厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 長野

4才の息子を連れて、街の書店へ行きました。

息子は男の子にありがちな、魚、恐竜、のりもの(特に新幹線)に興味を持ち、夢中になっています。
不思議なもので男の子はたいていこういうものに関心がいくようです。

私が本を物色していると、息子は「この本ほしい!」と一冊の本を持ってきました。
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幻想の信州上田(西村京太郎)

西村京太郎先生の小説など、4歳児が読めるわけもありません。
私「字の本だから買わないよ」
買いたい、買いたい、新幹線の本ほしいと駄々をこね始める息子。
有無を言わさず、「ダメーー!」。
息子は泣き出しました。

面倒な事態に陥ってしまった・・・と頭を抱えた私。
そこで一計を案じました。

私「魚好き?」
息子「うん」
私「鮫(サメ)好き?」
息子「うん」
私「じゃあ、鮫の本を買ってあげるよ」
息子「やったー!」

そこで私は1冊の本を購入したのです。
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新宿鮫Ⅺ 暗躍領域(大沢在昌)
待ちに待った念願の新宿鮫シリーズの新刊が8年ぶりに発売されていたのです。

補足ですが、書店には西村京太郎の「スイッチバック殺人事件」という本が売られていました。
長野の姨捨駅のスイッチバックを殺人のトリックに利用すると想像しました。
この突飛な発想に呆然としました・・・。

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さて、帰宅して早速「新宿鮫11」を読み始めました。
いやあ、面白い。最高。

ところで、
私の敬愛する丸谷才一御大は新宿鮫シリーズの大ファンとして知られていました。
私は丸谷さんの書評で「新宿鮫」を読み始めた経緯があります。

丸谷御大が生前、前作の「新宿鮫10」を、毎日新聞で絶賛していたことがあったっけ、と思い出しました。
インターネットで丸谷才一の新宿鮫評を探しました。
(以下、丸谷御大の書評の抜粋)
《戦後の日本は多くのすぐれた娯楽読物を持ったけれど、シリーズものの主人公として、新宿鮫はあの剣豪眠狂四郎、あの名探偵金田一耕助をしのぐほどのスターだろう。
どうしてこういう事態が生じたか。第一に作者の文体がいい。小説の文章として小粋である。(中略)
第二に小説の作りがうまい。(中略)
第三に構えが大きい。歌舞伎町とゴールデン街を起点として東京を描くこの都市小説は、東南アジアの現在全体を扱う。(中略)21世紀の市井風俗を題材とすると見せかけて実は日本近代史全体をとらえようとしている。》
いいなあ、丸谷節。

丸谷御大は残念ながらお亡くなりになりました。
丸谷さんの分まで、この新作を楽しみました。

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話は変わります。
私は4才の息子に「お正月、どこ行きたい?」と訊きました。
すると、「新幹線に乗りたい」。
「え・・・」。
正月の新幹線は混むし、イヤだなあ。
なんで新幹線が好きなんだろう。
私が顔を曇らせているにも関わらず、息子は「新幹線!新幹線!」と早くも喜んでいるのです。

そこで、私は一計を案じました。
地元のローカル線(ゆけむり号)を「これこそが新幹線なんだよ」と嘘をつき、言い張ることにしたのです。

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正月のこと。
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近所の長野駅に着き、ゆけむり号に乗車しました。
私「赤い新幹線だよ」。
息子「ぜんぜん新幹線じゃないよ!(泣)」。
私「こまちの赤ちゃんだよ」。
息子「本当?」
詭弁を駆使し、息子を上機嫌にすることに成功しました。
こうして無事に、ゆけむり号に乗って湯田中(温泉地)へ行ったのです。

湯田中温泉で酒をがぶ飲みしたり、年賀状を書いたりして、私と妻君もローカル線の旅を楽しんだのです。
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仕事の取引先でもあり俳句仲間(大先輩)でもあるYまもとさんから内田康夫の小説を2冊いただきました。
先月の木曽での句会のあと、景品としてもらったのです。
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いただいた内田康夫の本は「戸隠伝説殺人事件」と「『信濃の国』殺人事件」。
Yまもとさんいわく「吟行で行った場所が小説の舞台になっているし、しかもこのシリーズ(「信濃のコロンボ」シリーズ)の主人公の竹村警部は俳句を趣味にしているんだ。だから余計に面白く読めると思う」。
へ〜。
2冊とも長野県が舞台の小説なので、たとえ吟行で行かなくとも長野で暮らす私には馴染みの地名がいくつも登場します。
実際の風景を思い浮かべながら小説を楽しむことにしました。

で、
一冊目の「戸隠伝説殺人事件」を読み終えました。
ところが、竹村警部が俳句を趣味にしているというくだりが全くなく・・・、
Yまもとさんにそのことを告げると「あれ?俳句のくだりなかった?・・・じゃあ、もう一冊の方に出てくるはずだから」。
そこで、二冊目の「『信濃の国』殺人事件」を読み終えたのです。
が、やはり竹村警部が俳句を趣味にしているというくだりは発見できず・・・。
再び、そのことをYまもとさんに報告すると、「うーん・・・。別のシリーズだったかもしれない。なにせ内田康夫は多作だから」とのこと。
煙に巻かれました。

それはそうと今回、内田康夫の小説を初めて通読しました。
サスペンスや人間の心理を描いた物語というよりも、小説の舞台になった土地の文化や歴史、風俗が物語を使うことで深く分かりやすく解説されており、地域のガイドとして楽しめる本になっていると気がつきました。
なるほど旅情で人気が出たということか!と煙に巻かれながらも妙に感心したのです。

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ところで、私が購読している毎日新聞の新聞小説には、偶然にも長野が舞台の小説が2作、連載中です。
夕刊の「スミレの香り」(馳星周)と日曜版の「道連れ直輔 居直り道中」(逢坂剛)。
「スミレの香り」は、犬の調教師になった警察OBが、新興宗教の信者が関わっている誘拐事件を追うという話。
舞台は、佐久や浅間山。
著者の馳星周は、内田康夫と同じく軽井沢在住だったはずです。

他方「道連れ直輔 居直り道中」は、剣術の達人である浪人の直輔が、高貴な娘を江戸から長崎へ送り届けるというミッションを負い中山道を旅する歴史小説。
ちょうどいま「道連れ直輔」は、江戸を出て中山道を塩尻まで進み、塩尻から伊那街道を飯田まで来たところ。
小説によると、当時、女性をつれて木曽福島の関所を通過するというのはタイヘンなことだったようで、ワケありの人々は中山道を避け、関所のない伊那街道を旅したのだそうです。

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先月の木曽吟行、句会の翌日のこと。
私たちは、木曽福島の関所跡(関所資料館)を見学してきました。
江戸時代、木曽は「天下の四大関所」のひとつと呼ばれていたような重要な土地だったそうです。

資料館を見学して知ったのですが、「入り鉄砲に出女」という言葉があるそうで、江戸に入ってくる武器と、江戸から出ていく女性(人質として江戸に住んでいる大名の妻)の取り締まりが関所の重要な仕事のひとつだったとか。
なるほど、「道連れ直輔」は女性連れの一行だったため中山道(関所)を避け悪路である伊那街道を進んだのか。

また福島宿は、交通の要所だっただけでなく材木などの集積地であるため、尾張藩の飛び領だったそうです。
山村代官屋敷と呼ばれる尾張藩の代官の屋敷が一部残っており、見学することができました。
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また、福島宿は御嶽山へ参拝する出立のための宿場でもありました。
そういえば以前、飛騨高山へ行ったとき町の中に御嶽教の教会を見つけ、参拝したことがあります。
中には巨大な不動明王の像がありました。
その昔、御嶽信仰は木曽周辺にとどまらず日本全般に広がっていたようですね。
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高山の御嶽教の教会

また、奈良井宿の元・櫛問屋の建物にも御嶽教の祭壇が展示されていました。
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御嶽教の祭壇

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話は戻りますが、内田康夫の「『信濃の国』殺人事件」という本について。
「信濃の国」は長野県の県歌として知られており、1番であれば長野県民は誰しも口ずさむことができます。

ただ、「信濃の国」の4番は、メロディが変則で長野在住の私でも歌えません。
ちなみに歌詞は、以下のとおり。
(4番)
《尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる》

「『信濃の国』殺人事件」という小説では、「信濃の国」の4番で歌われている土地で次々と謎の殺人事件が起こります。
犯人は「信濃の国」という県歌に遺恨のある人物ではないか、と竹村警部は推理し、みごと的中させるのです。
県歌に恨みをもった犯人が連続殺人を犯す、だなんて書くとメチャクチャな気もしますが、それもまたヨシです。

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ちなみに、「信濃の国」の5番の歌詞。
(5番)
《旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず》

5番は長野県出身の有名人を歌っています。
5番冒頭の「旭将軍義仲」というのは、源義仲のことです。
源義仲は、木曽義仲あるいは旭将軍とも呼ばれていますね。

木曽吟行のとき、木曽福島にある興善寺にも寄りました。
というのも、興善寺には源義仲の墓があるから。
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興善寺にはたくさんの調度品や美術品が展示されており、立派な庭も見学することができます。
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庭園を散策していると、種田山頭火が興善寺で詠んだ俳句の句碑を発見。

《たまたま詣でて木曽は花まつり》

私たちはこの俳句を見て、うーむ・・・と、首をかしげ唸ってしまいました。
リアクションに困る俳句です。

源義仲の墓の脇にも、山頭火の句碑がありました。

《さくらちりをへたるところ旭将軍の墓》

なんて言っていいのか・・・。
評論しようのない俳句に、面食らっている私たち。
すると、Yまもとさんが「俺の俳句のほうがウマイんじゃないか?」。
山頭火の俳句に絶句しているところに、Yまもとさんが爆弾投下。
「山頭火より俺の俳句のほうがウマイよ。な?」。
義仲の墓前で、名言が生まれたのです。

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木曽へ吟行(俳句の旅)に行った話は、前回書きました。

その吟行から帰ってきて気がついたことがあったので、今回はそのことについて書こうと思います。


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その前に、私たちの句会のルールについて説明したいと思います。

先日の、木曽路を観光したあと宴会をしながら行った句会です。


まず、参加者が俳句を匿名で提出。

誰の俳句か分からない状況で、各人が互選で、それぞれ「天・地・人」(1位、2位、3位)を選び、寸評します。

ちなみに私たちは、「天」の賞品として、「天」に選んだ俳句を短冊(色紙)に書き、選者から作者へプレゼントすることにしてします。

この短冊、もらえるとなると、これがなかなか嬉しいものなのです。


木曽路の句会では、私の作ったある俳句がYまもとさんとMやさかくんから「天」に選んでもらいました。

かつて櫛(くし)問屋だったという建物で詠んだ一句。

《櫛を買う妾と妻に秋の旅  Kばやし》

江戸時代、漆塗りの櫛は木曽みやげとしてよく売れたのだそうです。


ちなみにYまもとさんとMやさかくんからいただいた寸評は、以下のとおり。

「(歴史資料のように生活感がなく)ツマラナイ奈良井宿の町並みから、強引に色気を詠んだという『荒技』が見事」

「『妾』を『妻』より先に書いたセンスに感心」

有り難いお言葉をいただきました。


それにしても、こんな俳句が「天」で採られるなんて、ふざけた句会です(笑)。


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話は逸れます。

だいぶ前のことですが、JR有楽町駅を歩いていたときのこと。

国際フォーラム口に「相田みつを美術館」がありました。

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立て看板によると、「みつをの文字力」という企画展が催されているとのこと。

イーゼルには、みつをのポエム。

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文字力に満ちているポエムを目で追っていきました。

《つまがいたって いいじゃないか にんげんだもの》

頭の中で、漢字変換する私。

《妻がいたって いいじゃないか 人間だもの》

言葉を噛みしめる私。

「妻がいたっていいじゃないか・・・」。

つぶやく私。

「人間だもの・・・」。

なるほど。

「妻がいたっていいじゃないか」なのです。

「妻がいたって、過ちを犯すぞ」。「妻がいたって、道を踏み外すぞ」。「だってそれが人間だもの!」と、開き直るようなステキな言葉。

火遊びに惹かれる人間の真理をポエムにしたのか、みつをは。

深いなあ、みつをは。

気合が入っているなあ、みつをは。

にんげんだなあ、みつをは。

私はポスターの前で、感服のあまり拍手をしてしまいました。


そして、私は噛みしめるようにもう一度ポエムを読み直しました。

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《つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの》

ん?

目をこする私。

《つまづいたって》?

なんと「つまがいたって」ではなく「つまづいたって」だったのです。

そっか〜「つまずいたって」かあ。

なーんだ・・・。

当たり前じゃん・・・。

普通じゃん・・・。


私は踵を返して、有楽町駅をあとにしました。

(みつを先生、読み間違えてごめんなさい)


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で、私の俳句《櫛を買う妾と妻に秋の旅》の話に戻します。

YまもとさんとMやさかくんが「天」に選んでくれた珍句です。

賞品として、YまもとさんとMやさかくんが短冊に《櫛を買う妾と妻に秋の旅》と書き、私にプレゼントしてくれました。

帰宅し、その短冊を片付けていると、おかしな発見をしました。

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左:Yまもとさんが書いた短冊/右:Mやさかくんが書いた短冊


Yまもとさんの短冊をじっくりと眺めると・・・。

《櫛を買う妾と妾に秋の旅》

そうなんです、「妾と妾に」と書いてあったのです!

相田みつをのときと同じように、見間違えたのかと思い、目をこらしてみたのですが、本当に「妾と妾」でした。

となると、妻には櫛を買っていかないということになります。

しかも、妾を二人抱えているということになります。

へたをしたら、櫛を買ってやった妾が二人なだけで、妾はもっと大勢いるのかもしれないぞ。

これはタイヘンだ。

これはドン・ファンだ。


はたしてYまもとさんは酒を飲みながら短冊を書いたため、書き間違えただけなのだろうか。

それとも《櫛を買う妾と妻に秋の旅》よりも《櫛を買う妾と妾に秋の旅》のほうが優れていると添削してくれたのだろうか。


確かに《櫛を買う妾と妾に秋の旅》のほうが、より際どく、濃い味付けの俳句になります。

つまり、妾二人に櫛を買っちゃうのも「にんげんだもの」ということです。

妻には櫛を買わない、それも「にんげんだもの」なんです。

「にんげん」について考えてしまった秋の夜長です。
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台風一過。

長野県、中山道の木曽へ吟行に行きました。

吟行のメンバーは、大学のサークルゆかりの仲間(Hまくん、Mやさかくん)と、長野市の老舗和菓子屋のYまもとさんと電気屋のKぼさん、それと私の計5人。


木曽路には、風情のある中山道の宿場がいくつかあります。

図らずも、前々回の吟行が軽井沢、前回の吟行が姨捨、で今回が木曽という、どれも中山道沿いの旅行です。


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台風の猛威が去って、ぎりぎりまで吟行を決行するか延期するかで悩みました。

安否確認をして、句会のメンバーは運良く無事だったということが分かり、「それじゃあ行くか」。


まずは、奈良井宿へ。

木曽路は秋晴れです。

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古い町並みが当時のまま残っている珍しい宿場です。
観光シーズンにもかかわらず大雨のあとだったせいか歩いている人は少なかったように思います。


この数日で、急速に秋めいてきました。

日なたを選んで、ぞろぞろ5人で歩きます。

まずは、挨拶の一句。

《秋の日を背中に受けて奈良井宿》


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「中乗りさん」というのは、木曽の銘酒です。

木曽川で材木を運ぶために、イカダに乗る人を「中乗りさん」と呼ぶそうです。

木曽節に「♪木曽のな〜、木曽の中乗りさんは、ナンジャラホイ♪」という一節がありますね。

こんな日に句会を決行している我々の「どうでもいいぜ、行っちまえ!」という気持ちを、イカダの上の「中乗りさん」に託して、やけくその一句ができました。

《台風一過中乗りさんはナンジャラホイ!》


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私の俳句の特徴は、ケレン味のみ(まったく深みのないことでも定評があります)。

私は「俳句」という短刀を振り回し、美しい町並みからケレン味を切り取って句作することにしたのです。

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イメージ図(映画「緋牡丹博徒」より)


ちなみに奈良井宿は、みごとに整理整頓され生活臭が感じられない場所でした。

ケレン味を重視して句作する私にとって、映画のセットのような町並みは、俳句を作りづらい環境です。


奈良井宿を散策していると、いまも泊まれる旅籠(民宿)を何軒か発見しました。

旅籠に泊まったであろう無頼の旅人の姿を想像して、一句。

《夜寒し枕元には仕込み杖》

ちょっと、作為がありすぎましたかね。


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漆塗りの櫛(くし)問屋だった建物を見学しました。

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むかしから木曽は材木の大産地で、木工製品の製造でも知られています。

その中でも、漆塗りの櫛は、木曽みやげとして一世を風靡した銘品だったとか。

この櫛問屋は、製造から販売まで一貫して行い、財をなしたのだそうです。

ここで、一句。

《櫛を買う妾と妻に秋の旅》

妾を先にしたというのがポイントです。


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奈良井宿の中には、お寺が何軒もありました。

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その中に、「マリア地蔵」と呼ばれる首のないお地蔵様を祀っているお寺もありました。

隠れキリシタンがお参りした名残です。


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続いて、「二百地蔵」を見学。

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集落に点在していた地蔵を、集めた場所なのだそうです。

すると、あやしげな爺さんが近づいてきて「オレが案内してやるずら」。

ズタズタで泥で汚れたパジャマのような服を着て、互い違いのサンダルを履いた爺さんの風体を見て、いぶかしがる私たち。

すると、爺さん「カネはいらねえずら」。


爺さんのガイドは、いい加減なもので、「この石像は古いものみてぇずら。よく分からねぇが」だの「この小屋で女衆は集会したそうだ。知らねぇが」だの、あやふやな情報ばかり。

難しそうな顔で散策しているYまもとさんに対しては、「ヒゲの先生は何の先生ずら?」と、Yまもとさんを学者か何かと誤解している様子。

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さらに「先生、この石碑には何て書いてあるんずら?」と逆質問する始末です。


ただ、爺さんの言葉の中で、ひとつ心に残ったものがありました。

素朴な地蔵たちを前にして、「昔の娘たちは、身寄りのないところへ嫁にきて、こき使われたんじゃねぇのかなあ。話し相手もいねぇし。だから、ふるさとに電話をするような気持ちでお地蔵さんにお参りしたんじゃねぇかとオレは思うずら」。

お地蔵様は、身寄りのない娘にとって、故郷に繋がる公衆電話のようなものだったという話に、かつての信仰が実感でき、偲ばれたのです。


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奈良井宿には、木の桟橋が架かっています。

そのわきには、かつて走っていたSLが展示されていました。

いまは、木曽路を「特急しなの」が走っていますが、数十年前は汽車が走っていたのです。

《赤とんぼ鞄に座り汽車を待つ》

「男はつらいよ」の寅さんを思い浮かべて、詠んだ一句。


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夕方。

奈良井宿を離れて、「寝覚めの床」へ。

木曽川にある奇岩の景勝地で、浦島太郎や役行者の伝説が残り、松尾芭蕉が訪れたことでも知られています。

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寝覚めの床。

白くうつくしい奇岩から転落すると、エメラルド色の木曽川に真っ逆さま。

ここで、一句。

《新豆腐崩して食べて寝覚めの床》

白い岩を、ダシに浮かぶ豆腐に見立ててみました。


芭蕉の句碑もありました。

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《昼顔に昼寝せうもの床の山 芭蕉》


庭を掃くおばあさんに話しかけると、松尾芭蕉の「更級紀行」を熟読している市井の学者でした。

二百地蔵の爺さんとは真逆で、控えめに信憑性のあるガイドをしてくれました。

いわく、この芭蕉の句は「寝覚めの床」で詠んだものではないが、芭蕉の弟子たちが「寝覚めの床」にふさわしい句であると言ったためこの地に句碑ができたという話。

いわく、芭蕉は中山道を歩いたのか、旧道を歩いたのか、諸説あるという話。


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盛りだくさんの散策を終えて、句会の会場である山奥の民宿へ。

台風一過で、私たち以外の宿泊客はすべてキャンセル。民宿は貸し切りでした。

囲炉裏にあたり、缶ビールを飲みながら句会はスタート。

匿名で俳句を提出。互選でそれぞれが天・地・人・並・並・並の6句選句し、講評します。

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句会の様子 イメージ写真(映画「緋牡丹博徒」より)


制限時間の中で、6句提出します。

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制限時間をオーバーして提出すると、こうなります(映画「緋牡丹博徒」より)。


選句をし、講評をします。

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熱燗をチビチビ、炉端焼きをパクパク。いつの間にやら宴もたけなわ。

ありがたいことに、私の提出した句は、それぞれそれなりに点数をもらいました。


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(おまけ)

私が選んだ他の皆さんの句

《先生は何の先生ずら野分  Mやさか》

怪しい老ガイドのズッコケ感。


《赤とんぼ十字架として寺に舞ふ  Mやさか》

マリア地蔵の景色。


《浦島の夢か奇怪なモニュメント  Hま》

寝覚の床の浦島太郎伝説。


《秋暮るるマリオゲームで筋肉痛  Yまもと》

寝覚の床での岩から岩へ飛び移るときの実感。


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二次会は、塩尻の赤ワイン、白ワイン、日本酒の中乗りさんを、注いだり注がれたり。

寝覚の床でマリオジャンプしたにもかかわらずYまもとさんはハイペースで飲み、案の定「お先におやすみ」。

Kぼさんと、Mやさかくん、Hまくんとはあれこれ楽しく夜長の長話。

とはいえ我々も、台風一過で頭も体も疲労困憊。

健全に「おやすみなさい」。




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何日も前のことですが・・・。

吟行の翌日、松代へ散策に行きました。

松代は、長野市南部の真田家ゆかりの城下町です。


関ヶ原の戦いの前、上田藩主だった真田昌幸は息子2人と真田家を残すため身の振り方について話し合ったといいます。

父(昌幸)は次男(信繁)と共に西軍に、長男(信幸)は東軍に与し、どちらが勝ったとしても真田家だけは残そうと父子訣別をしたのです。

結果、戦は東軍が勝利。

生き残った長男(信幸)は、上田藩から松代藩へ移り、以降、松代は真田家が治める城下町になったのです。


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松代にて。

まずは、「真田邸」へ行きました。

金沢にある前田家の兼六園はすみずみまで豊かな文化を感じさせますが、それと比べると、真田家の「真田邸」はかなり質素です。

貧乏藩ゆえ殿様も地味だったのかななんて思っていました。

ところが、

「真田邸」のあとに訪れた「真田宝物館」のボランティアガイドの方(博学!)の解説によると、真田邸は、幕末のころに殿様の義母のために建てられた屋敷で、実際は数年しか使用されなかった建物だったとか。

殿様は、もっと広い「花の丸御殿」(いまは焼失)に住んでいたそうです。

もともと松代城に住んでいたものの、不便だったため「花の丸御殿」を作り移り住んだのだそうです。


贅沢なことに、ボランティアガイドの方の解説をつきっきりでみっちり聞きながら、宝物館の展示を見学しました 。

印象的だったのは、江戸時代の殿様はインテリで、例えば「源氏物語」を読み、書画や陶芸などあらゆる文化に精通した知識人(道楽者)だったということ。

私は心の中で「おみそれしましたー」と頭を垂れていたのです。


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「真田幸村の謀略」(東映)という、東映史観で歴史を描いた時代劇があります。

私は、この映画で真田家の歴史を歪んだ形で学んでいました。


松代の真田家の歴史は、真田昌幸(父)、真田信幸(長男)から始まりました。

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東映の真田昌幸(御大・片岡千恵蔵)


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東映の真田信幸(梅宮辰夫)


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ちらが昼間からワンカップを嗜むわが句会の殿様。


徳川家は豊臣家を破ったのちも真田家を警戒していたそうです。

そのため、真田家は上田藩よりも不便だった松代藩へ移されたようです。

徳川家康は油断しない男です。

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東映の徳川家康(萬屋錦之介)

石田三成の頭蓋骨で、酒を飲む萬屋家康。

それにしても、役作りがトンチンカンな方向に振り切れています。

家臣に「酒の味はいかがですか?」と訊かれ、「うーん・・・カビ臭い」


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わが句会の殿様も、樽酒と書かれたワンカップを後ろ手に「恩田家の屋敷」を散策。

私が「おいしいですか?」と訊くと、「なかなかいい味」


松代の町には、真田家の重臣の屋敷が何軒も残っており、見学できるようになっています。


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象山神社に向かいます。

幕末の志士、佐久間象山を祀った神社です。


皆で手を合わせて、参拝。

帰り道、「何を祈願したか」という話題になりました。

Kぼさんいわく「佐久間象山先生より長く生きているから、なにもない」。

願うとすれば、「平和」くらいのものだそうです。

私はといえば、

いつも、神社で手を合わせてから初めて何を祈願するか悩み、「酒池肉林にしようか、でも、本当に酒池肉林になったらマズイな、酒池肉林が現実になったら地獄だぞ、どうしよう・・・」なんて考えているうちに手を合わせる時間が終了してしまうのです。

考えてみると、神様にお願いしたいことなどないのかもしれないですね。


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象山神社に立て看板。
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象山神社の敷地内に「努力・勇気・情熱」の石碑を建てる予定があるとのこと。

(松代とゆかりがあると思えない幕末の人気者たちの銅像も次々建つのだそうです)

なんだか「努力・勇気・情熱」という、まるで週刊少年ジャンプの方針のような、標語のような石碑を建てるセンスに、私は口をあんぐりさせながら象山神社をあとにしました。


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さて、「真田幸村の謀略」の結末はどうなったか。

東映史観の大阪夏の陣。

どういうわけか、真田幸村と徳川家康の一騎討ちになります。

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真田幸村(松方弘樹)

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徳川家康(萬屋錦之介)


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萬屋家康の首を目がけて、斬り込む松方幸村。

家康の首を一刀両断。


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すると、萬屋の頭がポーンと上空へ。

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まるで、首がシャンパンのコルクのようにポーンと舞い上がります。

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たがやー。

(物理的におかしい)


つくづく東映の時代劇は歴史の勉強の教材に最適ですね。

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