連休だったので長野県の南部にある飯田市へ行ってきました。
赤門のすぐそばにログハウス風の洒落た家があります。
どなたのお宅だと思いますか?
中に入ります。
そうです。ここは柳田國男大先生の住居兼研究所だった建物です。
もともと東京の成城にあった柳田國男の住居を30年近く前に飯田へ移築したものだそうです。
入館無料の元・柳田國男邸(「柳田國男館」)を見学していると、質素な服装をした痩身で白髪のシニア男性が現れ、ニコリと笑いかけてきました。
ボランティアで「柳田國男館」を管理しているとおぼしき、いかにも郷土史(民俗学)を在野で研究していそうな地味なおじさん。
「柳田國男は洒落た家に住んでいたんですね」と尋ねると、
おじさん「柳田先生は国際連盟の仕事でヨーロッパにおられましたからね、自宅がログハウス風なのはそのことと関係があるかもしれません」
なるほど、
柳田國男は民俗学者(文学者)のイメージが強いのですが、官僚や新聞記者、国際連盟の職員としても活躍していたんですね。
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5月の連休のまっただ中であるにもかかわらず柳田國男館の入館者は、私たち家族を含めても、片手で数えられるほどでした。
おじさんに案内されて、広い書斎へ入ります。
360度、民俗学関連の本がズラリ。
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柳田國男はこの書斎で蔵書に囲まれ、研究や執筆をしていたのだろうか。
柳田國男が座っていたであろう椅子を眺めながら、「水木しげるの遠野物語」という本のことを思い出していた私。
この本のラスト。
水木しげるが夢の中で、書斎にいる柳田國男と会話をしています。
私は、水木しげると私自身を重ねて、幻の柳田國男と相対したような気分になっていたのです。
ま、たしかに妖怪は民俗学の一分野ですよね。
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今回、私のわがままで柳田國男邸に訪れたわけですが、子ども(2才)は広い書斎を駆け回り、妻君も「私こういう本、好きだよ」と満足している様子。
ほっとする私。
妻君は、蔵書の中から興味のある本を見つけては「いつか読もうと思って」と本の表紙をスマホで撮影しています。
どんな本を選んで撮影したのだろうか、写真を見せてもらうと・・・、
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柳田國男館へ来る前に、長野県南部の秘境「遠山郷」と呼ばれる地域を巡ってきました。
ほとんど人のいない山道をドライブしていると、突如「まつり伝承館」なる建物に出くわしました。
「まつり伝承館」の展示物をまじまじと眺めていると、親切な係員の女性が「こんにちは」と話しかけてきてくれました。
その係員とおぼしき女性に聞いた話でうろ覚えなのですが、
いわく、「遠山郷」と呼ばれる地域は材木の大生産地だったため、鎌倉時代から幕府の直轄地として栄えたそうです。
そんなわけで、「霜月祭り」は中央の文化と土着の文化が混じり合った独特なものに発展した祭事なのだとか。
(そうそう、この直轄地を長らく支配していたのが遠山氏だったため「遠山郷」と呼ばれるようになったとのことです)
言い伝えのため真偽は不明なのですが、
その遠山氏は暴政を振るい続けたため、住民たちの怒りは爆発。
一揆を起こし、遠山氏を滅亡させてしまいました。
その後、「遠山郷」は飢饉に見舞われます。
民衆は遠山氏の怨霊が飢饉の原因であると考え、鎮魂のために、御霊信仰として「祭り」は継承されていったのだそうです。
「まつり伝承館」の隣は、神社になっています。
係員とおぼしき女性いわく「私はここの神主なんですよ。地域に人がいなくなっちゃってねぇ。祭りも継承できなくなりそうでねぇ。興味があれば参加者を募集してますからね」
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柳田國男の出身地は兵庫県。また、代表的な著作である「遠野物語」の舞台は岩手県の遠野市。
なぜ飯田市に柳田國男の住居を移築したのだろうか。
痩身で白髪の学芸員とおぼしきシニア男性によると、「柳田先生は、飯田藩の藩士の柳田家の養子になったのが縁で、お墓も飯田にあるんですよ」。
そんなわけで、親族の方が、飯田市への移築を勧めたのだそうです。
私はてっきり、南信州には独特な民俗が残っており、また、民俗学(郷土史)を学ぶ有志が大勢いるからなのだろうと勝手に思っていたので意外でした。
無人の「柳田國男館」の事務所の窓を覗くと、
机の上には、学芸員らしきシニア男性の読みかけの本が一冊。
きっと民俗学関連の本に違いないと思い、目をこらしてまじまじと見ると、
「高齢ドライバーのための脳トレパズル」という本でした。
うーむ・・・。
「脳トレパズル」のような本にこそ民衆の暮らしが現れ出ているとお考えなのだろうか・・・、
それとも、単純に安全運転のために「脳トレパズル」に励んでいただけなのだろうか・・・。
「脳トレパズル」の怪について深く追求することなく、私は「柳田國男館」をあとにしたのでした。
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