厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 落語

年に4回開催される長野落語会へ行きました。
出演者は、柳家小せん、桃月庵白酒。
柳家小せんさんの演目は「ねずみ」、桃月庵白酒さんの演目は「百川」でした。
思っていたとおり、人気者の白酒さんの「百川」は楽しく、客席は大笑いでした。
それはそうと、驚いたのは「ねずみ」を演じている小せんさんに、亡くなった入船亭扇橋さんが乗り移っているかのようだっこと。
入船亭扇橋さん(※東京やなぎ句会の宗匠でもあります)は、生前「ねずみ」をよく演じていました。
小せんさんの噺のリズムは、船扇さん独特の歌いっ調子(リズム)を思い起こさせ、いつの間にか体型や姿勢まで重なって見え、
長いこと落語ファンでいると、こういう嬉しい再会があるのだと知りました。

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「ねずみ」という噺には、木彫りの名人である左甚五郎(ひだりじんごろう)が登場します。

以下、あらすじ。
甚五郎が、旅の途中、たまたま泊まることになった宿が「ねずみ屋」。
腰の立たない父と小さな息子が営む、ボロボロの宿。
甚五郎は、その親子への施しで、一匹のねずみを精魂込めて彫ります。
すると木彫りのねずみが動き出しました。
ねずみ屋には、甚五郎のねずみをひと目見たいがために客が絶えず訪れるようになり、ねずみ屋は栄えました。

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2ヵ月ほど前の話ですが、飛騨高山へ行ったことを思い出しました。
美しい町並みが残っており多くの人が散策していました。
高山は、大ヒットしたアニメ映画「君の名は」の舞台だそうで、「聖地巡礼」の観光客も少なからずいたようです。
「聖地巡礼」とは、アニメファンが舞台となった土地や建物を聖地と称して訪れることをいいます。

高山はラーメンが有名な町です。
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「甚五郎」(人気ラーメン店の名前)

古い町なので、日本酒も豊富です。
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「甚五郎」(日本酒の銘柄)

そうなんです。木彫りの名人、左甚五郎は飛騨高山の出身なのです。
図らずも私は「ねずみ」の「聖地巡礼」をしていたのです。

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高山は、左甚五郎を輩出した地だけあり、木工の家具で知られている町でもあります。
名工、職人さんが大勢いるようで、家具屋もあちこちにあります。

「飛騨産業」という家具屋へ行くと、家具のギャラリーが併設されていました。
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民藝ファンには楽しい展示です。
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柳宗理がデザインした家具

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バーナードリーチがデザインした家具

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「暮らしの手帖」の花森安治、大橋鎭子がオフィスで使用していた家具

妻君は民藝ファンなので、存分に楽しんでいました。
その隣で私は、「甚五郎」を感じていました。

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おまけですが、
飛騨高山は、左甚五郎を輩出しただけでなく、私が敬愛している清水ミチコを輩出した町でもあります。
清水ミチコが出演しているニッポン放送「ラジオ ビバリー昼ズ(木曜日)」を愛聴している私。
木曜日の「ビバリー昼ズ」は、最高に面白いラジオ番組のひとつです(きっぱり!)。

ヘビーリスナーの私は、清水ミチコの実家は高山駅のそばの喫茶店であること、また、弟さんが継いでいるということを知っていました。
せっかく高山まで来ているのだから、いざ「清水ミチコの喫茶店」へ!
図らずも、また「聖地巡礼」することになったのです。
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到着すると、喫茶店は夏休みのようです。
休業中とのこと。残念・・・。

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入口には、和田誠のイラストが飾られていました。
「ビバリー昼ズ」を聴いていると、よく和田誠・平野レミ夫妻の話題が出てきます。
どうやら和田誠夫妻に三谷幸喜、南伸坊、阿川佐和子、清水ミチコを加えたサロンがあるようですよ(楽しそう)。

喫茶店はお休みでしたが、ドア越しに和田誠の絵を見ることができました。
私は週刊文春の定期購読者なので、表紙を担当している和田誠の絵を見たということで「聖地巡礼」は達成!ということにしておきましょう。

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(おまけ)
以前書いた、入船亭扇橋さんの記事
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あるパーティーに招かれました。

演芸の仕事をしている友人のHさんが、パーティー(真打ち昇進披露宴)をするとのこと。
思えば、Hさんとは大学を卒業してからほとんど会ってない気がします。

お祝いの席ゆえ、ご祝儀を懐中に忍ばせて、パーティーに潜入することにしたのです。

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会場の入口で、大学時代からの馴染みであるAしざわさんと待ち合わせをして合流をしました。
そこへ待ち合わせをしてないのに、やっぱり大学時代からの馴染みのK氏が大きな体を揺らしながら現れ、乱れたスーツ姿で「やあ、久しぶり!」。
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義理で近況を尋ねると、K氏は「アイドル中心の生活ですよ!貯金は全くないですから!」
私「・・・・・・」

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300人も入ろうかという大きなパーティー会場へ着くと、I氏、Y氏、N氏という大学以来の旧友たちと再会。
開宴を待つ間、懐かしい面々と交わした会話といえば、
「(ご祝儀×300人分)ー(会場費)ー(食事代)ー(引き出物代)」は黒字か赤字か、そんな話のみでした。

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K氏は、「少し暑いかな」と汗をぬぐい上着を脱いで、パーティーの主役であるHさんの登場を待ちます。
そこへ、Hさんが師匠のあとに付いて入場。
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K氏はよそ見をしながら拍手。

「乾杯!」

そうそうたる方々から思いのこもったお祝いのスピーチが続きます。
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そんな中、K氏は料理に素早く箸を伸ばします。
「パクパク、モグモグ」。そして、「白ワイン!」

スピーチが続く中、K氏はスマホをチェック。
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ネットを駆使し、ひいきのアイドルの動向をパトロールしているものと推察されます。
「パクパク、モグモグ」。そして「紹興酒にしようか!」

パーティーの主役のHさんは、ステージで余興の踊り。
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そのときK氏は、ひいきのアイドルと撮影した2ショット写真をI氏に披露しているようです。

余興は続きます。
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K氏は 、出てくる料理をペロリと平らげてはスマホをチェック。
そして「ウイスキーの水割りください!」

パーティーの山場。
主役のHさんの決意表明のようなスピーチ。
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K氏はスマホをチェック。
Aしざわさんにアイドルの話をし、写真を見せようとするK氏。
Aしざわ「・・・。ごめん。写真を見せられても、頭が真っ白で、何にも言葉が出てこないんだよ」

披露宴はクライマックスです。
毒蝮三太夫が三本締め。
「ここにいる皆様のお幸せと、ここにいない皆様の不幸せを祈願して三本締めです。いよ~」

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K氏「ところでKばやしくん、さっきから俺の写真撮ってない?」
私「気のせいだよ」

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パーティーは、おひらき。会場をあとにします。FullSizeRender
廊下に展示された記念品を写真に収めるK氏。

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会場の外に出ます。懐かしい皆とも別れのときがやってきました。
さて、我々も解散しようか。
私「またいつか会いましょう」
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K氏「そんなことより、そこの鳥貴族にいこう!」

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おまけの写真
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マムシ(毒蝮三太夫)は、三本締めの挨拶。なかなか三本締めをせずに10分以上の漫談。
なかなか曲をかけない「ミュージックプレゼント」状態。

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おひらきをした会場。

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ユーチューブでときどき落語を聴きます。

音楽と違って落語はストーリーなので、集中して聴く必要があります。

落語を聴くことは無心になるのと似ていて、聴き終わったあと頭がすっきりするような気がします。


このごろは、家事をしながら聴いています。

座禅のようなものでしょうか。


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句友の(句友と呼ぶには畏れ多いのですが)Kぼさんから、日経新聞の切り抜きをいただきました。


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「永六輔さんの声」という題の、松浦寿輝のエッセイ。

私は、松浦寿輝の本を続けて読んでいた時期がありました。また、永さんのラジオ番組は欠かさず聴いていました。

なので、松浦寿輝と永六輔の取り合わせに「おっ」と思ったのです。


記事を要約すると、

松浦寿輝は高校生のころ永さんのラジオ番組のリスナーでした。

そのときの永さんの印象というのは、東京の下町によくいるオジサン。

具体的には《頭の回転が滅法速く、ちょっぴりおっちょこちょいで、お上の権力を嫌い、自己主張が強くて大きな声で喋り、涙もろく、人が好きで、人に好かれて、面倒見がよく、ただし案外偏屈なとこもあって何かというとへそを曲げ、しかしたちまち機嫌を直す》というもの。

しかし、松浦寿輝は思春期を過ぎたころから、《永六輔の喋りの灰汁の強さ、自己顕示欲、独り善がりが少々鼻につくようになり、何となく敬遠するようになった》のだとか。


分かるなあ。

私も永さんを知ったばかりのころの印象は悪く、松浦寿輝が永さんを敬遠したのと同じように思っていました。

(対照的に、小沢昭一さんには心酔していました。)


しかし、

あるときから私は、永さんのラジオ番組はどの番組よりも面白いと思うようになりました。

それは、永さんがパーキンソン病になってから。

呂律が回らなくなり、声が聞き取りづらくなった永さん。

あるときは、呂律が回らず番組内で発声練習をしたり、別の週には入院してしまい入院先の病院から電話で出演したり、さらに別の週には転倒して骨折してしまい車イスでスタジオに来たり。

毎週、心配でラジオをつけるという番組でした。

永さんは老いていく姿をさらすのですが、苦しみをポジティブに語り、ネタに変えていく姿勢というか覚悟が、凄かった。

言葉数は減りましたが、スタジオにいることが生きていることだったんですよね。


松浦寿輝のエッセイの後半は、晩年の永さんの声について書かれています。

晩年、永さんは、久米宏のラジオ番組に出演しインタビューを受けました。

その番組内で永さんは、立て板に水のように喋っていた若いころの自分の声を聴き、「中華鍋で炒めたようなイヤな声」と言います。

本当は「いい水を鉄瓶に入れ、ポコポコっと沸いてくるような白湯のような声」で話したかったと言うのです。

それを受けて、松浦は、

《わたし(※松浦寿輝)は「油で炒めたような声」に少々辟易し、永六輔から距離をおくようになっていったわけだ。永さん自身も若いころの自分の喋りに対し同じような感想をもらし、言葉が出にくくなってきた今の自分の喋り方がむしろ優っているのではないかという強気の感想を語っている。老人永六輔の、綺麗な白湯がポコポコ沸いてくるような語りをわたしはもっともっと聴きたかった。無念でならない。》


松浦寿輝と永さんのラジオ番組をとおして繋がっていたこと、また、永さんに対して同じ気持ちを共有していたことに嬉しくなりました。

(それはそうと、松浦寿輝が永さんのリスナーだったというのが、ものすごく意外でした。)


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ところで、

AMラジオ好きと、落語好きは重なっているような気がします。

AMラジオのパーソナリティである(であった)小沢昭一、毒蝮三太夫、大沢悠里、久米宏、高田文夫、伊集院光、爆笑問題なんかは落語ファン。なので、どうしてもリスナーはその影響を受けてしまうんじゃないでしょうか。

もちろん永さんも落語好きで、実家のお寺で寄席を主催していたほどです。


そうそう、

月曜日から金曜日の朝、NHKラジオ第一で放送されている「すっぴん」も、柳家喬太郎が出演するなど落語に縁のある番組です。

ちなみに、この番組の進行を務める藤井彩子アナウンサーは落語家の妻で、夫は古今亭菊之丞です。

しなしなしている菊之丞と、つんつんしている藤井さんが夫婦だなんて分からないものですね。


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話は変わりますが、

先週、長野落語会というイベントに誘われて出かけました。

何十年も続く歴史ある落語会なのだとか。

出演者は、三遊亭小遊三と、藤井さんの夫である古今亭菊之丞。


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小遊三は「替わり目」、菊之丞は「愛宕山」でした。

菊之丞さんは声や様子が華やかで、楽しく「愛宕山」を聴いていました。

奥様の勤務先であるNHKの発祥の地が東京の愛宕山だから「愛宕山」を演じた、というわけではないと思いますが、ここでもラジオと落語の不思議な縁を感じていました。


久しぶりにライブで落語を聴きました。

終演後、三々五々闇夜に散らばっていく観客の一人として、夜道を歩いている時間がとてもとても懐かしかった。


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実は、

日経新聞のエッセイを書いた松浦寿輝は、NHKラジオ第1で「ミュージック・イン・ブック」という番組のパーソナリティを務めているのですよ。

めずらしい音楽と本にまつわる話を聴きたいときは、「ミュージック・イン・ブック」がおすすめです。


そういえば、

松浦寿輝は、「白湯がポコポコ沸いてくるように」語る人だと気がつきました。

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先日、久しぶりに善光寺へ行きました。


近所とはいえ、あらためて境内の看板を読みながら歩いてみると、 

仏像のいわれなど、まだまだ新しい発見があるものですね。


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話は変わりますが、数ヶ月前、糸魚川へ行きました。

古い木造建築の多い港町という印象をうけました。

それで、今回の火事の報道。

(毎日新聞)

ラーメン屋から出火した火が風に煽られ、炎が住宅地を覆ったそうです。 

ラーメン屋のオヤジが鍋に火をかけたまま店を空けてしまったことが原因のようです。 


あまりの大きな被害に、ラーメン屋の、火災保険加入の有無を心配してしまった私。


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話は二転三転しますが、

文化放送の「立川志の輔 落語でデート」というラジオ番組を聴いていました。


柳亭痴楽の「八百屋お七」という珍しい落語が放送されました。初めて聴いた噺でしたよ。


うろ覚えですが、大ざっぱなあらすじを書きます。


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「八百屋お七」あらすじ


江戸の本郷に八百屋があり、そこの娘であるお七はたいへんな美女でした。

婿になりたがる男がひっきりなしに現れるほどの評判の娘でした。


江戸時代、振り袖火事と呼ばれる大火事があったということは知られています。

その火事のため、お七の八百屋も焼け落ちてしまいます。そこで、お七は駒込にある寺に避難します。

寺小姓である吉三(美男子)とお七は、互いに惚れ合ういい仲になってしまうのです。


しばらくすると家々の再建が進み、

お七は吉三のもとを去り、再建された本郷の自宅へ戻らなければならなくなりました。

「あたしゃ、本郷へ行くわいな・・・」


しかし、お七の恋心は収まりません。

火事になれば再び吉三に会えるのではないか・・・・・・、

そんな浅はかな考えで、お七は自宅に放火してしまうのです。

火付けのため、お七は死罪。鈴ヶ森で火あぶりの刑になったといいます。


このあとの展開がいかにも落語らしく、荒唐無稽なんですよ。

地獄で、お七と吉三が再会したり、

お七の亡霊に出くわした侍が、お七の足を斬り落としたり。

片足にされたお七は、逃げ出して、

「片足(かたあし)ゃ、本郷へ行くわいな・・・」


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なんともいえないサゲですね。


実話なのか伝説なのか分かりませんが、落語だけではなく、歌舞伎や文楽にもなっているようです。


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で、善光寺です。

「濡れ仏」と呼ばれる仏像が境内にあります。


あらためて看板を読むと・・・・・・、


《江戸の大火の火元として処刑され、のちに歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三が造立したという伝説もあります。》


「うそー・・・・・・」

看板を前に私は、苦笑いをしたのでした。


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年の暮れにしては暖かな日の善光寺。

私は「濡れ仏」を見上げました。

糸魚川で火災に遭われた方々にお見舞いの気持ちを込めて。


吉三がお七への想いを込めたように、私はラーメン屋のオヤジへの想いを込めて、「濡れ仏」に手を合わせました。

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入船亭扇橋さんが亡くなりました。84才とのこと。

橋さん(俳号:光石)がやなぎ句会の宗匠してくれたお陰で、私の楽しみが増えました。
心の底から有り難い人だったと、今しみじみ感じています。

今日のスポニチ

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やなぎ句会のメンバーには、永六輔、小沢昭一、柳家小三治、桂米朝、加藤武らがいます。
やなぎ句会の会報に寄せた扇橋さんの言葉。
ケンカでもあったんでしょうか。 

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金子兜太さんが、入船亭扇橋の俳句から選んだ句のひとつ。

《過ぎし日は五彩の色やいまはずむ     扇橋》

今日は、扇橋さんについて思い出したことを少し。

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数年前のTBSの「落語研究会」で、柳家小三治さんが、まくらでやなぎ句会(扇橋さん )のことを喋っていました。
それをメモしていましたので、引用します。

以下、小三治さんのまくら。 

《みんな呆けちゃってねえ、大変なんですよ。私が、これで(やなぎ句会の中で)抜群に若いんです。あとはみんなわけが分からない、その最たるものが扇橋なんですなあ。あいつは若いときからそうだった》 
例えば、
《バスで集合っていうときにいないんですよ。いつもいないっていうのは扇橋なんです。これはボケじゃないんです。若いときからなんです。/バスを出発したときに、あれ一人足りないっていうんですよ。バスの窓から景色を見ると、町の通りを扇橋が歩いていたんですよ、ははは》 

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TBSの「落語研究会 500回」に、扇橋さんが出演していました。
これもメモをしていましたので、引用します

出囃子が流れると、よろよろ扇橋師匠は登場します。
客席からは「ご老公!」
声が震えていて聞き取れないというのがまた味なんですよ。

扇橋さんのまくらはとりとめがないんです。
でもよく聴くと、深沢七郎の小説の登場人物のように死をとても近くに感じているということが分かります。
また、罪がないんですよ
 
以下、扇橋さんのまくら。

《(落語研究会の)第一回に出たから今日は呼ばれたんですね。そのときのトリは圓生師匠で、本当は今日も圓生師匠が出ればいいんですが》 
《圓生師匠も死んじゃったりなんかしまして》 
《三之助さんもいいですね。小三治の弟子っていうのは違うんでしょうね。小三治の映画に私が出たりなんかして、私が小三治と一緒に風呂に入ったのが出たりなんかして、大事なところが、ほの暗くなるのが色っぽかったりしまして》 
《小三治のいいところは、ご馳走してくれるところで。ホルモン焼きなんていうのは本当にホルモンがあっていいんですね》 
《稽古をしてもらいに圓生師匠のところへ行ったんですが、圓生師匠の前で酔っ払っちゃったんですよ。それで『おやおや』てんで》 
《圓生師匠に羽織を作ってもらって、弟子でも作ってもらえない人が多かったそうで、円楽さんなんかは怒ったそうですが。怒るとすぐ死んじゃうんですね》 
《兄弟子の大先輩が死んじゃうんですね。油断すると兄弟子でも死んじゃうんですよね》 
《オリンピックではスケートでもステーンと転ばないんですね。パンツかなんかが見えれば盛り上がるんすけど、サービスがないんですかね》 
《ところで、さん喬はキザですね》 
《権太楼さんのジャンバラヤっていうのは名人ですね》 
《死んじゃいましたが、師匠のおかみさんのシミーズを履いたんですがね、あれはいいもんですね。男の人もシミーズを履いた方が良かったりなんかしますね》 

このまま「長屋の花見」へ入りました。

で、
トリは、柳家権太楼。
《権太楼「ただいまのは、扇橋師匠でございました。まくらから聴かせていただきましたが、まくらと呼んでいいんでしょうか・・・」
会場爆笑) 》

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「友ありてこそ、五・七・五」(東京やなぎ句会)を読んでいたので、私は扇橋さんは深刻な病状だったと知っていました。
(復帰など考えられる状況じゃなかったそうです)

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平成23年の7月に、扇橋さんは脳梗塞で倒れました。
見舞いに行けたのは、親友だった小三治さんだけでした。

黒田杏子の「扇橋師匠のこと・東京やなぎ句会のこと」というエッセイを引用します。
《扇橋師匠が倒れられ、句座に出てこられなくなったその折の句会に、たまたま私は招かれておりました。すこし遅れて席に着かれた小三治師匠から「本日、扇橋を見舞って参りました。病状報告をさせて頂きます」と簡にして要を得たお話がありました。その身ぶり手ぶり、口調、まことに愛情と友情あふれるもので、私は涙が出てきて困りました。》

そして、平成25年6月のやなぎ句会の、優勝者は柳家小三治(土茶)でした。

《扇橋と螢眺めた山の家     土茶》

この句を「天」に採った黒田杏子は、句の名告りに思わず涙ぐんだそうです。
《お互いに言いたいことを存分に言い合いながら、相手を大切に大切に護り、励ましあってこられた関係。絶景です。》

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生き仏たち(平成23年)

生き仏たち(平成25年)

感謝、感謝。

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今日、あじさいを見て、扇橋さんを思い出しました。

亡くなった人は「草葉の陰にいる」というのは、本当かもしれませんね。
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