出会うこともなく、一日中振り回した俳句という刀をサヤに収めた私たちなのでした。


あとは深夜まで飲みながらお喋りを楽しみました。

Kぼさんが桂文珍の「ヘイマスター」という演目の研究されているという話は特に最高でした。

こういう知識こそ教養だと思いますよ。


================


そうそう、

最後に、これだけは言っておかなければいけません。軽井沢は「チャラチャラ男のメッカ」などではなかった、と。

mixiチェック

先日、軽井沢へ吟行に行きました。

散策した場所は、旧軽銀座周辺の別荘地。
参加者は、Kばやし、Aしざわ、Hま(メールで参会)、Yまもと、Kぼ。

写真は、提出された俳句です。
匿名でランダムに並んでいます。





誰がどの句の作者か私も分かりません。
なんせ飲みながらの句会ですから。

吟行の様子については、これから書きます。

mixiチェック

週末は、軽井沢にいました。
軽井沢には、別荘や高級車やテニスコートやゴルフ場がありましたよ。

私の興味がひとつも重ならない町だなあ(笑)なんて思いながらも、それなりに楽しんで旧軽井沢を散策。
柄にもなく、チーズやジャムみたいなものを買ったりなんかしました。

================

ガイドブックを読むと、軽井沢にも重要文化財があるというではありませんか。
旧三笠ホテル、という明治に建てられた社交場が、その重要文化財。
せっかくなので行ってみました。
潜入。

山本直良という金持ちの実業家が開業したホテルなのだとか。
立派な木造の西洋建築でしたよ。

で、三笠ホテルと命名した一人として紹介されていたのが、作家の里見弴や有島生馬(有島武郎の弟)でした。
けれど、
その三笠ホテルの隣みたいな場所で有島武郎が心中していて、有島武郎ってなんだか迷惑な兄だなー、なんて思いました。
(昭和の旧軽井沢)

================

で、驚いたことがあったんです!
ホテルを開業した実業家の山本直良の孫というのが・・・、
山本直純だったんですねー。 

男はつらいよの作曲でおなじみ!
小沢昭一的こころで「口演・小沢昭一、お囃子・山本直純」でおなじみ!

軽井沢が私を受けれてくれたように思いましたよ。

================

家に帰ってウィキペディアで調べてみると、山本直純の叔父のつれあいは、与謝野鉄幹・与謝野晶子の娘なんですって。
ということは、与謝野馨と山本直純って遠い親戚なんですね。
(どうでもいいことですが)

================
================

山本直純と聞いて思い出したゴシップがあります。
(出典:句々快々「話の特集句会」交友録    矢崎泰久)

かつて「話の特集」という文芸誌があり、その執筆陣が俳句会を作って楽しんでいたというのですよ。
それはそれは豪華なメンツです。
そのメンバーの一人に山本直純がいました。

ある日、幹事だった山本直純は、強引に高級焼肉屋で句会をすることに決めます。
《そこでとんでもない提案を直純さんはしたのである》
2チームに分け、(俳句の点数で)負けた方が買った方の代金を出す、という提案。

結果は、山本直純のチームの敗北。
《ところがここで直純さんが怒り狂ったのだった。自分のグループに目の玉の飛び出るほどの高い霜降りステーキを注文した人が存在したのである》
そして、山本直純は「犯人」を突き止め、
《負けた上に高い肉を食べたとイチャモンをつけたのだ》
ちょっと大人げなさすぎですね。
で、《「自分で払え!」》ですって。
《句会はたちまち修羅場と化した》
どうかしてますね(笑)
岸田今日子がこの場を収めたのだとか。

================

最後に、
そのときの句会で提出された句を一部ご紹介しましょう。

残暑なお暑き隣家のピアノかな(和田誠)
残暑見舞い書けば涼しき昼下がり(永六輔)
読みさしの本は厚くて残暑かな(岸田今日子)
日の落ちて蝉逃げるように鳴く残暑(渥美清)

山本直純が音楽を担当した「男はつらいよ」。
主演の渥美清の俳号は「風天」でした。
mixiチェック

このページのトップヘ