厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 映画

「男はつらいよ 噂の寅次郎」の名場面。
旅先で寅さんが大滝秀治扮するお坊さんとすれ違うシーンがあります。
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すれ違いざま、大滝秀治(お坊さん)が寅さんに声をかけます。
お坊さん「もし、旅のお方・・・」
寅「何か?」
お坊さん「誠に失礼とは存じますが、あなたお顔に女難の相が出ております。お気をつけなさるように」
寅「(神妙な表情で)わかっております。物心ついてこの方、そのことで苦しみ抜いております」
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失恋ばかりの寅さんには「女難の相」があるそうです。

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「女難の相」という言葉で思い出すのは、水戸泉こと現・錦戸親方です。
水戸泉は、豪快な塩撒きと結婚詐欺に引っかかったことで有名な力士です。
婚約発表の数日後、婚約者の重婚を知り破談になりました。

それから20年ほど経ち、22才年下の若妻と結婚した水戸泉。
だいぶ前の週刊新潮に、結婚後の水戸泉についての記事が掲載されました。
見出しによると《元「水戸泉」部屋の崩壊・・・親方夫妻に悪評が噴出》。
記事によると、わがままな若妻の言いなりになった水戸泉は力士の指導をおろそかにします。
当然、後援者らは親方夫婦に激怒。
後援会のみならず弟子にも愛想を尽かされ、部屋が崩壊寸前なのだとか。
まさに「女難の相」を持つ男です。

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少し前の話ですが、仕事で茨城県(水戸など)へ行きました。
私にとって水戸といえば、なんといっても水戸泉を輩出した地という印象です。

また、江戸時代、水戸藩の藩士は「桜田門外の変」で大老の井伊直弼を襲撃したこともあり、血の気の多い地というイメージがあります。
仕事で、水戸という(結婚)詐欺とテロのメッカに足を踏み入れました。
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井伊大老の首を取り、歓喜する水戸藩士たち(映画「桜田門外ノ変」より)

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話は変わります。
前回の句会で、Hま氏から景品として「山田風太郎 明治小説全集 明治断頭台」(ちくま文庫)をいただきました。
先日読み終えましたが、ずいぶん面白い本でした。
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この「明治断頭台」という小説は、明治初頭の東京が舞台。
弾正台(だんじょうだい)という《役人の汚職を調べ糾弾する役所》に勤める若い二人の役人が、難事件を次々と解明していくという推理小説です。
弾正台という役所は、ギロチンで汚職した役人を斬首する機関でもあったので、小説のタイトルが「明治断頭台」なのです。

弾正台のトップは、《井伊の首をとった男の兄貴》という水戸藩ゆかりの男。
また、弾正台の置かれた場所は、井伊家の屋敷跡でした。
水戸藩ゆかりの男が、井伊家の屋敷跡で、斬首の仕事を務めるというのも何かの因果です。

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映画「桜田門外ノ変」の話に戻します。
水戸藩士たちが井伊直弼を暗殺。
その結果、暗殺に関わった水戸藩士は罪人になり、逃亡。
見つけられては次々と斬首されます。
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主人公の大沢たかおも斬首され血しぶき!

ただ「桜田門外の変」は、薩摩藩にそそのかされて、水戸藩が実行したという側面があります。
にもかかわらず、罰せられたのは水戸藩のみ。
逆に、薩摩藩は権力の中心になっていきます。

私は映画を見ながら、薩摩藩に騙された水戸藩は、あたかも婚約者に騙された水戸泉のようだと思ったのでした。

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水戸学という過激思想の発信地である水戸。

茨城出張はなんとかこなしました。
手強いお客さんからの攻撃から身を守り、無事に生還しました。
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出張中の私(映画「水戸黄門」より)
ギューギューのスケジュールで茨城をあちこち行脚。
(実際の水戸黄門の旅先も茨城近辺のみだったとか)

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駅ビルでおみやげを購入。
水戸泉グッズが売ってなかったので渋々水戸黄門のお菓子を買いました。
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夏休みのこと。


「Hakuba47」(白馬フォーティーセブン)という長野県の白馬にある公園施設へ行ってきました。

冬はスキー場、夏はアスレチックやバーベキュー、川遊びなどができる施設になります。

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ところで「Hakuba47」は、どうして「47」なのだろうか。

どうせ「AKB48」に触発された安直な命名なのではと推測した私。


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話は少し逸れますが、

ちなみに、私にとって「AKB48」は無論、内海桂子とあした順子のコンビのことを指します。

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何年か前、内海桂子&あした順子は、「AKB48」と称して笑点に出演していました。

数年前の新聞記事のまた引きですが、

《浅草公会堂での漫才大会では”新しいコンビAKB48は、Aはあした順子のA、Kは佳

子のK、BはばばあのB。48はシワだらけのばばあよ”とネタを披露。AKB48の”会

いたかった”に乗って踊った後”何がアキバよ。私たちは焼き場よ”と追い打ちをか

け、ももいろクローバーZを引き合いに”私たちはハラグロよ”と止まらない。》


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それでHakuba47の開業年を調べました。

すると、1990年に開業とのこと。

AKB48の結成は最近のことなので、Hakuba47のAKB48起源説が成り立たないことが判明しました。


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そこで、忠臣蔵ファンの私はピンときました。

47という数字は、赤穂浪士の人数(四十七士)と合致しているのです。


Hakuba47の経営陣は、忠臣蔵ファンを取り込もうという経営戦略を立てたに違いないと私は合点しました。

日本にいる数百万人とも数千万人ともいわれる忠臣蔵ファンが、Hakuba47の潜在的な顧客になるというわけです。


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47という数字に関しては、Hakuba47と同様に、ハリウッドも忠臣蔵ファンを取り込みたいとみえて数年前に「47RONIN」という映画を製作しています。

(※「47RONIN」は「フォーティセブン ロウニン」と読みます)

ハリウッド版の忠臣蔵です。

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左から、47RONINの吉良上野介(浅野忠信)、浅野内匠頭(田中泯)。

衣装もセットも派手でピカピカしていて、私は唖然となりました。


47RONINのストーリーは忠臣蔵を踏襲していますが、驚くべき違いは、なんと、吉良上野介の側室である菊地凛子が妖怪という点!

菊地凛子が妖術を使い、浅野内匠頭を錯乱させます。

錯乱して刃傷沙汰を起こした浅野は、将軍に切腹を命じられるのです。

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将軍(写真左)「切腹を命ず!」

なんていう衣装だ・・・。めちゃくちゃだ。


キャストは豪華です。

大内内蔵助は真田広之。大内主税は赤西仁。

主演のキアヌリーブスは、カイという異邦人の赤穂浪士。

吉良邸へ討ち入りをしたキアヌリーブスと、迎え撃つ菊地凛子(吉良の側室)。

菊地凛子は妖術でドラゴンに変身し、赤穂浪士のキアヌリーブスとチャンバラをするという展開には、絶句。めまいがしました。


寸評をすると、忠臣蔵ファンにとっては苦々しいだけの映画でした。

逆に言えば、苦味を楽しむことのできる大人のためのビターな映画、とも言えます。


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Hakuba47で、私と私の息子(2才)はアスレチックで遊びました。

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あたかも、吉良邸に討ち入りにいく大石内蔵助と大石主税のような気分です。


Hakuba47で遊ぶファミリーたちは、私の目には義士にしか見えませんでした。

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(大内内蔵助の気分で遊ぶ私)


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後日談。

「Hakuba47」の名前の由来をインターネットで調べると、47は「4シーズン、7デイズ」の意味とのこと。

つまり、「4」は春夏秋冬。「7」は月火水木金土日。

《一年を通して楽しめるパーク》という意味なのだそうです。


大石内蔵助のような気分で遊んでいた私は、まったくの場違いだったということが判明しました。


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(おまけ)
過去の忠臣蔵について書いた日記
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仏教の映画を続けて観ました。

1本目は、

「禅ZEN」(松竹)という道元の伝記映画です。

道元役は、当代の中村勘九郎。

道元は「禅」という当時にしてみれば新しい考えを大陸から導入したため、守旧派である比叡山から邪宗扱いをされ、また、武装した僧兵たちから迫害を受けます。

そこで、福井の山奥に要塞のような修行場(永平寺)を構えるのです。

道元は、異端の僧侶だったんでしょうね。

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(僧兵に迫られる道元)

映画の舞台は永平寺に移ります。

映画鑑賞自体が「禅」のような苦行めいたことになるのではないか・・・と心配していましたが、道元の弟子と内田有紀の禁断のロマンスがあったり、なんとか最後まで見ることができました。


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私の住んでいる長野には善光寺というお寺があります。

善光寺は、天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の2つの宗派によって運営されています。


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天台宗側のトップは、貫主(かんす)と呼ばれています。

その貫主(84才)に、数年にわたりくすぶっているスキャンダルがあります。

貫主がセクハラ、パワハラを乱発していたというのです!


思いどおりに権力をふるい、セクハラとパワハラを繰り返すこの怪僧に対し善光寺周辺からは退任を要求する声が噴出します。

私は、この貫主をいいキャラクターをしていることもあり「平成の道鏡」と呼びたいと思っていました。

(※道鏡は奈良時代に政治権力を持った怪僧で、巨大なイチモツを持った絶倫として知られています)


「平成の道鏡」に対する退任要求の声が届き、ここへきてようやく退任が発表されました。


しかし!

先日の信濃毎日新聞によると、

《善光寺大勧進の小松玄澄貫主(げんちょうかんす)(84)が職員に差別的な発言やセクハラをしたとされる問題で、

「しかるべき時期」の退任を表明していた小松貫主は9日、退任の撤回を表明した。

同日、善光寺周辺の宿坊でつくる天台宗一山の住職ら11人を、虚偽の事実を流して辞任を迫ったとして、業務妨害と強要の疑いで長野地検に告訴した。》

《告訴状は、/貫主がセクハラや差別発言をしたとする虚偽の事実を流し、本堂への出仕(昇堂)禁止を迫るなど業務を妨害したと主張。》

おお!

僧兵たちのクーデターに対し、怪僧が反撃に出たというニュースです。

怪僧と僧兵の激突、今後の展開を見守りたいですね。

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(毎日新聞より)


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ただ、

天台宗務庁(比叡山)は、貫主を退任させる意向のようです。

道元の場合は、比叡山と対立し永平寺に要塞を作りました。

長野の異端の僧はどうするのでしょうか。


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2本目の仏教の映画は、「空海」(1984年 東映)。

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空海(弘法大師)役は、北大路欣也。

空海の叔父(空海の後見人)役が、森繁久彌です。


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印象に残ったシーン2箇所を挙げたいと思います。


・印象に残ったシーン その1

富士山が大爆発を起こします。

北大路空海は、逃げまどう村人たちを洞窟に避難させます。

洞窟に避難した男女に対し、北大路空海は、生きる意欲を湧き立たせるためにここでセックスをしろと熱弁します。

避難民は、空海の煽動に従い、乱交を始めるのです。

いくら東映とはいえ、絶句する私。

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で、洞窟の中でセックスに陶酔する男女の姿と、

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性交しているインドの神々(?)を重ね合わせる演出。


真言宗が全面協力した映画です。

真言宗の懐の深さに感服しました。


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・印象に残ったシーン その2

年老いた北大路空海は、真言密教を悟ります。

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空海の脳裏に浮かぶ密教の奥義。


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空海の脳裏に浮かぶ千手観音。
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空海の脳裏に浮かぶ曼荼羅。
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空海の脳裏に浮かぶ女体。


いやはや・・・、

まだ悟れていないんじゃないかと疑ってしまう私。

この演出(まだ煩悩にとらわれているんじゃないかと思わせる演出)に唖然としました。


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ここで私が言いたいのは、弘法大師ですらセックスを奨励するのだから、

いわんや、長野の怪僧をや。

つまり、「にんげんだもの」ということです。


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(おまけ)

友人のAしざわさんに教えてもらった「空海」のゴシップを最後に紹介したいと思います。


北大路空海の最期は、高野山で何十人(何百人?)もの弟子たちに囲まれながら静かに入滅するというもの。

弟子たちに交じって、空海の後見人である森繁久彌も、空海の最期を見守ります。

高野山は空海の弟子たちの読経が鳴り響くのです。

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この神妙なシーンの撮影が終わり、監督が「カット!!OK!」と叫びます。

すると、

森繁が「暑ーい!」と、すぐさまオレンジの装束を脱ぎ払い、涼しい格好になるや否や「暑かったー!」と言ったのだとか。


最高ですね。

ま、「にんげんだもの」ということです。


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あしたは12月24日ですね。

私にとって12月24日は、まだまだ忠臣蔵討ち入りの余韻が冷めずクリスマスなんて悠長なことは考えられませんね。

(忠臣蔵の討ち入りは12月14日)


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丸谷才一の句集を読んでいたら、こんな句がありました。


《(五列目にて芝居を見て)

討入やいろはにほまで雪の中》


いかにも丸谷先生の俳句です。

《いろはにほ》というのは、歌舞伎座の座席表のことでしょう。

舞台は紙吹雪の雪がチラチラ舞っているのでしょう。


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「忠臣蔵」のクライマックスは、雪の夜の討ち入りです。

片岡千恵蔵が大石内蔵助を演じた東映の「忠臣蔵」は、


千恵蔵が吉良上野介を討ち取って、映画が終わります。

突然画面の真ん中に「終」の文字!


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でも実際は、四十七士は討ち入りのあと切腹することになるんですよ。

そんなわけで、切腹をラストシーンに盛り込む映画もあります。


先々代の市川猿之助が大内内蔵助を演じた松竹の「大忠臣蔵」は、討ち入りのあと、


「仮名手本忠臣蔵」の本をバックに、ナレーションで切腹の説明をして終わります。


一方、萬屋錦之介が大内内蔵助を演じた東映の「赤穂城断絶」は、切腹に臨む錦ちゃんのカットがありました。


このような切腹という暗くてむごい結末が待っていると、娯楽作品であるにもかかわらず、なんとなくスカッとしないんですよね。

もっと気持ちよくパーッと終われたらいいのに、なんて思うことがあります。


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1年か2年前、

NHKで北島三郎が大内内蔵助を演じた舞台の「忠臣蔵」が放送されました。

コロッケは、たしか大内主税だったと記憶しています。


吉良上野介は、前川清です。


紙吹雪の中、討ち入りが行われます。

見事、サブちゃんが吉良上野介を討ち取ったところで・・・・・・、

どういうわけか大内内蔵助が、「まつり」を歌い出します!


コロッケ(大内主税)も一緒に!



討ち取ったはずの前川清(吉良上野介)まで一緒に!



これぞ年末にふさわしい大団円というものでしょう。

年の暮れの明るさにはひたすら楽しくて愉快な娯楽が似合いますね。


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サブちゃんの「忠臣蔵」見に行きたいなあ。


《討入やいろはにほまで雪の中》


年末には、丸谷先生のいかにも技巧とユーモアで句作した「人生を削っていない」明るい句集が似合うというものです。

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「もののけ姫」に、乙事主(おつことぬし)というイノシシの化物が登場します。


乙事主は、高齢のイノシシであり、「海を渡ってきた」というセリフもあります。

ちなみに、声の主は森繁久彌。


森繁は「もののけ姫」に出演当時すでにかなりの高齢でした。

また、戦時中は満州でアナウンサーをしていましたが戦後「海を渡り」帰国した過去があります。

そんなわけで、森繁とイノシシの神様の経歴は重なるんですよね。


さらに、


乙事主がイノシシの大群を率いているように、森繁も「森繁劇団」を主宰していました。 


「森繁劇団」の舞台には、三木のり平や山茶花究なども出演しています。


昨今イノシシが里に下りてきて田畑を荒らしていることが問題になっていますが、

そんなニュースを見聞きするたびに暴れ回る「乙事主率いるイノシシの大群」のことを思い出し、ひいてはアドリブ乱発の「森繁劇団」のことまで思い出してしまうのです。


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11月の亥の日のこと。

百貨店で亥の子餅を買ってきました。


源氏物語に登場する菓子として、《旧暦十月亥の日に食べる亥の子餅があります》。


(写真右:亥の子餅/「和菓子を愛した人たち」より)


イノシシには、火を制するという信仰があり、その昔は火災を逃れるために亥の日にいろりやこたつを出したのだとか。

茶の湯でも、この日を炉開きの日にしており、お茶菓子として「亥の子餅」を用いるそうです。


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わが家には、薪ストーブがあります。

縁起を担ぎ、亥の日に薪ストーブに火を入れました。


風呂に入っているときのように、身体の芯が暖まりますよ。


百貨店で買ってきた亥の子餅(2種類)を開けて、いただきました。




形は、うり坊のようでカワイイです。

ただ、店によって製造法がまったく違うようです。


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「もののけ姫」で、美輪明宏がモロというオオカミの化物の声で出演しています。


(乙事主とモロ)

美輪は、宮崎駿に「乙事主とモロは、その昔いい仲だったと思って演じて下さい」と言われたのだとか。


森繁は女性へのスキンシップが過剰であることで知られていますが、

後年、呆けたふりをしてことあるごとに女性の手や膝を擦っては「あなた、その昔、私とイイコトをしましたかな」なんて言っていたそうです。


私は薪ストーブの前で亥の子餅を口にし、

モロの手をにぎにぎしながら「あなた、その昔、私とイイコトをしましたかな」などと言っている乙事主の姿を想像していたのです。

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