厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

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3月14日は何の日ですか?
ホワイトデーらしいです。
とはいえ私にとって、2月14日も3月14日も、バレンタインデーやホワイトデーではなく吉良上野介の月命日という認識でしかありません。
※12月14日は、忠臣蔵の討ち入りの日です。

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ところで、
妻君は(私もですが)、晩酌をします
一番消費するのが、なんといっても日本酒。
最近のお気に入りの銘柄は、新潟の高千代酒造の「たかちよ」です。
一ヶ月ほど前、高千代酒造の特約店(新潟県の高田)へ行き、一升瓶を何本も買いだめしました。
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日本酒のために高田へ行くのは、なんだか、贅沢な気がします。

せっかくなので、どこか立ち寄れる観光地を探した私。
なんと、ドナルド・キーンセンターという施設が柏崎にあるというではありませんか!なぜ柏崎なのか興味が湧きます。
立ち寄ろうとしたもののドナルド・キーンにまったく興味のない妻君の反対と、そもそも冬期休業中とのことで断念しました。

断念した数日後、ドナルド・キーンが亡くなりました。
まるで虫の知らせのように感じました。

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それで思い出したことがあります。
渥美清が亡くなったときのこと。
私は中学生。そのころから「男はつらいよ」とプロレスの大ファンでした。

友人とプロレス観戦をするため、東京へ行った中学生のころの私。

せっかく東京まで来たのだからと、友人の反対を振り切り、「男はつらいよ」の舞台である柴又に行こうとしました。
しかし、帰りの電車までの時間がなく柴又観光を断念したのです。
自宅に帰ると、テレビは渥美清の訃報一色。
ショックだったのと同時に、そのときも虫の知らせのように感じました。
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新潟の高田には、高千代酒造の特約店の酒屋が数軒あります。
お酒を買いだめしました。

妻君「この一升瓶の酒は、バレンタインデーのプレゼントだからね!」
私は「ありがとう」と言ったものの、どうせ半分は妻君の口に入るんだろうなあと思いました。

妻君「ホワイトデーはいらないよ」
私「どうして?」
妻君「もう一本、日本酒を選ぶから。これがホワイトデー!」
私「それはどうも・・・」

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趣のある高田の町は、「男はつらいよ」のロケ地でもありました。

売れない歌手の小林幸子が、人通りの少ない高田の街角で新曲のキャンペーンをしています。
通りかかった寅さんが、小林幸子を励ますのです。

寅さん「手を見せてみな。手相を見てやるよ」。
寅さんは商売柄、培った易学で小林幸子の運勢を見ようとします。
寅さん「うん、大器晩成型だ!まあ頑張んなよ。じゃあな」


高田は、豪雪地帯です。
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昔ながらの雪除けのアーケードがあり、道々に、地下水の融雪装置が整っています。
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「たかちよ」を飲みながら、高田で寅さんの気配を感じたことを思い出しました。
 
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出張先の長岡の街をふらふら歩きながら、どこの居酒屋へ入ろうかと考えていました。

居酒屋探しのポイントは、若者の嬌声が聞こえてこないこと、店名がダジャレやキラキラネームでないこと、ズタズタでもいいから古くからやっていそうなお店であること、あたりでしょうか。


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良さそうな感じの居酒屋を見つけ、入ることにしました。

10メートルほどの長いカウンター。

その中にはガラガラ声の女将さん(妙齢)。

「どーぞー」と、女将さんに促されて私はカウンターの奥に座りました。

遅い時間だったこともあり、先客は一組だけ。


「じゃあ、生ビールください」

言うや否や、「どーぞー」と、生ビールがカウンター越しにドン!


まずは、長岡市の名物でもある「栃尾の油揚げ」を肴に、ビールをガブガブ、油揚げをバリバリ。

持ってきた新聞を広げてビールを飲み続けます。


私「注文いいですか?」

女将「どーぞー」

私「おすすめの日本酒をください。それと、ほやと氷下魚(こまい)をお願いします」

(ほやと氷下魚(こまい)という、イメージできないつまみを注文してみました)


ほかに客のいない店を見渡すと、壁に気になる色紙が掛けられていました。

私「この色紙、写真撮ってもいいですか?」

女将「どーぞー」

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《風に聞けいづれが先に散る落葉 半藤一利》

《十字路におんな待つ宵雪のふる 半藤一利》


作家であり歴史探偵、また元文藝春秋編集長として知られる半藤一利さんの色紙を発見したのです。

半藤さんの俳句を眺めて一献。贅沢ですね。


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6月というのに肌寒い今日のような夜は、やっぱり日本酒でしょう。


女将「おまちどう」

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手前、氷下魚。奥、ほや(七味のうら)


半藤さんは江戸っ子のはずですが、確か、長岡にも縁があると何かで読んだ記憶があった私。


日本酒をちびちび飲みながら、

私「半藤さんは戦争中、長岡に疎開していたんですっけ?それとも、旧制長岡高等学校の出身者ですっけ?」

女将「疎開ですよ」

疎開のほうだったか。もし旧制長岡高校の出身者だったら、丸谷才一や野坂昭如と同窓生ということになったのですが。


女将さんいわく、実は、半藤一利がこの居酒屋に来店したことはないようです。

年配の常連さんが半藤さんと昵懇だったため、色紙に一筆をお願いしたそうです。


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私「南蛮えびの刺身と、日本酒をもう一杯ください」

女将「どーぞー」

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女将さんとの話題は、半藤一利の奥様について。

女将「半藤さんの奥様の末利子さん、夏目漱石のお孫さんね。エッセイを書いてらっしゃる方いますよね」

「ええ」と、私は南蛮えびの頭のミソを吸いながら、頷きます。

女将「末利子さんも長岡に疎開していたんですよ。末利子さんのお母さんが夏目漱石の娘。で、末利子さんのお父さんが松岡譲という小説家」

私「ほう」

女将「松岡譲が長岡の人なんですよ」

父(松岡譲)の縁で、のちに半藤さんの奥様になる末利子さんも長岡に疎開していたのだとか。


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客は私だけ。

長いカウンターの隅を見ると、店員さん(妙齢女性)がビールをガブガブ飲んでいました。


そろそろ帰ろうかと席を立とうとすると、日本酒のポスターが目に入りました。

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「五十六」という酒(写真中央)。

そういえば山本五十六も長岡の人でした。

「五十六」の題字を書いているのは、加山雄三のようです。

そういえば、加山雄三は、半藤一利原作の「日本のいちばん長い日」にアナウンサー役で出演していましたね。

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若大将。

「五十六」は、次に来たとき飲むことにして、席を立ちました。


「お会計お願いします。また来ます」


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(おまけ)

帰り道。ほろ酔いでふわふわ長岡駅前をとおると、長岡出身の著名人のパネルがありました。

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居酒屋で話題に出た松岡譲が右下に載っています。
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少し前の話ですが、
友人たちと諏訪の神長官守矢資料館へ行きました。

初老で小太り、メガネをかけた学芸員さんが一人で切り盛りしていました。
この資料館は、入口から奥まで見渡せるほどの小さな資料館です。

神長官守矢資料館の「神長官」というのは諏訪大社の催事を管理した役職のことで、「守矢」というのは神長官を勤めてきた一族の名前です。
そんなわけでこの資料館は、守矢さんのお宅の脇に建てられています。

敷地の奥には、ミシャクジ社と呼ばれる小さな神社(祠)がありました。
諏訪という古代からの信仰の場所らしく、動物の骨や木の実が置かれていました。
(いまでも、動物の骨や甲羅の割れ方で吉凶を占う神事があるらしいですね)

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資料館の展示の、古代の催事の再現は興味深いものでした。
同行した友人たちと、感心しながら眺めていました。

すると、
手持ちぶさただったのか、初老で小太り、白髪の学芸員が近づいてきました。
学芸員「資料館の裏のミシャクジ社へは行ったかね?」
突然の問いかけに、戸惑いながらうなずく私たち。
学芸員はニヤリと笑い、
「ミシャクジ社へは日本中から参拝者が来るんだ。それだけご利益があるっちゅうわけ。タイヘンなご利益があるために、多くの参拝者がお礼参りにも来るんだ。当方も毎日お参りしているんだが・・・、ただ、当方にはご利益がないっちゅうわけだ!はっはっは!」

小さな資料館でこのような怪人物に出くわすとは思いませんでした。
瞬時に私は、この学芸員(怪人物)は閑職に追いやられた市の職員ではないかと推断したのです。

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神長官守矢資料館は、設計士の藤森照信さんの出世作になった小さな資料館とのこと。
(ちなみに、藤森照信は茅野出身で毎日新聞の書評委員でもあります)

福々しい顔で学芸員は、獲物を見つけた熊のように私たちを追い詰めて、話しかけてきます。
「この資料館は藤森建設の原点だっちゅうわけ。藤森さんはいまや世界でも超一流の建築士だが、この建物は藤森建設の原点なんだ。そんなもんで、藤本さんが超一流になる前、当時は市議会で『こんなヘンテコな倉庫みてえな資料館、建て替えろ』っちゅうわけ。いまや世界中から藤森建設の原点を見るために人が集まってくるっちゅうわけだ。はっはっは!」

その学芸員によると藤森照信は、赤瀬川源平の自宅や、養老孟司の自宅も設計したそうです。
いわく「『バカ』で儲けた養老先生の自宅も、藤森建設っちゅうわけ」

守矢資料館の脇に、藤森神社(鳥居にも「藤森神社」と書いてあります)を発見。
藤本照信の血筋と関係があるとか。

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神長官守矢資料館には、
戦国時代に武田信玄(武田家)から守矢家に送られた書状が何通もありました。
武田家だけではなく、多くの戦国武将からの書状が展示されていました。

私たちは感心して書状を眺めていると、またも、恰幅の良い学芸員が近づいてきます。
「この書状は、武田晴信が戦の前に、守矢家に『祈祷して戦に勝つために願をかけてくれ』と依頼した書状だっちゅうわけ」
諏訪信仰は、当時から広く浸透していたのですね。

別の書状を指差し、
「こちらの書状には『戦が長引いているのは守矢さんの祈祷が足りないんじゃないか』と書いてあるっちゅうわけ。『もっと祈祷してくれ』っちゅうわけだ」
そりゃ、命がけの戦だから神や仏に祈りたくもなるよなあ、と思いました。

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話は、変わります。

数日前、日本を代表する有名な経営者の講演会へ行きました(義理で)。
その講演会で、成功者数名のお話を聴きました。

その話を聴いて、
全国規模で成功した経営者は、競合する他社と殺るか殺られるかという戦いに勝ち続けた人だ、という印象をうけました。
シェアを広げるために、投資をし利益を出すというサイクルを繰り返す。
そのためには他社との丁半博打に勝ち続けなければいけません。
全国規模に会社を拡大させた経営者は、現代の戦国武将のようでした。
(成功者は、総じてテンションが高く、聴衆を高揚させる雰囲気を持ち、勝負に勝ち続けてきた自信に満ちていました)
勝つということは、敗者を生み出すこと。
つまり、他社を廃業や縮小に追い込むことでもあります。
そんなこともあり成功者が現代の戦国武将に見えたのですよ。

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この講演のおみやげとして、
ある経営者から中国の故事(中国思想)の本をいただきました。
いわく、迷ったとき中国の思想家の言葉を頼りにしてきたのだそうです。

また、別の経営者は座禅をしているといっていましたし、さらに別の経営者は、キリスト教の倫理感を重視しているといっていました。
(仏教や神道の教えを大切にする経営者はたくさんいますね)

自身の不安を払拭するためなのか、戦国武将のようにプレッシャーの中で生きる人には宗教や思想が必要なのかもしれませんね。
(ということは、無宗教、無思想で生きていけるいまの日本は、それなりに平和なのかもしれません)

それでも戦国武将のような血で血を洗うような生活(「成功」と「転落」が紙一重の生活)を選ぶ人がいるということは、高揚感や恐怖心には中毒性があるのかなあと感じました。

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この講演会のとき、
私は、現代の成功した経営者の信心深さと、武田信玄が戦の前に守矢家に書状を送ったというエピソードを重ねていたのでした。

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話は、諏訪に戻ります。
(毎度のことながら話が行ったり来たりでスミマセン・・・)

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神長官守矢資料館を見物してから、私たちは酒蔵へ行きました。
というのも、その夜、宿泊する宿で飲む日本酒を調達したかったから。

諏訪は酒どころ。
酒蔵がいくつもある土地です。

酒の文化があるというのは、豊かな地域であっただけでなく、諏訪大社など信仰の篤い土地であるということも関係しているように推理しました。
神事には酒がつきものですから。
そんなわけで日本酒が生活にしみこんでいるんでしょうか。

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神長官守矢資料館の展示のメインは、古代の神事を再現したものです。

いまでもミシャクジ社には、動物の骨がまつられていましたが、かつて、神事になると諏訪の神社では動物の首を並べたそうです。
(そんな生け贄の名残が、御柱だという説もあります)
(動物の頭をまつった神事を再現した展示)

このような催事の記録を残したのは、菅江真澄とのこと。
菅江真澄は江戸時代、東北地方を旅し、生活の記録を残したことで知られる旅行家です。
学芸員「この展示は菅江真澄の記録を元に再現したっちゅうわけ」

菅江真澄は、東北へ旅をした人という印象でしたが、長野(諏訪)にも来ていたのですね。

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ということは・・・、そうです。
諏訪で最も有名な日本酒は「真澄」ですね。
いままで私は、「澄んだ味わい」であるから「真澄」と名付けられたとばかり思っていました。

しかし、「真澄」はきっと菅江真澄からいただいた名前なのかもしれないと気がついたのです。
(あくまで私の推察ですが)
「真澄」が菅江真澄由来だと、なんだか気楽に酔っ払えない語感になりますね。
ま、「真澄」が岡田眞澄由来の名前だとしたらひっくり返りますけど。
でも、神長官守矢資料館の学芸員、どことなく岡田眞澄にも似ていたような・・・・・・。 


秋の夜長には、なんだか日本酒が飲みたくなりますね。

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仕事で東北地方の小さな小さな港町にやってきました。
夏なのに肌寒い夜のこと。
 
ひとりで真っ暗な夜道をふらふら歩いていると、スナックの看板を発見。
 《スタッフ募集》
過疎化した集落で、スナックのスタッフなど集まるのだろうか・・・と余計な心配をしながら看板を読み進めると、
《自慢の一品!シャキシャキのナマコ!》
スナックでナマコ。オツですね。
シャキシャキのナマコを食べてみたかったものの、入店する勇気はありませんでした。
 
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夜道をしばらく歩いていると、一軒の居酒屋を発見。
のれんをくぐりながら、小声で「こんばんは・・・」。
(心の中では威勢よく「いどもー!」)
 
すると、6席あるカウンターは地元の中年男性でびっしり。
しかも、カウンター席の皆さんはかなりディープな方言を使っているため、私には会話の内容を聞き取ることができないのですよ。
そんなわけで、
「一人ですけど、座敷を使ってもいいですか?」
 
すると、カウンター席のオールバック&ジャージ&日焼けという風体の男性が、
「ワ(私の意味)の隣で飲むが?」と席を詰めて、私の座るスペースを作ってくれたのです。
一瞬、まいったな・・・・・・、と思ったものの「遠慮なく」とカウンターに座ってしまった私。
 
「じゃあ、生ビールと・・・、刺身とホタテの貝みそ焼きをください」
生ビールをごくごくごくごく。
刺身がまた新鮮でおいしいのです。ごくごくごくごく。
 
ホタテの貝みそ焼きがやってきました。
新鮮なホタテをみそで味付けをし、貝殻の上で卵でとじた料理です。
 
思わず、「日本酒を一合ください!」
酒に合いますね。
 
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ところで、この日の昼間のこと。
仕事の都合で下北半島のむつ市へ来ていました。
時間があったので、むつ市街地を散歩。
 
観光案内によると、
明治維新のときに会津藩は「朝敵」にされ、本州の最果て(下北半島)に藩ごと流罪になったそうです。
会津藩の多くの武士がここに移住をさせられたのだとか。
円通寺に藩庁を置き、斗南藩という名前になりました。
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(お寺に葵の御紋)
 
農業の不毛な慣れない土地で苦労したんだろうなあ。
 
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立派な円通寺の隣の小さくて素朴なお寺にも立ち寄りました。
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玄徳寺。
 
ここに少し大きめの墓がありました。
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《映画監督川島雄三の碑》
《花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ》
 
川島雄三は、都会的なセンスの映画を撮った監督です。
川島雄三はこのあたりで生まれたのだとか。
むつ市の出身だったんだあ。
川島雄三はクールで皮肉っぽくてハイセンスな作風だったので意外に思われましたよ。
 
墓石の《映画監督川島雄三の碑》の文字は、今村昌平。
《花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ》の文字は、森繁久彌。
 
今村昌平は、川島雄三の弟子なのだそうです。まったく作風は違いますね。
森繁は、名誉のためなら下北半島へもしゃしゃり出てきますね(笑)
 
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《花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ》は、井伏鱒二の訳した「歓酒」の一節です。
川島雄三は、この詩(井伏鱒二)のファンだったそうです。
「歓酒」は、唐の詩人の五言絶句を井伏鱒二が日本語訳にしたものです。
この訳は名人芸ですよ。
 
勧君金屈巵  
満酌不須辞
花発多風雨  
人生足別離
 
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
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話を、港町の居酒屋へ戻します。
 
同席の客に長野から来たと告げると、
 「焼きホタテ、食ってみろ」と、隣のおじさん。
しばらくすると、醤油の香りをプーンとさせて焼きたてのホタテが届きました。
 
「ホタテ、写真を撮っておけば?」と、隣の隣のおじいさん。
  2
たばこを吸わない私に箱だけ貸してくれました。
 
ホタテは酒に合いますね。
「日本酒をもう一合くださーい!」
 
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長野から来たと告げたこともあり、居酒屋のカウンター席では、
「長野は良いところ派」vs「長野は悪いところ派」で言い争いが始まりました。
「長野は悪いところ派」の主張は、長野には海がなく、酒や酒の肴はたいしたことがないというもの。
防戦一方だった「長野は良いところ派」は、ようやく反撃を開始します。
「むかーし、長野のスナックさ行っだらな、キレイなアジアの女性が何人もいたんだべえ。長野のスナックいいところだろ?どうだ!」。
すると、「長野は悪いところ派」の急先鋒だったおじさんは頭を抱えて、「負げたー」だって。
 
楽しく飲んでいると、
カウンター奥のアロハシャツの男性が、「これ食べてみろ」と青つぶ貝の刺身と青つぶ貝焼きをくれました。
「サザエよりうまいべ?」。おいしいなあ。
次々と食べ物が回ってくるのです
 
「チューハイください」。
チューハイで海の幸を流し込む満腹の私。
 
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カウンター席の面々は「まあ飲め」と酒をなみなみと注いでくれます。
こちらも、酒をなみなみと注ぎ返します。
 
酔いが回りました。
「そろそろ帰ります」。
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店を出て夜道を振り返ると、あたりは酒場の灯りだけでした。
 
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
自宅に帰ったら、井伏鱒二の「厄除け詩集」を読み返そうと思います。
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酒豪としてのエピソードばかりの映画俳優といえば、松方弘樹でしょう。
(ちなみにプロレスラーでいえば天龍源一郎だと思います)

例えば、松方弘樹の酒豪エピソードとして、
阿川佐和子との対談によると、
《松方「ブランデーを一日二本、年間八百本くらい飲んでいました」
阿川「ボトルを二本!?」
松方「一本目は三十分で飲みます」》

この飲みっぷりには仰天です。
(ただ松方は、ドクターストップがかかって一時期断酒をしていたこともあるそうですが)

《松方「千代の富士にもお酒では負けなかったし、清原(和博)君にも問題なく勝ちました。(中略)。負けたのは元プロレスラーの天龍(源一郎)さんくらい」》
へえ・・・。

松方と天龍へのウワバミ幻想は深まるばかりです。

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ところで、私は、
大学院の社会人コースで食品について勉強をしています。

この日は、遺伝子解析についての実習がありました。

本来ならDNA鑑定は、食品の産地や品種を特定するための技術なのでしょうが、
今回の実習では、私たち(受講者)の遺伝子を取り出してアルコール代謝の強弱を調べるという実験をすることになりました。
つまり、酒に強いか弱いかを調べる実験です。

染色体は遺伝子からできています。
その遺伝子は2本で1組になっているのだとか。
今回の実験では、私たちからアルコール代謝を識別する遺伝子を取り出して、2本で1対になっているその遺伝子が、
2本ともを「野生型ホモ」であれば、お酒に強い体質・・・(1)、
1本が「野生型ホモ」で1本が「変異体のヘテロ」であれば、顔には出るがお酒はそれなりに飲める体質・・・(2)、
2本とも「変異体のヘテロ」であれば、お酒に弱い体質・・・(3)、
ということになるのだそうです。

最近の私は、飲むとすぐにヘロヘロに酔ってしまうので、おそらく(2)の「顔には出るがお酒は飲める体質」じゃないかと予想を立て、実験に臨みました。
(参考資料:県別のアルコール分解遺伝子指数)

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口の中(頬の裏側)を綿棒でぐりぐりと擦ります。
こうすることで、綿棒に私の細胞がくっつくのだそうですよ。

で、いろいろやります。
(先生の助手(学生)の指導の言いなりに作業をします)
その結果、綿棒で採取した私の細胞の中にあるDNAを増殖させ、それを分析をすることによってアルコール代謝の強弱が分かります。

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実験の数日後のこと。
先生の研究室の学生さんから、実験結果を知らせるメールが来ました。

《Kばやしさんは野生型ホモ
きれいにバンドが出ているので、画像も確認お願いします》

この画像によると、私は「野生型ホモ」つまり(1)なのだそうです。
(なんだかよく分からないが)

ま、私はそれなりに飲める体質ということらしいです。

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話を松方弘樹に戻します。
なんと松方は、もともとはお酒が飲めなかったそうです。

《松方「最初は一滴も呑めなかったんですが、一年かけたら二升飲めるようになりました」》

大学で学んだこととして、酒が飲めるか否かは遺伝子の問題なので、
訓練によって飲めるようになるなんてことはあり得ないと思うのですが・・・。
(それにしても二升はスゴイ量です)

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松方は阿川佐和子との対談で、撮影所のあった京都での思い出を語っています。

《松方「三船(敏郎)さん、裕ちゃん(石原裕次郎)、オーナー(勝新太郎)、それから錦兄(萬屋錦之介)の四人が、僕も行くバーによく来てて」》
いやあ、豪華ですねー。

《松方「挨拶しなきゃと思って『おはようございます』『おう!座れ』『はい』『ブランデーでいいか?』『はい』『誰と来た?』『友達と来てます』『おう。じゃあこれ一本飲んだら行け』ってボトルを一本置かれるんです」》
このパワハラのおかげで三十分でブランデーを一本飲めるようになったのだとか。

確かに、この4人に囲まれるというとんでもない環境なら、科学的な根拠を覆して、
遺伝子的に飲めない体質でも、飲める体質に変化してしまうかもしれないとも思ったのです。

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ただ、
酒が飲めるかは、遺伝子だけで断定できないそうです。
ちなみに、私は体も小さいこともあり、それほど飲めないのですよ。二日酔いにもなりますし。
なわけで、お手柔らかにお願いします。

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(おまけ)
三船敏郎は酒乱と言われていますね。
松方によると、
《松方「裕次郎さんは強かったですね。オーナーは飲みますけど飲まれる。錦兄は普通に飲むけど弱い」》
私は、錦兄タイプかな。

松方弘樹は今、病気闘病中だそうです。
飛び抜けてウマイ松方さんの復活が待ち遠しいです。
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