厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 三重

あまりにくだらなかったため、記憶から消えないある映画のシーンがあります。

それは、

「トラック野郎 突撃一番星」の田舎道の場面。


主演の菅原文太が自慢のデコトラを運転していると、

目の前に、天秤棒に肥桶をぶら下げてフラフラ歩いているおじいさん(由利徹)が現れます。


肥桶には、目一杯の人糞(肥料)が詰まっています。


すると・・・・・・、おっとっと!

バランスを崩した由利徹は、糞便をトラックにぶちまけてしまいます。


マンガのように、怒った文太がトラックから降りてきて、ゲンコツをゴツン!


ストーリーには関係のないそれだけのシーンなんですが、くだらなすぎて笑いました。 


================


オープニングシーンも、酷いんですよ。


「トラック野郎 突撃一番星」公開当時、スターウォーズなどSFブームだったようで、 

主演の菅原文太は、トラックに無線やパラボラアンテナを搭載し、異星人と交信しようと試みます。


「UFOの女性乗組員と『接近遭遇』をしたい!」と文太は張り切るのです。

ちなみに『接近遭遇』とは、『いやらしい行為』のことです(笑)

UFOの女性乗組員と『接近遭遇』をするために、トラックに無線やアンテナを搭載するという発想。

素晴らしいですね。


すると、

「UFOを発見!!」

文太は叫びます。


目をこらすと・・・・・・、


トルコ風呂の電飾看板だったのでした。この発想。

かえすがえすも素晴らしいです。 


================

================


話は変わりますが、

少し前に、家族で伊勢へ行きました。

(前の記事にも書きました)


伊勢へ行ったついでに、

妻君いわく「鳥羽水族館へ行きたい」とのこと。

うーむ。

水族館に興味のない私は、眉をしかめて黙り込んでしまいました。


すると、

「じゃあ、鳥羽にある『イルカ島』へ行こうよ」と妻君。

うーむ。

「『イルカ島』・・・・・・。どんなところなんだろう。水族館よりは興味あるよ。ま、行ってみましょうか」と、私は首を縦に振ったのです。


================


鳥羽市の「イルカ島」。

初めて知りました。


「イルカ島」という言葉をきいて、私の連想したキーワードは、「三重」、「志摩」、「小さな島」。

もしかして、

江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」という小説の舞台ではないか?

小説によると、「パノラマ島」の所在地は、「M県」の「S群」の「小島」とのこと。

つまり、「三重県(M県)」、「志摩郡(現・鳥羽市)(S群)」の「小島」が、「パノラマ島」なのです。


このとき私の中で、「イルカ島」と「パノラマ島」が重なりました。


================



「パノラマ島奇譚」という小説のあらすじは、

妄想狂で芸術家志望の男が、自分とそっくりの容姿の富豪になりすまし、莫大な財産を手にするところからストーリーが始まります。


莫大な財産にものをいわせ、妄想狂の男は、「I湾」(伊勢湾)の孤島を、グロテスクな島(自分にとってのユートピア)へと変貌させます。

人工的な自然、気味の悪い見世物、夜な夜な花火が打ち上げられます。


しかし、

男は、パノラマ島に招かれた探偵に、富豪になりすましたニセ者であることを見破られてしまいます。

正体を突き止められた男はニヤリと笑い、夜闇の中を走り出します。

しばらくすると、

花火が、ドカーン!

次々と打ち上げられる花火の中から、バラバラになった男の肉片が火花と一緒に振りそそいでくるのでした。


================


イルカ島へ向かう客船の中で、

私は「イルカ島」と「パノラマ島」を重ね合わせて、グロテスクな妄想と不穏な気分を楽しんでいました。 

(無論、そのことは妻君には内緒でしたが)


================



いざイルカ島に到着してみると、

当然ですが、想像していた「パノラマ島」とはまるで異なっていたのです。


親子連ればかりのイルカショーやアシカショーが行われている、ちょっとさびれた島でした。

当たり前ですが、

こののんびりした島は、ハラハラドキドキする肉片の降り注ぐ「パノラマ島」ではなかったのです。


私は、無意識にあくびをしていました。

すると、妻君「つまらなそうだね」。

「え~!?つまらなくないよ~」と、私はわざとらしい反応をしたのでした。


再度、あくびをする私。


あくびをするや否や、思わず私は目を見開き、

「あ!!俺、ここ知ってる!!イルカ島のこと知ってたよ!!」と叫んでいたのです。 


どうして叫んだか。

そのわけは・・・・・・。


================

================


いったん、

「トラック野郎 突撃一番星」に話を戻します。


菅原文太は、『接近遭遇』(いやらしいこと)をするために、UFOの女性乗組員を探していましたね。


文太は、夜道を運転していると、

偶然、目の前に現れた原田美枝子をUFOの女性乗組員と勘違いします。

(苦笑)


明くる日のこと、

文太は、偶然にも原田美枝子と再会し、彼女はイルカの調教師だったと知るのです。



(左から、菅原文太、せんだみつお、原田美枝子)


================


イルカ島で、私は興味のなかったイルカショーを見ながら、

「トラック野郎」のロケ地が、イルカ島だったということに気がついたのです。


(「トラック野郎 突撃一番星」より)


長くなりましたが、そんなわけで私は、

「あ!!俺、ここ知ってる!!イルカ島のこと知ってたよ!!」と叫んだのです。 


実際のイルカ島の調教師は、原田美枝子のような、はつらつとした若い女性ではなく、おじさんでしたが。


妻君いわく「突然、目が輝いたと思ったら、『トラック野郎』なのね・・・」


mixiチェック

伊勢旅行へ行ったときのこと。


伊勢神宮そばの、人であふれる参道から少し離れたところに、

招き猫(素焼き)に絵付けができるという店があり、猫好きの妻君がどうしても絵付けをしたいと言うのでそこで遊ぶことにしました。

せっかくなので私も絵付けをしたのですよ。


1才の子どもの子守りをしながら、私と妻君は順番にチャチャチャッと招き猫に絵付けをしていきました。


こちらは妻君の作品。


================

================


話は変わりますが、

江戸時代、東海道のおみやげとして大津絵というものが流行っていたそうです。


「大津絵」(クリストフ・マルケ)によると、

《大津絵は、江戸初期から明治にかけて職人によって描かれた無銘の庶民絵画である。東海道最大の宿場であった大津の西端に位置する追分、大谷で、土産物として旅人に売られていた。》

大津で売られていた漫画なので、大津絵なんですね。


起源は、

京都の仏画師が大津に移り住み大津絵が生まれたとか、まあ、いろんな説があるそうです。

大津絵が土産物になる過程で、本来、仏画だったものが風刺画や道徳画になり、最終的に《俗信の一種として護符の用途を担うようになった》のだとか。


大津絵の代表的な題材である「鬼の念仏」

この「鬼の念仏」の護符としてのご利益は《小児の夜泣き封じ、病、盗賊、火難から守る縁起物とされていた》とのこと。


================


大津絵は、土産物であり、作家が描いた作品ではありません。

職人集団が、量産できるようにデザインは簡素に、色も数色のみ、定規やコンパスを使うという独特の技法が生まれたといいます。


大津絵はしだいに廃れていくのですが、無銘の庶民絵画として目をつけたのは、民芸運動の提唱者である柳宗悦。

柳によって《大津絵は日本の「民画」を代表する絵として、また失われつつある文化的遺産のひとつとして認識されるようになったのである。》

さすが、柳宗悦。


================


で、

音曲の大津絵について。

落語の名人、古今亭志ん生は、余興として高座で「大津絵節」を歌うことがありました。

その大津絵について、「歌は季につれ」(三田完)によると、

《戯画(大津絵)を題材とし、幕末に流行した俗謡が大津絵節である。のちに多くの替え歌が作られ、明治となってからは寄席でもさかんに唄われたという。》


俳優の小沢昭一さんは、芸能史家としても知られていますね。

小沢さんは、大津絵節のファンでもありました。

《小沢昭一は大津絵を愛するあまり愛嬢に津絵と名付けたと聞く。》

晩年、小沢さんのラジオの収録に娘さんが付き添っていたそうです。 

小沢さんは、「転ばぬ先の津絵」なんてシャレを言っていたそうですよ。


================


小沢さんを敬愛するあまり、東海道(伊勢)土産として招き猫の絵付けをすることになった私は「大津絵」のパロディを描かざるを得なかったのです。



私の絵付けした招き猫

「鬼の念仏」ならぬ「化け猫の念仏」


「鬼の念仏」の護符の意味合いは、

《小児の夜泣き封じ、病、盗賊、火難から守る縁起物とされて》いました。


そんなわけで、

この招き猫(立体・大津絵)飾ることで、我が家は災厄から守られるはず。 


(私の招き猫は押し入れに封印されてしまう可能性もありますが)



mixiチェック

このページのトップヘ