厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 千葉

房総半島旅行(その4)

成田山を参拝し、帰路につこうというとき、
妻君「せっかくここまで来たんだから、香取神宮も行こうか」。
香取神宮は、千葉と茨城の県境(霞ヶ浦の南側)にある歴史ある神社です。
急遽、香取神宮へ行くことになりました。
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香取神宮
明治以前、「神宮」を名乗っていたのは、伊勢神宮と香取神宮(千葉県)、鹿島神宮(茨城県)のみだったとか。
由緒ある神社です。
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合掌する私(イメージ写真)
映画「民暴の帝王」より

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香取神宮を参拝して、帰路につこうというとき、
妻君「せっかくここまで来たんだから、鹿島神宮まで行っちゃおうか」。
鹿島神宮は、霞ヶ浦の北側、つまり、香取神社の対岸にあり、すぐに行けてしまう場所なのです。
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鹿島神宮
鹿島と香取は昔から深く関わりがあったそうですね。

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「やすらぎの刻~道~」という倉本聰脚本のドラマは、私の毎日の楽しみです。
老人ホームで暮らす脚本家役の石坂浩二(菊村栄)が、主人公。
石坂は、太平洋戦争のころの山梨を舞台にした物語を書いています。
その脚本(劇中劇)の中に、剣道場のシーンがあります。
いまから70年以上前の田舎の剣道場の神棚に、一対の掛け軸がかけられていました。
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奇しくも「鹿島大明神」と「香取大明神」。

この「鹿島・香取」の掛け軸のセットは、武道にまつわるところでは一般的なのでしょうか。

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話を戻します。
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鹿島神宮の奥には、鹿がいました。
そういえば、鹿島神宮の近辺にはいたるところに鹿島アントラーズ(鹿のキャラクター)の看板がありました。

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先日のNHK「ブラタモリ」の特集は「ちばらき」でした。
千葉と茨城の県境の地域を「ちばらき」というのだそうです。
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鹿島神宮でお参り

「ブラタモリ」の中で、平安時代に鹿島神宮の神が、鹿に乗って奈良へ出かけたという伝説が紹介されていました。
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(右:鹿島から奈良へ行く神)
奈良で鹿が神様扱いされているのは、「ちばらき」の鹿に由来しているとのこと。

また、ブラタモリによると、平安時代、ヤマト朝廷にとって「ちばらき」の霞ヶ浦は、蝦夷(東北)に対する軍事拠点として非常に重要な地域だったのだとか。
霞ヶ浦は、太平洋と内陸を繋ぐ水運の要所で、派兵や大量の物資輸送が可能な軍事拠点でした。
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そんなわけで「ちばらき」の鹿島神宮と香取神宮には、勇ましい武神を祀っているとのこと。

なるほど。
剣道場に勇ましい「鹿島・香取」の掛け軸がかけられている、というのに得心しました。
武道の神は、「蝦夷に勝つぞ」の神なのでした。
(ただ、東北の古代文化ファンの私はどうしても蝦夷贔屓になり、仲良くしていただきたいところですが)

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(おまけ)
大納言というのは、平安時代(や奈良時代)の高位です。
「やすらぎの刻」にも大納言という役名で一世風靡した役者という設定で、山本圭が出演していました。
その大納言(山本圭)が、ドラマの中で死にました。
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往年の「大納言」役の決めゼリフが、公家の格好をし歌舞伎調で「いかにもォ〜」。
大納言が亡くなり、友人の加賀まりこが献杯。
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「いかにもォ〜」
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一同「いかにもォ〜」
名シーンでした。

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房総半島旅行(その3)

成田山新勝寺へ行きました。

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参道は大賑わい。
一般的にお寺の参道にある甘味処というと、団子屋か餅屋です。
新勝寺の参道では、どういうわけか、ようかんを売っている店が何軒もあります。
というのもいまから120年ほど前、成田山参道にようかん屋の「米屋」が創業し、名物になったことに由来しているのだとか。
(いま米屋は巨大菓子メーカーになっています)
そんなわけで、成田山の参道には団子屋や餅屋よりもようかんを売っているお店の方が多いのです。
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米屋の裏に「羊羹博物館」があります。
(米屋が運営している様子)

羊羹の歴史や道具などが展示されていましたが、一番の見どころは、かつての羊羹工場の様子が写真などで展示されていることと、成田山の参道の変化が一目で分かる古くて貴重な写真が展示されていることです。

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その昔、岩下志麻が、米屋のイメージキャラクターだったようです。
「とっても、おいしいですよ」とほほえむ清楚な笑顔が印象的です。
その後、ヤクザ映画にも出演するようになり、
いまなら「わてがウマイ言うたらウマイんや!あほんだら!」と、ドスのきいたイメージキャラクターになっていたかもしれませんが。
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(「極道の妻たち」より)

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うなぎ屋もたくさんありました。
どのお店も行列です。
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店先で手際よくうなぎを割いてゆく職人さん

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新勝寺へ到着。

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本堂へ。
本堂では、祈祷が始まるところでした。
せっかくなので、正座をして参加することにしました。

饒舌な僧侶がマイクを持って、参拝者に向かって祈祷の説明をします。
元号が変わったことを祝して特別の祈祷を行うのだとか。

僧侶いわく「本日は20年ぶりに大般若経の『転読祈願』をさせていただきます」。
『転読祈願』??
初めて聴いた言葉です。
これから何が始まるのだろう・・・と思っていると、本堂へ何人もの僧侶が入ってきました。
どのお坊さんも、お経の書かれた本(蛇腹折りにたたまれた経典)を持っています。
どうやら、何冊もある般若経の経典を、僧侶1人につき1冊ずつ分担して持っているようです。
読経が始まると、それぞれの僧侶がアコーディオンを演奏するように経典をバサバサバサバサと派手に広げたり閉じたりさせます。
つまり、『転読祈願』というのは、何冊もある経典をすべて読みあげると日が暮れてしまうので、バサバサバサバサだけでお経を聞いたことにしちゃいましょう!というお寺のありがたいサービスなのだと分かりました。
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「バサバサバサバサ」のイメージ写真(「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」より)
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(この映画で、寅さんはなりゆきで僧侶の格好をし読経のまねごとをすることになるのですが、読経中、手を滑らせて経典をあたかも『転読祈願』のようにバサバサさせてしまうのです)
寅さんのように、成田山の僧侶も経典をバサバサさせます。

饒舌な僧侶は、「なるべく大きなことを願って下さい」とのこと。
うーむ、とっさに願いごとをしろと言われても「酒池肉林」しか思い浮かばない私。
僧侶は「大きな願いというのは、例えば、家内安全より、地域の発展。国の繁栄よりも世界の平和というふうに、ひとつ大きなことをお願いされるといいかもしれません」。
というわけで私も、「酒池肉林」ではなく「酒湖肉森」(造語)という、ひとつ大きなお願いをし、妻君、息子とともに合掌。
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イメージ写真(映画「極道の妻たち」より)

五木寛之の本(「歌の旅びと」)によると、江戸時代、成田山への講、つまり団体参拝がたいへん盛んだったそうです。
その理由は、成田山を参拝してから船橋で精進落としをするという「祈り&遊び」のパッケージが人気を集めたのだとか。
船橋には、成田山の参拝者に向けた遊郭もありました。
船橋で遊ぶのを楽しみに、成田山へお参りしていた人々(つまり「酒池肉林」を祈願するような私のような輩)が、昔から大勢いたということでしょう。

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成田山の広い境内には、アトラクションのように文化財が点在しています。
存分に楽しむことができました。

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(おまけ)
参拝を終え、参道を戻ります。
すると、銅像を発見。
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三橋鷹女像。
情熱的な俳句で知られる、人気俳人です。
鷹女の代表的な俳句は、
鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし》
鞦韆はブランコのことです。
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鷹女は成田の名家の生まれとのこと。
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房総半島旅行(その2)


鴨川市を観光しました。


鴨川出身の有名人といえば・・・・・・、

そうです。日蓮聖人です。


鴨川に「鯛ノ浦」と呼ばれる海岸があり、その目の前に日蓮聖人の生家があったとか。

いま、日蓮の生家は「誕生寺」という立派なお寺になっています。

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誕生寺

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若き日の日蓮(境内にある銅像)


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こちらも若き日の日蓮(映画「日蓮」の萬屋錦之介)

鴨川の朝日に向かって、萬屋日蓮は叫びます。

「われ、これより日蓮と名のらん!」

そして、

「なん、みょー、ほー、れん、げ、きょー!!」。

萬屋の顔の力に痺れます。


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誕生寺の中には「鯛塚」と呼ばれる、鯛の墓がありました。

この地には鯛信仰があるようです。

「鯛塚」の説明看板によると、

日蓮が生まれた瞬間、《聖人の生家前に広がる浦には、大きな山が崩れたかと思われるほどの轟音とともに、金色に輝く五尺あまりもある雌雄2匹の鯛が、海中から飛び跳ねた》

この「奇跡」のために、誕生寺の前の海岸は、「鯛ノ浦」と呼ばれるようになったようです。


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そのほかにも日蓮聖人にまつわる奇跡(伝説)は、たくさん残っています。

映画「日蓮」の中で、とくに私が気に入っている「奇跡」を紹介したいと思います。


島流しにあった日蓮(萬屋錦之介)。

そこに西村晃が、萬屋を暗殺をしようと、刀で襲いかかります。

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西村「うりゃー!」

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萬屋は動じません。

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萬屋は、数珠で西村の刀を奪い取り、空高く刀を放り投げたのです。

数珠によって成敗された西村は、萬屋の門下になりました。

さすが、萬屋!


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日蓮聖人が生まれた「誕生寺」には、二股に分かれた立派な松がありました。

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妻君いわく「この松があったから『誕生寺』っていうのかな?」

たしかにこの松、分娩中の妊婦の下半身に見えますね・・・。

妻君は、日蓮に対して全く関心がなく、分娩をしているような松があるから「誕生寺」なのだと主張したのです。

驚きの主張です。


でも、ひょっとしたら、「誕生寺」の由来について、日蓮の生誕地というのは後付けで、二股の松の存在が先行していたという説、真理かもしれませんね。


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誕生すれば、死もあります。

映画「日蓮」では、入滅(日蓮がお亡くなりになる)シーンも描かれています。

弟子たち向かって、萬屋日蓮は病床で「私の夢をお伝えください、お伝えください・・・」と弱々しく呟きます。

ついに没するのかと思いきや、突然起き上がり、

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「私の夢を!私の夢をー!」
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「いつまでも!いつまでもーァ!!!」
日蓮は叫んで入滅。

死の直前で萬屋の顔面エネルギーはMAX。

熱演、というより怪演です。


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誕生寺の本堂に日蓮宗の公式アプリの宣伝ポスターが貼られていることに気がつきました。

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参拝すると「参る(マイル)ポイント」がたまるとのこと。

早速ダウンロードしました。


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帰り道。

車で運転中、「日蓮」という名前の交差点を発見。

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日蓮交差点の信号機に向かって、私は「南無妙法蓮華経!」と急いで合掌しました。

(ちなみに、私は日蓮宗ではありませんが・・・)


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ところで萬屋錦之介は、日蓮宗の信者なのだろうか?


「勝新太郎対談集」の中で、勝新太郎は瀬戸内寂聴と対談しています。

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それによると、

《勝「(京都駅で)風体の悪いやつが向こうからコートの襟立ててワーッと歩いてくる。どっか、神戸の山口組のところの若い衆かなと思ったら、これが萬屋錦之介なんだね」》

勝は、萬屋に、俺はさっきまで仁和寺に参拝していたと伝えたのだとか。

すると、萬屋もこの日仁和寺に参拝していたと答えたのです。

そこで勝は、仁和寺でもらった大日如来の仏像を萬屋に見せたといいます。

《勝「(仏像を)見せてやったら、いきなり新幹線のホームのところに土下座しちゃって、「南無・・・・・・ムニャムニャ・・・阿弥陀ウンケンバタラダテバ・・・・・・」って手を合わせて拝むんだね」》

《勝「(必死の形相で)こんなことしてね。あ、こいつももうじき倒産するなと思ったね、そんな神頼みしているようじゃ。それからさ、新幹線にあるありったけの酒を全部買い上げちゃってさ、二人で飲んだんだよ。・・・・・・その二日ぐらい後に錦之介は倒産しちゃった(笑)」》

これは、萬屋錦之介が経営していたプロダクションが倒産したときのエピソードなのですが、抜群にいい話です。


この勝新太郎の証言によると、仁和寺は真言宗ですし大日如来も真言宗の本尊なので、萬屋錦之介は日蓮宗ではなかったのではないかと私は推断しました。


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(おまけ)

鴨川シーワールドへ行きました。

すばらしい水族館です。

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大人気のシャチショーを水槽の目の前で観ました。

係員いわく「水槽の水で座席がぬれますのでご注意下さい。バケツの水を何杯もかぶるようなイメージです。後方の席のお客様も靴の中までびしょぬれになります。必ずカッパを着てご観覧下さい」とのこと。


係員の注意は脅しなどではなく、事実そのものでした。

巨大なシャチがジャンプするたびに、津波のような水しぶきが客席に襲いかかります。

ずぶ濡れになるシャチショーは、鴨川シーワールドの名物アトラクションのようです。

シャチが飛び跳ねるたびに客席は悲鳴。

客席「きゃー!!」

一方、私は「南無妙法蓮華経!」


日蓮聖人が生まれた瞬間、大きな鯛が轟音とともに海面から飛び跳ねたという伝説があります。

大きな鯛と同様に、シャチもジャンプ!

そのとき、私に萬屋日蓮が乗り移ったのでした。

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「なむ、みょー、ほー、れん、げ、きょー!」

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5月の連休。

旅先での昼過ぎ。


私はひとりで木更津を散策しました。

(妻君と息子(3才)は、遊び疲れて車中で爆睡)


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木更津駅周辺をぶらぶら。

ほかの観光地の大混雑と比較してしまうせいか、木更津はずいぶんさびれているように感じました。

駅前は、閉まっているシャッターが目立ち、ほとんど人は歩いておらず、閑散としていました。

(町の中心が郊外へ移ったことも原因だろうと思いますが)


ただ、さびれている町並みなのですが、どういうわけかキャバクラやラブホテルだけはピカピカの店構え。

風俗店の数があきらかに多いのです。

氣志團(木更津で結成されたヤンキーバンド)を生んだ土地であるのも納得です。


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木更津駅のそばに、證誠寺(しょうじょうじ)というお寺があったのでお参りすることにしました。

證誠寺に着くと、庭先にラブホテルがドーンと建っていました。


このお寺は、童謡「しょうじょう寺の狸囃子」のモデルになったお寺とのこと。

「しょうじょう寺の狸囃子」の、作詞は野口雨情、作曲は中山晋平。

ゴールデンコンビです。


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庭には、童謡の記念碑がありました。


♪しょ しょ しょうじょうじ 

しょうじょうじの 庭は

つ つ 月夜だ

みんなでて こいこいこい

おいらの 友だちゃ

ポンポコポンの ポン♪


タヌキをヤンキーに置き換えて解釈してみます。

真夜中に、キャバクラやラブホテルから出てきたヤンキーたちが悪ノリをして大騒ぎしている様子が目に浮かびます。


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境内にあった狸塚。

「木更津キャッツアイ」(宮藤官九郎脚本のドラマ)の中で、ときどきタヌキの置物が登場するのですが、出典は證誠寺だったようです。


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木更津の港のひなびた風景を眺めながら散策。

私の脳裏に、かつて私が住んでいた沼津の風景が重なりました。

沼津もやはり、木更津と同じ港町。

私の記憶では、当時、沼津の海沿いにソープ(風俗店)の看板が立っていました。

そこには、「木更津よりソープ嬢を派遣」という宣伝文句が書かれていたのです(たしか)。


かつて、港町は男性人口が多かったこともあり、風俗店の数に影響しているのでしょう。


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木更津と風俗。

さらに、別の記憶が蘇ってきました。


小沢昭一(俳優・ラジオパーソナリティ)は、絶滅しそうな放浪芸を取材し、記録するのをライフワークにしていました。

芸能の原点として、神事、お坊さんの説教、シャーマン(いたこ・ユタ)、演芸、露天商の啖呵売、スポーツ、風俗(トルコ・ストリップ)などを並列に、平等に、記録しています。


小沢さんによると、神が憑いたように踊るストリッパーは、神事(芸能)を行った巫女の末裔とのこと。

《わが国でもやはり、巫女さんが芸能のはじまりである、というふうにいわれております。》

《戦後間もないころ、早稲田の河竹繁俊先生が、日本演劇史の講義で、アメノウズメノミコトはストリップの元祖だとおっしゃったとき、学生はどよめいたものであります》

(「ものがたり 芸能と社会」小沢昭一より)


小沢昭一は、ストリッパーの一条さゆりを芸人(表現者)として最大級に評価していました。

一条さゆりは一世風靡します。

しかし、あるとき一条さゆりの舞台はワイセツ罪にあたるとされ、逮捕されたのです。


そんな折、木更津の「木更津別世界」というストリップ小屋が、一条さゆりに復帰の舞台として正月興行の出演のオファーをしました。

(「木更津別世界」のオーナーである桐かおるも、ストリッパーの第一人者でした。)


小沢昭一は、放浪芸(一条さゆり)の取材で「木更津別世界」へ出向きます。

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「木更津」

(「昭和の肖像 町」小沢昭一より)


小沢昭一と同行した市川捷護によると、《1月5日、木更津は正月ということもあり静かな街だった。》

《舞台裏の一条さんを訪ねると、突然の小沢さんの訪問にびっくりしながらも、(一条さゆりは)とても嬉しそうな様子》だったとか。

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一条さゆりの出番前、小沢さんは前座を買って出たといいます。

舞台に上がった小沢昭一は、開口一番《「えー、刑事さんはいないでしょうね」》と言い、爆笑をさらったそうです。

(「回想日本の放浪芸 小沢昭一さんと探索した日々」市川捷護より)


《歌舞伎でも、その発生期の阿国歌舞伎(おくにかぶき)といわれるものは売春兼業の、わいざつハレンチなミセモノをやっていた》にすぎなかったとか。

江戸時代、ワイセツだからという理由で、お上の弾圧があります。

一条さゆりの逮捕と似ていますね。

江戸時代、《遊女歌舞伎が禁止されると、女がダメなら男があるさで、若衆歌舞伎が生まれ》ましたが、それもワイセツだったり男色により風紀が乱れるという理由で弾圧されると、

《今度は前髪をおとせば若衆じゃござんせんで、野郎頭の野郎歌舞伎に変幻》、かえって洗練されて人気が集まったそうです。

(「私のための芸能野史」小沢昭一より)


《芸能を活気づかせ、オモシロクさせるのは、お上の取り締まりのあずかっているところも大きい》という小沢昭一。

こういうスケール観にほれぼれします。


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初めて訪れた木更津なのに、散歩をしているうちに、いろんな記憶がほぐれて、脳裏に現れてきました。

面白いものですね。


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(おまけ1)

旅先のホテルにて。

テレビをつけると、BSで「男はつらいよ 寅次郎紙風船」が放映されていました。

酒を飲みながら見ていると、

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(小沢昭一)

寅さんの旧友の役で登場。

木更津で蘇った小沢さんとの嬉しい再会でした。


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(おまけ2)

木更津に来る前、房総半島のマザー牧場へ行きました。

マザー牧場ではしゃぎ疲れた妻君と息子が眠ってくれたおかげで、私は静かに木更津の散歩ができたのです。


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トラクターに乗って牧場を周遊。

そのとき息子(3才)が、小林旭の「赤いトラクター」という曲を歌い出したのには、驚きました。

普段、私が歌ったり聞いたりしている曲を記憶していたのです。


「赤いトラクター」小林旭(歌詞)

♪風に逆らう 俺の気持ちを

知っているのか 赤いトラクター

燃える男の 赤いトラクター

それがお前だぜ いつも仲間だぜ

さあ行こう さあ行こう

地平線に立つものは

俺たち二人じゃないか♪


小林旭ファンの大瀧詠一によると、

歌詞の「赤いトラクター」を「馬」に置き換えて解釈すると、西部劇の雄大な景色が眼に浮かぶとのこと。

渡り鳥シリーズの風景にも重なり、歌の深みが増しますね。


そう考えると、

「しょうじょう寺の狸囃子」のタヌキをヤンキーに置き換えて解釈すると、いまの木更津の荒廃した景色が眼に浮かぶと感じた私の感性も、あながち的外れでないかもしれません。


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