厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 山形

山形市には、シベールという有名なラスクのメーカーがあります。

そのシベール本社には、「遅筆堂文庫」という井上ひさしの蔵書を閲覧できる施設が併設されています。

(井上ひさしは遅筆だったため、自ら遅筆堂と名乗っていました)

ラスクよりも「遅筆堂文庫」目当てで、妻と息子とともにシベールへ行ったのです。


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井上ひさしの文庫には、同郷の藤沢周平や丸谷才一の蔵書もたくさんありました。

考えてみれば、山形というところは井上・藤沢・丸谷という三羽ガラスを輩出した場所になります。

井上ひさしにはこの「井上ひさし文庫」があり、藤沢周平には「藤沢周平記念館」がありますが、どういうわけか、文化勲章を受賞しているにもかかわらず丸谷才一についての施設は皆無です。

まあ分からないでもないですが。



その「遅筆堂文庫」には、井上ひさしが原作の「ひょっこりひょうたん島」の子ども向けの展示があります。


私の息子も、満足げに遊んでいました。


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話は突然変わりますが、


知らぬ土地で居酒屋を選ぶときの私なりの鉄則があります。

屋号がヘンテコな当て字だった場合、ほとんど失敗する。

というものです。


例えば、

「未来来流」(ミラクル)

「美鳥炭」(びんちょうたん)

「常恋」(じょうれん)

「路地来」(ロジック)

こんな感じの屋号の店は経験上、九分九厘、入って後悔しますな。


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ところで、

私は俳句を趣味にしており、句会で遊ぶときには俳号を名乗っています。


「Kばやし」だけに「軽囃子(けいばやし)」。


このセンス。

俳号のヘンテコな当て字。

まさに、人に厳しく自分に甘いとはこのこと。

もっとも私の俳句の実力は、居酒屋の屋号の鉄則が示すとおり失敗ばかり。名は体を表すものですね。


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数日前。

Kぼさんという近所の文化人から、新聞記事の切り抜きをいただきました。


矢野誠一さん(演劇評論家)が「東京やなぎ句会」について、記事を書いているというのです。 


(私が「東京やなぎ句会」に心酔しているのを知って、有り難いことにKぼさんは新聞記事を捨てずに取っておいてくださったようです)


ちなみに「東京やなぎ句会」のメンバーは、

入船亭扇橋を宗匠に永六輔・江國滋・大西信行・小沢昭一・桂米朝・加藤武・神吉拓郎・永井啓夫・三田純市・柳家小三治・矢野誠一というそうそうたる方々。

(存命は、柳家小三治と矢野誠一のみ)

メンバーがまだ若いころに、俳句で遊ぼうよ、ということで結成されたのだとか。

それが数十年して、メンバーはそれぞれの分野で大家になります。

全員が大家になっているというのがすごいことなんですが、老いても若いころと変わらずに、毎月17日に集まって俳句会で悪ふざけを続けたというのがカッコよく、また、うらやましいことだと思います。


「東京やなぎ句会」名義の著作はどれも絶品で、

例えていうなら「やすらぎの郷」というドラマのように、お年寄りばかりのメンバーなので当然「死」のにおいが漂うのですが、諦観でカラカラしていて、なのにゲラゲラ笑えて。

言いようのない、切なさの裏返しのおかしみがあります。

(この本のおかげで、私は俳句に出会いました)


新聞記事には、「やなぎ句会」メンバーの俳号の由来が書かれていました。

例えば、

小沢昭一は「変哲」。

(この記事には書かれていませんでしたが、「変哲」という俳号は、他のメンバーから「変態哲学」の略だと揶揄されていました)


それから、

永六輔は「並木橋」から「六丁目」に俳号を変更。

(住んでいた場所から俳号をつけていたため、自らの引越に伴い、俳号も変わりました)


こういう記事に出会うことで、

「やなぎ句会」の、今は亡きメンバーと再会できるのは、私にとってなんとも嬉しいことでした。


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話は戻りますが、

井上ひさしの「遅筆堂文庫」には、井上ひさしと親交のあった人々の展示もありました。



「遅筆堂文庫」のロゴを描いた和田誠。



「シベール会館」のこけら落としで井上ひさしと一緒に講演をした大江健三郎。

展示は往復書簡。



それから、井上ひさしの台本の舞台を何作も演じた小沢昭一さん。



そして、永六輔さん。

展示は、コラムの直筆原稿。


小沢さんと、永さん。こんなところで、またまたお会いできましたね。


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「遅筆堂文庫」で思わぬ再会を果たし、嬉しくなってしまったためか、

ついつい目的でもないラスクを購入してしまった私なのでした。


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(おまけ)

山形の山岳信仰とアジールについて、前回と前々回のブログに書きました。


山形出身の井上ひさしの「東慶寺だより」を原作にした「駆け込み女と駆け出し男」という映画は、東慶寺というアジールを舞台にした作品です。

そこにもまたなんとなく縁を感じました。

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(4)湯殿山 仙人沢の宿坊

神主さんが管理をされていて、広い座敷には、写真も展示されていました。



こんなところで千日修行(即身仏になるための修行)をされていたのですね。

冬はさぞかし寒いでしょう。


宿坊の神主さんにご祈祷をしてもらい、次の目的地へ出立したのです。


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(5)湯殿山 大日坊

湯殿山の近くに大日坊という真言宗の寺院があり、立ち寄りました。


湯殿山の総本寺です。

明治以前は、湯殿山の管理をしていたという由緒のあるお寺です。

当時、巨大な寺院だったそうですが、廃仏毀釈の波に思いきり飲まれてしまい、今はこじんまりとしたお寺です。



山門をくぐると両脇に田畑。肥の臭いがプーンとしました。


お寺に入ると、早速、即身仏(真如海上人)の前に通されました。



即身仏の目の前で、老僧のお話をお聞きすることに。

「長野から来られたんですか。これからお話しすることをよーく聞いて帰って下さいよ」 


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・廃仏毀釈への恨み辛みについて


老僧いわく「廃仏毀釈で、当時の住職は神道を受け入れなかったんですね。それで殺されてしまったんですよ。広かったお寺もほとんど焼かれて今の場所に追いやられてしまったんだよ」

いやはや過激なことをしたものです。


神道を拒絶して破壊された湯殿山(真言宗)に対して、羽黒山(修験道)は受け入れたのだとか。

もともと湯殿山を管理していたのは、この大日坊だったそうですが、廃仏毀釈のあと湯殿山は羽黒山の管理に変わってしまったのだとか。


湯殿山のご神体はお湯の湧き出る岩です。

「湯殿山は女性のお山なんですよ。ご神体には赤ちゃんの出てくる穴もあるんだよ。よーくお参りしてきて下さいね」

湯殿山は、羽黒山の神主の管理に変わって以来、鏡が設置されるようになったのですが、いわく「鏡よりも、お岩をお参りして下さいよ」とのこと。

湯殿山は女性のお山であるため、女人禁制だったそうです。

そんなわけで女性が参拝できるのは大日坊までだったのだとか。


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・かつての繁栄について

老僧が言うには、空海が唐から帰国して初めて開かれた山が湯殿山で、最後に開かれた山が高野山なのだそうです。

江戸時代には、かなりの信仰を集めました。

(1年のうち山開きをしている100日間だけで15万人修行に来たという記録が残っているようです)


春日局は、竹千代(のちの家光)が世継ぎになるよう、祈願をするために、湯殿山まで来たのだとか。

その後、家光が大病したときには旗本が参拝に来たそうです。

で、

湯殿山へ家光の病気平癒の祈念に来た旗本が、湯殿山に集まる行者たちの賑わいを見て、 

江戸に戻ったときに目黒に雅叙園を作り、その前の坂を「行人坂」と名付けたそうです。 


行人坂の「行人」は湯殿山の行人のことだったんですね。


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・即身仏について

「本当の即身仏は、大日坊の真如海上人だけなんですよ。大日坊のほかにも即身仏があると言っていますが、あれはみんなミイラだよ」

即身仏になるには、難行苦行に耐えて、木食をし、うるしを飲んで、土中入定する必要があるのですが、

大日坊以外の湯殿山にある即身仏は、その条件をクリアしていない、いわば単なる「ミイラ」と言うのです。

なんと、

始めは神道(廃仏毀釈)や羽黒山に対して舌鋒鋭く責め立てていたはずの老僧が、いまや、身内と思っていた仏教寺院に向けても攻撃を始めたのです。


大日坊のすぐそばにある注連寺にも即身仏は安置されています。

その注連寺に居候していた放浪の作家・森敦は、「月山」という小説に、興味深いことを書いています。


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「月山」(森敦)について


寺のじさま(爺さま)の世話になりながら、湯殿山で冬を越す森敦。

その寺にある即身仏について、じさまは語ります。

《じさまは、「作ってできるもんではねえて。即身成仏いうてのう。木食(もくじき)で難行苦行した行者が、思いかなって穴さへえり、鉦を叩き叩き、生きながら仏になったもんだ」》。


その昔、お山(寺)はアジールでした。

社会のルールが適用されない治外法権のようなものでしょうか。

なので、博打もされていましたし、酒の密造もしていたのだとか。

(博打の世界では「カネ」のことをいまでも「寺銭」と呼びますね)


山の人々は、「博打」や「酒の密造」をしていたせいもあり、里の人を警戒していました。

しかし、里の人ではなく《「この世ならぬもの」(※芸人や旅商人や乞食など)とわかれば、決して悪くはしな》かったそうです。


吹雪の夜のこと。

旅の「薬売り」が、森敦が逗留している湯殿山に雪を凌ぐために転がり込みます。

薬売りいわく「よくミイラにされなかったな」。

これは湯殿山ジョークなのでしょうか。


「月山」よると、

その寺にある本当の即身仏は火事で消失していたとのこと。

現存の「即身仏」とされるものは、行き倒れのやっこ(乞食)で作ったミイラだというのです(※フィクション?)。

旅の商人がいうには、《吹き(吹雪)の中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生でいるもんさけの。肛門から前のものさかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ鉄鉤を突っ込んでのう。中のわた(腸)抜いて、燻すというもんだけ》。


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「天沼」(森敦)について

「月山」に連なる作品です。


「天沼」の冒頭より。

《湯殿は死者が行くとされる月山の秘奥の地とされているところです。客はみな潔斎して白衣で夜発ち朝発つをするものの、戻れば精進落ちの無礼講で警察もうかつに手を出さぬ霊場の寺とされていたから、バクチの開帳されていたことは、誰に聞かされずにも想像できぬことではありませんでした。》


治外法権のような場所だったので、バクチが行われ、酒も密造されていました。

湯殿参りの客をもてなすために密造していた酒ですが、いつの間にか闇屋に売るために密造されるようになったのだとか。


じさまは、お山で自殺者が多い理由を語ります。

《バクチだて。湯殿詣りの客はみな帰りは寺さ泊まって、酒だ、バクチだなんでろ。ミイラ取りがミイラになるてあんばいで、おらたちも手を出しての。肥るのは寺ばかしで、みな山も、林も、田も、畠もとられてしもうたもんだ。》


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大日坊の老僧がいうには、

即身仏が安置されているのは「大日坊」だけでありそれ以外はミイラであるとのこと。 


その根拠として、森敦の「月山」の《行き倒れを即身仏にしたという話》を踏まえているのだろうかとも思いました。

と同時に、

老僧がわざわざ罵るあたりに、権威を持った者のダークな部分(バクチによる荒稼ぎや酒の密造など)を感じざるを得なかったのですが・・・。


つまり、湯殿山には、

廃仏毀釈の被害者としての一面、

また、かつては権威ある寺院だったという一面、

さらに、私は「月山」を読み、

その繁栄の裏側にダークな一面があったということを知りました。


重層的で面白いところですね。

(とはいえ、「月山」はフィクションでしょう、きっと!)


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森敦が居候していた湯殿山の注連寺には、「森敦文庫」があるのですが、

湯殿山にとって危険文書(?)を書いた人物の蔵書を展示しているなんて、懐の深さを感じますね。


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実は、真言宗の開祖である空海も高野山で即身仏になっているそうなのです。

空海が即身仏になっているというのは有名な話なんだそうですね。


湯殿山の老僧いわく

「空海さんは高野山で生きているんだよ。空海さんは亡くなっていませんよ。それが証拠に、高野山のお坊さんに訊いてごらんなさい。毎日、食事をお出ししているから」

大日坊の真如海上人は、空海と同じ姿で即身仏になっているそうです。


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・ご祈祷

帰りにお坊さんのお経を聞いて、巨大な梵天で頭上をお祓いしてもらいました。

神社だと紙でできたバサバサしたハタキ状の道具でお祓いしてくれますが、大日坊では巨大な梵天で行われます。


いわく「大日坊の信仰から、伊達政宗の幼名は『梵天丸』だった」そうです。


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・大杉

お寺を出て少し歩くと、かつて焼かれる前にお寺のあった場所に、大きな杉が残っているとのことなので見ていきました。


空海が湯殿山にやってくるころにはあったという杉。


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・おまけ(「キャラ立ち民俗学」より)

「月山」には、大日坊の老僧の語っていなかった湯殿山の姿が書かれていましたが、

みうらじゅんの「キャラ立ち民俗学」という本にも、湯殿山のサイドストーリーが書かれており、「月山」同様、危険文書になりうると感じました。

サブカル視線で、湯殿参拝した話です。




大日坊の真如海上人について。

《二十歳から終身木食を常とし、湯殿山の霊場を参廻、仙人沢で三千日の苦行をし、九十六歳で入定した真如海上人。入定の際、生きながらに穴の穴に入り、竹で空気穴をつくり、中で鐘を叩き続け鐘の音がやんだら死んだものと思って掘り返してほしいと遺言されたそうだが、近所の老婆が、おなかがすいていることだろうと思いマンジュウを竹の穴へ落としたところ、竹の節にマンジュウがつかえて窒息死したと伝えられる。》


注連寺の鉄門海上人について。

鉄門海上人は、当時、蔓延していた眼病を治すために修行中に片目をくり抜いています。 


その上、睾丸ももぎ取ったそうです。ほとんど知られていない睾丸エピソードについてこのように書かれていました。

《睾丸まで引きちぎったというではないかっ。「あり得ないでしょ?」と聞くと、その睾丸はミイラ化し今も鶴岡市内の南岳寺に残されているという。「何故、そこまでされたんですか?」と思わず聞くと、かつて江戸で遊女を取り合って侍を殺してしまったという。駆け込み寺的に身を隠し、行人として修行を積んでおられたが、尋ねてきた遊女との縁を絶つために自ら睾丸を・・・・・・。オレは長い間、鉄門海上人の前に座って、あなたはやっぱり仏になられたのですねと話しかけた。》

この睾丸エピソードは、山のアジールとしての機能へも言及しているのでした。


「即身仏(ミイラ)の殺人」(高橋克彦)にも、

《(普通の農民が)人を殺したために大日坊に逃げ込んだんだ。即身仏を志願すりゃ、一切の罪が免除されたらしい》なんてことが書かれていました。



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(6)山寺

山形駅から車で30分ほど行くと、1000年以上前に、円仁が建てたという立石寺があります。

《しずかさや岩にしみいる蝉の声(芭蕉)》で知られる山寺です。




1時間もあれば山寺のふもとの立石寺から奥の院まで登頂できます。

奥の院まで上がれば、広がる盆地が一望できます。


奥の院には、ふたつのお堂があります。

片方には、鏡。もう片方には、大仏。

ここでも神仏が一緒になっていましたよ。


湯殿山は、女性を象徴する山でした。

山は、自然の恵みを産み落とす場所であること、さらに、修行を経て「新しい自分」を産み落としてくれる場所だったということ、

また、下界でなんらかのトラブルを抱えた人にとっては、町や村との縁を切り、新たな人生を送る場所だったから。


山寺に来て、ここでも山は女性を象徴していると気付いたのです。

山寺の上り口に「脱衣婆」の像。

脱衣婆は、この世とあの世の境界にいますが、一度死に、あの世(極楽や地獄)であらためて生き直す際の、「産婆」なのだろうと思いました。

さらに、

「胎内くぐり」、「胎内堂」、「地獄谷(行者戻)」と呼ばれる場所があり、まさに、生まれ直すための山だったんだなあと感じました。



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私の希望した山形旅行でしたが、妻も一歳の息子も満足した様子でした。ということにしておきましょう。


mixiチェック

山形へ行ってきました。

1才の息子を連れての家族旅行。

にもかかわらず、

どういうわけか即身仏と廃仏毀釈による遺恨を巡る旅となったのでした。

おどろおどろしくもわくわくする計画を立て、いざ山形!


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(1)南岳寺

朝、鶴岡に到着しました。

まずは、鶴岡市にある南岳寺へ。

誰もいないどことなく不気味な境内に入ると、おばあさんが境内を掃除していました。 


「参拝ですか?」

「はい」


奥さまの先導でお寺の中へ入ると、目の前に現れたのは鉄竜海上人(即身仏)でした。


「即身仏(ミイラ)の殺人」(高橋克彦)というミステリー小説によると、

飢饉や疫病から村や町を救うために、皆に見守られながら土中入定(どちゅうにゅうじょう)したのが即身仏とのこと。

で、即身仏志願者は、生きているうちから食を絶ったり厳しい修行をしているために生き仏のように扱われる存在だったそうです。

エジプトのミイラは、身体が腐らないように、死亡後、内蔵をくり抜き、うるしや石膏で体を固めて製造されるものですが、

即身仏は、修行として体が腐らぬよう食事制限をし(木喰をし)肉をなくし、その後、うるしを飲み、からっぽの内蔵を固めて腐敗を防ぐのです。

厳しい修行のプログラムを終えて、土中に入り、ようやく即身仏になることができるのです。

(ちなみに、「即身仏(ミイラ)の殺人」は、身元不明の即身仏が掘り出されるところから事件が始まる小説です)


このような風習は過去のものだと思っていると、

奥さまいわく、「こちらの鉄竜海お上人は南岳寺の先々代の住職です」だの「明治時代に修業されて即身仏になられた上人です」だの「このごろは法律上、自殺幇助だとか殺人になってしまうので、即身仏の修行はなくなりました」だの生々しく感じられるお話を伺いました。

「鉄竜海上人は片目がないんですね。修行されている当時、眼病が流行っていてそれが落ち着くようにと願掛けをされ片目をくり抜いたんだそうです」


鉄竜海上人の「書」が展示されているのをみると、常軌を逸した生き方をした人が実際に存在していたということに現実味が帯び、即身仏の存在感に飲まれるように感じました。



丑年にお上人の法衣を取り替えるそうなのですが、その法衣を刻んだお守りを頂戴しました。

このお守りを持ち歩くことで、私自身に狂気が宿るような気がします。


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(2)羽黒山

羽黒山には出羽神社があり、神道ということになっていますが、いまでも修験者(山伏)がホラ貝を吹きながら歩いていました。


五重塔があったり、大きな鐘があったり、仏教の痕跡も残っています。


山形出身の藤沢周平のエッセイによると、山伏はかつて村にも現れ、お札を配って歩いたのだとか。


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すこし話を戻します。


羽黒山へ行く前に、鶴岡市にある小さな老舗の和菓子屋へ寄りました。

おかみさんに、「これから羽黒山へ行くんです」と話すと、

おかみさんは、羽黒山の信仰の話をしてくれました。


要約すると、

羽黒山は元々は、神仏習合の信仰のお山だったこと。

明治の廃仏毀釈により、羽黒山は神道のお山になることを受け入れたこと。

仏教の弾圧に伴い、仏像がことごとく破壊されたこと。

いまでも松例祭では、かつての神仏混淆の名残を見ることができること。


ただ、最近はかつての信仰の姿に戻そうという動きがあるということも教えてくれました。

あくまで噂話として、

当時、山形県の酒田市に篤志家がいて、破壊されそうになった仏像をかくまったそうです。

その仏像が、羽黒山に資料館が作られて、戻される(すでに戻されている?)のだとか。 


また、羽黒山には宿坊街があり、その中に正善院という寺院があるそうです。そこでは、最近、隠された仏像のご開帳があったそうです。


和菓子屋のおかみさんいわく「ようやく明治天皇の呪縛が解かれつつあるのよ」


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羽黒山では、重要文化財の五重塔を見たり、本院を参拝したり、山の木々や滝の冷気を浴びました。

羽黒山本院には、かつて仏像がひしめいていたといいます。

いまは、からっぽの本堂ですが、かつての姿を想像しながらお参りをしました。


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そのあと、和菓子屋のおかみさんが言っていた正善院にも寄ってみました。


そこには仁王門や閻魔、地蔵、観音などがありました。

完全に仏教の寺じゃないか、と思っていると、本堂の中からホラ貝を持った山伏が出てきました。

「こんにちは」


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(3)湯殿山

車で雪深い山をしばらく進むと、大きな鳥居が見えます。


江戸時代、湯殿山は参拝客でたいそう賑わったそうです。


この鳥居からバスで5分ほどで、湯殿山神社に到着します。

湯殿山のご神体については「語る無かれ、聞く無かれ」という戒律があるからか、ガイドブックなどにはほとんど載っていません。

松尾芭蕉は、奥の細道に《語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな》と詠んでいます。


湯殿山のご神体は、お湯の出る岩です。

「語る無かれ」の湯殿山を、私が詳しく語って罰が当たるのも癪なので、

湯殿山のご神体(お湯の出る岩)については、岡本太郎が「神秘日本」で書いた部分を引用します。

《天地の中核に、あたたかくのけぞった巨大な女性。月山から続く山ひだのくぼみに、赤々とぬれた秘部。/冬、沢が真っ白に埋もれ、とざされてしまうとき、この岩だけは赤く、熱く、濡れつづけているという。これは根源的な神秘に通じるイメージだ》

ご神体は、女性の陰部のメタファーになっているようです。

そんなわけで、かつて湯殿山は女人禁制の山でした。

(「山=女性の神様」という隠喩は、日本中あちこちの「山」に見られることで、女人禁制の「山」はいくつもあったようですね)


で、


ご神体から湧くお湯も、わけていただいてきましたよ。

いやあ、なんとも言えません。


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即身仏になろうとした人々は、湯殿山で修行をしました。

ただ、あまりにも厳しい修行だったため、即身仏になるプログラムを終える前にほとんどの人々は耐えられず命を落としてしまったそうです。

湯殿山の中には、「行人塚」という立入禁止の場所があり、

湯殿山の僧侶いわく「湯殿行者は、家庭を持つことが許されておりませんでしたから、即身仏になれず山で命を落とした方は、無縁仏になりました。湯殿山には、無縁仏をご供養した場所(行人塚)があります」とのこと。



山は女体のアナロジーであるのは、

生命(動植物の命)や水など自然の恵みを産み落とす場所であるということもあるでしょう。

さらに、山は、修行を経て「新しい自分」を産み落とす山だったということもあるでしょう。

網野善彦の「無縁・公界・楽」によると、《中世前期には、山林はアジールであった。逃散した百姓が賭け入り、また下人や所従といった身分の者らが逃げ籠もるのが、山であり山林であった》。つまり、なんらかのトラブルを抱えた人にとって山は、町や村で暮らす人々とは縁を切り、新たな人生を送る場所だったということもあるでしょう。

罪人やうだつの上がらない人が駆け込んだ場所だったのかもしれませんね。

さらに、

折口信夫によると、葛城山の修行者についてですが、このように書いています。

《葛城山の行者は、/農民宗教を否定した。/修験道とは共同体を追われた異人たちが、山という異界に住んで修法をもとめ、制外者としての神秘のうえに、山野の霊威を身にまとうことによってシャーマンに成り上がるための、いわば身体=知の技法であったのかもしれない》

「山」の信仰について、言い切っているように感じました。


社会との縁を切り、新たな人生を歩むために(あるいは即身仏になるために)、「母なる山」(異界)に向かう人々。

うだつの上がらなかった人が命がけで聖人に変身する姿を想像しました。 


岡本太郎は「原始日本」で、湯殿山(山嶽信仰)をこんな名文で絶賛しています。

《原始部落にとって、内部と外の世界とでは/大きな断層があったに違いない。外は異質であり、敵であり、災いである。/素朴な共同体は異質に対して、ひどく潔癖なのである。穢れは神聖な掟の名において、外に追放される。/発狂者。彼らはどこへ行くのだろう。/廣野であり山嶽であるかもしれない。/人間関係を断った非常な場所として。/たとえ部落内にいても、彼らは運命的な除外者である。/乞食、遊芸人、ヤクザなど、多種多彩だ。もちろん修験者もその仲間である。/除外者は社会に適応しないゆえに無視され、危険視される。と同時に、畏怖されもするのだ。/外から内部を規制する神秘。/反社会性とは、いつでも陰にひそみ、陽に動く、対立的相互関係にある。アノルマルな、凶は、正なる社会のヴァイタルな条件でさえあるのだ》


湯殿山を参拝しながら、

岡本太郎の文章を読んでいたこともあり、どういうわけかヤクザとすれ違うときのような不穏な気分になりぞくぞくしました。

(参拝者のなかで、ぞくぞくしていたのは私だけかもしれませんが・・・・・・)


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夜は、湯殿山の宿坊へ。

お酒(御神酒)を飲んで寝るとしましょう。


続く。

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