これから書くのは、軽井沢吟行の翌日の話です。
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吟行は台風のなか決行したのですが、翌朝は一転、秋らしい爽やかな木漏れ日で目が覚めました。
ただ、宴会(句会)のときの飲酒の影響で、私にはぼんやりとした朝でした。
Yまもとさんは前夜に帰宅したため、残りの5人は、「軽井沢文庫」と呼ばれる軽井沢にゆかりのある文学者たちの記念館へ向かいました。
Aしざわさんは、作家のゴシップばかりをよく知っています。
「軽井沢文庫」に井上靖(軽井沢に別荘を所有)と瀬戸内寂聴の本が並んで置いてあるのを見て、
「寂聴のエッセイに、井上靖はまじめでつまらない人だって書いてあるんだよ。井上靖を囲んで宴会になったとき、あまりのつまらなさに『参加者は三々五々散っていった』って書いてあったのが忘れられないよ」とのこと。
いい話ですね。
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「軽井沢文庫」の館長は加賀乙彦とのこと。
ちなみに、
前館長は中村真一郎だったそうです。
中村真一郎って名前だけは知られているけど一冊も読まれない代表的な作家だなあなどと思っていると、
Aしざわさんもやはり読んだことがない、とのこと。
さらに、「中村真一郎ってロボトミー手術をしたって噂があるんだよ」という真偽不明の衝撃的なゴシップ。
ちなみに「ロボトミー」をウィキペディアで調べたところ、
《1935年、ジョン・フルトンとカーライル・ヤコブセンがチンパンジーにおいて前頭葉切断を行ったところ性格が穏やかになったと報告したのを受け、同年ポルトガルの神経科医エガス・モニス(1874年 - 1955年)が、リスボン大学で外科医のアルメイダ・リマと組んで、初めてヒトにおいて前頭葉切裁術(前頭葉を脳のその他の部分から切り離す手術)を行った。その後、1936年9月14日ワシントンDCのジェームズ・ワシントン大学でもウォルター・フリーマン博士の手によって米国ではじめてロボトミー手術が激越性うつ病にかかっていた63歳の婦人におこなわれた。 世界各地で追試された。そのうちには成 功例も含まれたが、特にうつ病の患者の6%は手術から生還することはなく、生還したとしても、しばしばてんかん発作、人格変化、無気力、抑制の欠如、衝動性などの重大かつ不可逆的な副作用が起こった。》
で、中村真一郎については、
《過去の版に作家、中村真一郎が、ロボトミーの手術を受けたとの記載があったが、真偽の程は不明。》
とありました。
グレーゾーンの話は味わい深いですね。
中村真一郎の文学碑が中庭に展示されているのですが、それを見ながら、
Aしざわ「中村真一郎についてはロボトミー手術の人って印象しかないんだよ」
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私も軽井沢ゆかりの文学者のゴシップを披露したいところ。
軽井沢文庫には、室生犀星(軽井沢に別荘を所有)の本も並んでいました。
室生犀星の代表的な詩、
《ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの。》
というのがあります。
「トラック野郎 度胸一番星」(東映)という菅原文太が主演の映画があり、その中で、
デコトラのドライバーに扮する菅原文太が、《ふるさとは遠きにありて思ふもの》という詩に対し、「いい歌謡曲ですね。都はるみでしょう!!」と言ってみたり、
神妙な面持ちで文太は「《ふるさとは遠きにありて思うもの》か・・・。じゃあ俺も『ふるさと』にでも行くか・・・」と呟いたかと思うと、どういうわけかトルコ風呂へ行っちゃうとか最高なんですよ。
文太「《ふるさとは遠きにありて思うもの》か・・・」
あまりにもくだらなく、ゴシップとも呼べないような話なので、口には出しませんでしたが。
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軽井沢文庫近辺には、移築され見学できる作家の別荘がいくつかあります。
野上弥生子と、堀辰雄、有島武郎(改装されて喫茶店にもなっています)の別荘が開放されています。
堀辰雄の別荘
で、
少し離れたところにはフランス文学者の朝吹登水子の別荘も見学できるようになっていました。
鳩睡荘
朝吹家の別荘は、他の文学者の質素な別荘とまるで違う豪華で贅沢なものでした。
(内装)
朝吹家は、とてつもない名門で、展示されていた家系図を見ると全員が全員、華麗に大成しているという有様なのです。
父方は三井系の大実業家、母方は政治家の名門。兄弟もそれぞれ芸術家、文学者、実業家。子や孫も翻訳家や大学教授になっています。
ちなみに、最近芥川賞を受賞した朝吹真理子も朝吹一族です。
完璧で非の打ちどころがなく、ぐうの音も出ないとはこういうことを言うのだろうと思いました。
そんなわけで私は、朝吹家の完璧な家系図を眺めながら、
サヤにしまっていた「俳句」という刀を再び抜くことにしました。
家系図に向かって袈裟斬り一閃!
「えいやー!」
で、できた俳句は・・・、
《家系図にコソ泥見つけ秋うらら 軽囃子》
失礼な妄想でしかありませんね。
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話は前後します。
句会の夜、どういうわけか藤沢周平の話題になって、
誰かが「藤沢作品は派手じゃないんだけど丁寧で、料理でいうとダシが効いていますね」と言うと、
別の誰かが「Kばやしさんはダシよりも、トッピングばかり重視しますよね」と、私を揶揄する発言をしたのです。
まあ、でも、この指摘はごもっとも。確かに私は、
ヤクザ、マフィア、悪徳刑事などが悪事に悪事を重ねるような小説、例えば馳星周のトッピング盛り盛り小説を愛読しているのです。
言ってみれば、私は、ダシなど眼中になくラーメン屋へ行ってもトッピングだけを注文してビールと一緒につまんで帰っちゃうタイプかもしれません。
で、
この馳星周の風貌。
まさにトッピング。
ちなみに、
こちらは藤沢周平の風貌。
まさにダシ。
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「軽井沢文庫」を去るときに、
いまの館長は加賀乙彦であることを考えると、あと数年で世代交代をしなければならないということを考えました。
次期館長は誰がなるべきか。
軽井沢にゆかりのある現役の作家・・・。
いた!軽井沢在住のベストセラー作家が!
そうです。
馳星周です。
あの風貌で軽井沢在住。
馳星周が館長になったあかつきには、「軽井沢文庫」周辺は歌舞伎町のようになるに違いありません。
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(おまけ)
井上靖を「つまらない人」と書いた瀬戸内寂聴先生と俳句についての後日談がああります。
吟行に同行したKぼさんから、黒田杏子先生のエッセイの切り抜きをいただきました。
(日本経済新聞)
その記事によると黒田杏子は瀬戸内寂聴の句会の指導をしていたそうです。
その寂聴は95才にして句集を出すとのこと。
例えば、寂聴先生のこんな句が紹介されていました。
《子を捨てしわれに母の日喪のごとく》
《御山のひとりに深き花の闇》
人生を投影させる俳句の迫力に、私などはおそれいるしかありません。
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