厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

カテゴリ: 東京

Aしざわさんという学生時代からの同好の士がいます。

彼の結婚式に招かれた一日のこと。


挙式は昼すぎから明治神宮、そのあと、明治記念館にて披露宴が行われました。


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Kばやし動静


・朝8時ごろ。

どういうわけか、結婚式目前のAしざわさん夫婦と一緒に朝食。

喫茶店でコーヒーを飲みながら、Aしざわさんとカルロスゴーン失脚、谷村新司の一家離散、富岡八幡宮の殺人事件などについて意見交換。

ちなみに奥様とは初対面。


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10時ごろ。

どういうわけか、挙式に臨むAしざわさん夫婦と明治神宮へ同行。

歩きながらAしざわさんと、昭和の芸能ゴシップの情報交換。

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参拝。

Aしざわさんは徳川贔屓の人物(佐幕派)ですが、寛大な措置を!」と明治天皇にお願いをしました。


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・11時ごろ。

新郎新婦は挙式の準備。

残された私は明治神宮の控え室で「東京アンダーワールド」(ロバート・ホワイティング著)という無闇に面白い本を読んでいました。

東京のヤミ社会や暗部が描かれたノンフィクション。

この本の中に、明治神宮が登場するところがありました。

1960年のこと。

アイゼンハワー大統領が来日。パレードを予定していたものの、反対する市民があまりにも多く、開催が危ぶまれていたのだとか。

そこで右翼のフィクサー児玉誉士夫が《自民党に助け船を出した。およそ三万人のヤクザ、右翼などから成る「警備隊」を結成し》、稲川会や東声会に《こん棒を持参のうえ、明治神宮に集結せよ。参拝後、/警察を援護すべし。》と出動命令をかけたのだとか。


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12時ごろ。

明治神宮でおみくじ。

本日の運勢はいかがかな。

おみくじには明治天皇の和歌。

《萬代の国のしずめと大空にあふぐは富士のたかねなりけり》

明治神宮のおみくじには吉凶が書かれていません。

「富士山はすごいなあ」という内容の和歌。煙に巻かれました。


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13時ごろ。

挙式参列者の控え室にて。

大学時代からの馴染みであるO氏とM氏と再会し、近況報告。

O氏は演芸関係、M氏はコンサルタント業に従事しているとか。

二人とも無から有を生み出す錬金術で活躍していることが分かり安心。


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14時ごろ。

明治神宮での挙式に参列。

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境内を歩きながら、児玉誉士夫(右翼のフィクサー)が明治神宮に集結させた三万人のヤクザたちの姿を想像するのも一興。

この日はヤクザではなく、一般の参拝客に見守られました。


そのあと、明治記念館へ移動。

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(明治記念館)

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(明治記念館中庭)


明治記念館は、もともと明治時代に会議場として利用されていた建物が伊藤博文に譲渡され、その後、結婚式場になった施設。

一方、明治神宮は明治天皇の墓所で大正時代にできた施設。

つまり明治記念館の方が歴史があります。

ちなみに、瀬戸内寂聴や内海桂子は明治神宮の2年後輩。同じ時代を過ごしたことになります。


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15時ごろ。

Aしざわさんの家族にご挨拶。

Aしざわ母「あの変わり者が結婚するなんて冗談だと思ったよ」

Aしざわ姉「あなたはあの変わり者の友達ですか?見た目はマトモですね」

Aしざわ父「あの変わり者の友達かー。ということは、おたくも相当なモンだろ?」

どういうわけか、火の粉が降りかかりました。


Aしざわさんのお母さんと趣味のラジオの話。


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16時ごろ。

披露宴スタート。

新婦友人の涙ながらのスピーチを聞くM氏。

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M氏は口が半開き(鼻づまりか)。


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17時ごろ。

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なにかを撮影するM氏。

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無事カメラに収めた様子。


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18時ごろ。

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新婦父の立派なスピーチを聞くM氏。

M氏は口が半開き。

Aしざわさんの頓知の効いたスピーチで、おひらき。


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19時ごろ。

チェーン店の居酒屋で、O氏、M氏と反省会。

知人の噂話。


学生時代の馴染みの活躍を知ったり、あのAしざわさんが家庭を築いたり、私のようなものがこの場に居られたり、「ありがたいこっちゃ」。

世の中捨てたもんじゃない、と思えた良き日でした。



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2018年の新語流行語大賞のノミネートが発表されました。
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なぜ、流行語大賞なんていうものが騒がれるのか。
それは句会と同じような楽しさがあるからだと私は思います。
句会の醍醐味のひとつは、いくつもの俳句から「いいなあ」と思ったものを選句し講評をする面白さ。
流行語大賞が騒がれる理由も、大賞を予想(選句)して、審査員とセンスを比較(講評)して楽しむ句会のような遊びと似ているからだと思います。

ちなみに、今年の新語流行語大賞のノミネートは、以下の30語。
No.01あおり運転
No.02悪質タックル
No.03eスポーツ
No.04(大迫)半端ないって
No.05おっさんずラブ
No.06GAFA(ガーファ)
No.07仮想通貨/ダークウェブ
No.08金足農旋風
No.09カメ止め
No.10君たちはどう生きるか
No.11筋肉は裏切らない
No.12グレイヘア
No.13計画運休
No.14高プロ(高度プロフェッショナル制度)
No.15ご飯論法
No.16災害級の暑さ
No.17時短ハラスメント(ジタハラ)
No.18首相案件
No.19翔タイム
No.20スーパーボランティア
No.21そだねー
No.22ダサかっこいい/U.S.A.
No.23TikTok
No.24なおみ節
No.25奈良判定
No.26ひょっこりはん
No.27ブラックアウト
No.28ボーっと生きてんじゃねえよ!
No.29#MeToo
No.30もぐもぐタイム

あなたの天・地・人はどの言葉ですか?

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話は変わります。
先日、上野を散策したときのこと。

上野公園から不忍池へ向かう路地に、ピンク映画館があります。
かつては薄暗い路地で怪しげな雰囲気を醸し出していたため近寄りがたかった記憶があります。
久しぶりに前を通ると、そのピンク映画館の前は明るく開けていて「日本シリーズのパブリックビュー」までしている様子。
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記念撮影ができるパネルまでありました。
ピンク映画館も時代とともに変わります。

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私の住んでいる長野市の場末にも、数年前までピンク映画館がありました。
当時から営業しているのかどうか分からない雰囲気ではありましたが、毎週、公開作品のポスターが更新されていたので、営業していたのでしょう。

ピンク映画館のある路地は私の散歩コースでした。
上映されている映画の看板を眺めるのが散歩の楽しみでもありました。
ピンク映画のタイトルは、爆発力があるのにどこか趣きがあり、看板を眺めては感心していた私。
数年前まで私は日記をつけており、感心したタイトルについては日記帳にこつこつメモを残していたのです。

私のメモから秀逸なピンク映画のタイトルをいくつか紹介します。

No.01炎の女体鑑定人
No.02ヘルパーの時間 助平な訪問
No.03絶倫義父 初七日喪服妻
No.04隣の三姉妹 やりくらべ
No.05 熟女の股ぐら焦らされて号泣
No.06背徳同窓会 熟女数珠つなぎ
No.07義母と襦袢娘
No.08質屋若女将 名器貸し
No.09夜のタイ語教室
No.10痴漢したけりゃ地獄でやりな!女痴漢捜査官バストで御用!
No.11サイコレイプ
No.12熟れ妻狩り
No.13人妻旅行 しっとり乱れ貝
No.14痴漢電車 とろける夢タッチ!
No.15ウラ生け花とはナニか?
No.16通夜の喪服妻 僧侶にもてあそばれて・・・
No.17暴虐白衣 下半身処方箋
No.18三十路・四十路・五十路 熟れて食べごろ ~灰になるまで昇り続けて終わらない~
No.19肉体婚活 寝てみて味見
No.20絶倫義父の下半身 ~いやん、お義父さま、彼より強いなんて~

あなたの天・地・人はどれですか?
破壊力、わびさび、韻律、上句と下句の取り合わせの妙、造語、比喩、謎解きのような分からないタイトル・・・、
どれもこれも魅力的で大賞を選ぶのが難しいくらい素晴らしい俳句、いや、ピンク映画のタイトルではありませんか。
(私の天・地・人は、波紋を呼んでもいけませんので発表は控えます)

いまはなき長野のピンク映画。
一度、入っておけば良かったなあ。

もはや、じめじめした映画館のかげも形もありません。
いまは日当たりのよい駐車場になっています。
 

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先週、東京へ行ったときのこと。
上野で時間が空いたので、鶯谷の寛永寺から上野公園へ歩きました。

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寛永寺はほとんど誰もおらず、ひっそりとしていました。
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寛永寺は徳川家の菩提寺で、天海が徳川家から土地を与えられ、開山しました。

江戸時代の寛永寺の境内は、上野公園の2倍の土地(上野公園・不忍池を含んでいます)だったというからたいへんな羽振りでした。
いまは、当時の10分の1。こぢんまりとしています。
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上野公園内にあるかつての寛永寺の門(黒門)

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幕末のこと。
幕府は官軍に政権を奪われることになります。
そのとき最後まで抵抗したのが彰義隊。
寛永寺の境内(いまの上野公園)では、彰義隊によって血みどろのゲリラ戦が起こりました。

「東京骨灰紀行」(小沢信男)という本によると、
上野の仏師(職人)だった高村光雲の日記が引用され、彰義隊の内戦の様子が書かれています。
上野で内戦が始まり、高村は、上野から駒形へ逃げ、内戦がおさまるまで2階から野次馬していたとか。
上野に戻ると、《三枚橋から黒門あたりに死屍が累々としている。/無残な死骸を見ると、もう嫌な気がして引っ越しました。》
残党狩りで、喜々として生首を持って歩く人がいたそうですが、どこの戦争もそういうものなのですね。

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上野公園の西郷隆盛。
西郷どんも、彰義隊を殲滅させるために兵隊の一部を派兵しています。
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西郷のうしろに彰義隊の墓がひっそりと立っているというのが永久に敗北を認めさせられているような佇まいで、味わい深いものがありました。
西郷隆盛像を作ったのは、先ほど日記を引用した、上野から逃げた高村光雲です。

寛永寺は、彰義隊の戦争でほとんど焼失した上に、土地を没収されました。
彰義隊の肩を持っているのではないかという疑いと徳川の菩提寺だったこともあり、新政府が激しい廃仏毀釈を行い、いじめたのかもしれません。

いじめられた寛永寺に情を寄せながら、参拝。
すると、いまのこぢんまりとした寛永寺の裏のプライベート駐車場に、高級車が5〜6台停まっていたのを私は見逃しませんでした。
バッチリ儲けているじゃないか。
左うちわな様子を見て、情が急速に離れていったのでした。

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(おまけ)
落語の「大仏餅」の大仏は、上野の大仏のことらしいです。
(落語そのものには大仏は登場しませんが)
かつて、上野に大仏がありました。
いまは上野公園内に顔面だけが残っています。
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かつての姿。(「東京今昔歩く地図帖」より)
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(インターネットより)
大仏殿は上野戦争で焼き討ちにあい、関東大震災や、戦時中の金属不足で供出されたりして顔面だけになったそうです。
上野の語り部ですね。

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上野公園の中に、徳川家を祀ったミニ東照宮がありました。

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そのすぐそばに寛永寺の五重塔がありました。
現在、この五重塔の持ち主は東京都。

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寛永寺の土地は、いまは公園、美術館や博物館、東京芸術大学に変貌しました。
芸術を親しむ若者たちの足下は、もともとは寺の境内だったり、死骸の転がる戦場だったりしたのですね。

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あるパーティーに招かれました。

演芸の仕事をしている友人のHさんが、パーティー(真打ち昇進披露宴)をするとのこと。
思えば、Hさんとは大学を卒業してからほとんど会ってない気がします。

お祝いの席ゆえ、ご祝儀を懐中に忍ばせて、パーティーに潜入することにしたのです。

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会場の入口で、大学時代からの馴染みであるAしざわさんと待ち合わせをして合流をしました。
そこへ待ち合わせをしてないのに、やっぱり大学時代からの馴染みのK氏が大きな体を揺らしながら現れ、乱れたスーツ姿で「やあ、久しぶり!」。
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義理で近況を尋ねると、K氏は「アイドル中心の生活ですよ!貯金は全くないですから!」
私「・・・・・・」

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300人も入ろうかという大きなパーティー会場へ着くと、I氏、Y氏、N氏という大学以来の旧友たちと再会。
開宴を待つ間、懐かしい面々と交わした会話といえば、
「(ご祝儀×300人分)ー(会場費)ー(食事代)ー(引き出物代)」は黒字か赤字か、そんな話のみでした。

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K氏は、「少し暑いかな」と汗をぬぐい上着を脱いで、パーティーの主役であるHさんの登場を待ちます。
そこへ、Hさんが師匠のあとに付いて入場。
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K氏はよそ見をしながら拍手。

「乾杯!」

そうそうたる方々から思いのこもったお祝いのスピーチが続きます。
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そんな中、K氏は料理に素早く箸を伸ばします。
「パクパク、モグモグ」。そして、「白ワイン!」

スピーチが続く中、K氏はスマホをチェック。
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ネットを駆使し、ひいきのアイドルの動向をパトロールしているものと推察されます。
「パクパク、モグモグ」。そして「紹興酒にしようか!」

パーティーの主役のHさんは、ステージで余興の踊り。
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そのときK氏は、ひいきのアイドルと撮影した2ショット写真をI氏に披露しているようです。

余興は続きます。
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K氏は 、出てくる料理をペロリと平らげてはスマホをチェック。
そして「ウイスキーの水割りください!」

パーティーの山場。
主役のHさんの決意表明のようなスピーチ。
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K氏はスマホをチェック。
Aしざわさんにアイドルの話をし、写真を見せようとするK氏。
Aしざわ「・・・。ごめん。写真を見せられても、頭が真っ白で、何にも言葉が出てこないんだよ」

披露宴はクライマックスです。
毒蝮三太夫が三本締め。
「ここにいる皆様のお幸せと、ここにいない皆様の不幸せを祈願して三本締めです。いよ~」

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K氏「ところでKばやしくん、さっきから俺の写真撮ってない?」
私「気のせいだよ」

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パーティーは、おひらき。会場をあとにします。FullSizeRender
廊下に展示された記念品を写真に収めるK氏。

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会場の外に出ます。懐かしい皆とも別れのときがやってきました。
さて、我々も解散しようか。
私「またいつか会いましょう」
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K氏「そんなことより、そこの鳥貴族にいこう!」

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おまけの写真
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マムシ(毒蝮三太夫)は、三本締めの挨拶。なかなか三本締めをせずに10分以上の漫談。
なかなか曲をかけない「ミュージックプレゼント」状態。

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おひらきをした会場。

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学生時代の友人Aしざわさんと、

日本民藝館へ行きました。


日本民藝館は、柳宗悦(民藝運動の提唱者)の自宅を移築し博物館にしたものです。

「民藝」というのは、飾るだけの美術品よりも、生活の中で使われる工芸品にこそ「美」が宿っているという思想です(と、私は思っていますが違いますか?)。


日本民藝館のパンフレットによると、

《民衆の用いる日常品の美に着目した柳宗悦は、濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人達が作った民衆的工芸品を「民藝」と名付けた。》

《民藝館設立以後の柳の主な活動としては、日本各地への工芸調査や蒐集の旅、沖縄への工芸調査と言語政策(方言)をめぐる論争、アイヌや台湾先住民の工芸文化の紹介、茶道改革への提言などがあげられよう。また、民藝運動に参加したバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介、棟方志功、黒田辰秋などの工芸作家は、実用を離れた当時の工芸の在り方に一石を投じるなど、日本の近代工芸界に大きな流れを作っていった。》


柳宗悦のことは、鶴見俊輔の書いたもので知りました。

東京帝国大学のエリートである柳が、日本中を巡り「民藝運動」を先導したというところに魅力を感じます。


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ちなみに、

私の敬愛する小沢昭一は、俳優という自身の仕事のルーツを探るうちに、「芸能」の本来の姿は祈祷や祭事、啖呵売のような暮らしの中にあると考えました。

こうして、小沢昭一は、滅びゆく暮らしの中の芸能(放浪芸)を記録するしていくのをライフワークにしたのですね。

柳宗悦は「民藝」(手仕事の文化)を発見し再評価しましたが、これは、小沢昭一の「放浪芸」収集に重なるように思います。


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日本民藝館の展示の中に、木喰上人に関するものがありました。

木喰は、日本中を旅し、ヘタウマな仏像を大量に製作した僧侶として知られています。 


ウィキペディアによると、

《特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。》


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話は変わるようですが、

昨年、下諏訪に行ったときのこと。


諏訪大社・秋宮のわきの宿場を歩いていると、地元のおばあさんと出会い、立ち話になりました。

おばあさんの自宅は、もともと「花屋茂七館」という宿だったとのこと。


招待されるまま、おばあさんの自宅に入ると、手作りのパンフレットをいただき、奥のこぢんまりとした展示室へ通されました。


いただいたパンフレット。

《木喰上人作 虚空蔵菩薩像 常設展示》


江戸時代、木喰が下諏訪に訪れた際、奉納した仏像が展示されていました。


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気になったのは、諏訪大社のお膝元(神道の聖地)である下諏訪で、仏像が奉納されたということ。


ご主人に尋ねたところ、

宿屋に残っている掛け軸も、仏教、御嶽信仰、神道などモチーフは様々で、おおらかにあらゆる宗教が信奉されていたことが分かります。

(現代は、信仰を合理的に整理整頓しすぎですよね)


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ところで、

大沢在昌のハードボイルド小説、「新宿鮫シリーズ」の大ファンである私。

主人公は、警視庁のキャリアだった鮫島。

鮫島は、どういうわけか新宿署(所轄)の刑事に降格させられます。

しかし、エリートの鮫島は信念を曲げず、所轄でも歌舞伎町などの悪所で大活躍するのです。


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「貴種流離譚」という話型があります。

ウィキペディアによると、

《神話的英雄の苦難の冒険の物語については、ギリシア神話や日本の神話にも例が見られ、「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、『忌子として捨てられた双子の弟』『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』などといった不幸の境遇に置かれ、しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」という話型を持つものがある。

これら神話をモチーフにしたさまざまな派生・創作作品についても、貴種流離譚と表現することがある。》


つまり、「貴種流離譚」とは、王子様のようなエリートが冒険をする話型のこと。

水戸黄門や東山の金さんなども、その典型ですね。


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鶴見俊輔の書いたものによると、柳宗悦は、東京帝大でも成績抜群のエリートだったのだとか。

そんな柳が、日本各地に出没し、自分の美意識を信じて「民藝運動」を先導しました。 


なんとなく柳宗悦に惹かれるのは、まるで「新宿鮫」だからだと思うのです。

まさに、「貴種流離」。


木喰の生き方もそうかもしれません。

(ちなみに、「貴種流離」に関していうなら、鶴見俊輔の生き方は「新宿鮫」なんてもんじゃないと思います)


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とはいえ、

志しの高い日本民藝館の展示は、作家性に乏しく、つまり個人のドラマ(ゴシップ)が全くないのです。

そんなわけで、私や同行のAしざわさんのような、週刊誌を愛好する人種にとっては退屈な展示でもありました。


日本民藝館のすぐ近所に、日本近代文学館があります。


私とAしざわさんは、日本近代文学館へ足を運びました。

そこでは、ヘラヘラ笑いながら展示を見ては、作家たちのゴシップを言い言いすることができるのですね。

「やっぱりこっちの方がホッとするなー」



喫茶店の店名は「BUNDAN」。


生まれも育ちも高貴でない私は、流離することなどもちろんなく、精神についてはむしろ下賤かもしれない、

そんなことを思った秋日和の一日でした。


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