(4)湯殿山 仙人沢の宿坊

神主さんが管理をされていて、広い座敷には、写真も展示されていました。



こんなところで千日修行(即身仏になるための修行)をされていたのですね。

冬はさぞかし寒いでしょう。


宿坊の神主さんにご祈祷をしてもらい、次の目的地へ出立したのです。


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(5)湯殿山 大日坊

湯殿山の近くに大日坊という真言宗の寺院があり、立ち寄りました。


湯殿山の総本寺です。

明治以前は、湯殿山の管理をしていたという由緒のあるお寺です。

当時、巨大な寺院だったそうですが、廃仏毀釈の波に思いきり飲まれてしまい、今はこじんまりとしたお寺です。



山門をくぐると両脇に田畑。肥の臭いがプーンとしました。


お寺に入ると、早速、即身仏(真如海上人)の前に通されました。



即身仏の目の前で、老僧のお話をお聞きすることに。

「長野から来られたんですか。これからお話しすることをよーく聞いて帰って下さいよ」 


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・廃仏毀釈への恨み辛みについて


老僧いわく「廃仏毀釈で、当時の住職は神道を受け入れなかったんですね。それで殺されてしまったんですよ。広かったお寺もほとんど焼かれて今の場所に追いやられてしまったんだよ」

いやはや過激なことをしたものです。


神道を拒絶して破壊された湯殿山(真言宗)に対して、羽黒山(修験道)は受け入れたのだとか。

もともと湯殿山を管理していたのは、この大日坊だったそうですが、廃仏毀釈のあと湯殿山は羽黒山の管理に変わってしまったのだとか。


湯殿山のご神体はお湯の湧き出る岩です。

「湯殿山は女性のお山なんですよ。ご神体には赤ちゃんの出てくる穴もあるんだよ。よーくお参りしてきて下さいね」

湯殿山は、羽黒山の神主の管理に変わって以来、鏡が設置されるようになったのですが、いわく「鏡よりも、お岩をお参りして下さいよ」とのこと。

湯殿山は女性のお山であるため、女人禁制だったそうです。

そんなわけで女性が参拝できるのは大日坊までだったのだとか。


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・かつての繁栄について

老僧が言うには、空海が唐から帰国して初めて開かれた山が湯殿山で、最後に開かれた山が高野山なのだそうです。

江戸時代には、かなりの信仰を集めました。

(1年のうち山開きをしている100日間だけで15万人修行に来たという記録が残っているようです)


春日局は、竹千代(のちの家光)が世継ぎになるよう、祈願をするために、湯殿山まで来たのだとか。

その後、家光が大病したときには旗本が参拝に来たそうです。

で、

湯殿山へ家光の病気平癒の祈念に来た旗本が、湯殿山に集まる行者たちの賑わいを見て、 

江戸に戻ったときに目黒に雅叙園を作り、その前の坂を「行人坂」と名付けたそうです。 


行人坂の「行人」は湯殿山の行人のことだったんですね。


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・即身仏について

「本当の即身仏は、大日坊の真如海上人だけなんですよ。大日坊のほかにも即身仏があると言っていますが、あれはみんなミイラだよ」

即身仏になるには、難行苦行に耐えて、木食をし、うるしを飲んで、土中入定する必要があるのですが、

大日坊以外の湯殿山にある即身仏は、その条件をクリアしていない、いわば単なる「ミイラ」と言うのです。

なんと、

始めは神道(廃仏毀釈)や羽黒山に対して舌鋒鋭く責め立てていたはずの老僧が、いまや、身内と思っていた仏教寺院に向けても攻撃を始めたのです。


大日坊のすぐそばにある注連寺にも即身仏は安置されています。

その注連寺に居候していた放浪の作家・森敦は、「月山」という小説に、興味深いことを書いています。


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「月山」(森敦)について


寺のじさま(爺さま)の世話になりながら、湯殿山で冬を越す森敦。

その寺にある即身仏について、じさまは語ります。

《じさまは、「作ってできるもんではねえて。即身成仏いうてのう。木食(もくじき)で難行苦行した行者が、思いかなって穴さへえり、鉦を叩き叩き、生きながら仏になったもんだ」》。


その昔、お山(寺)はアジールでした。

社会のルールが適用されない治外法権のようなものでしょうか。

なので、博打もされていましたし、酒の密造もしていたのだとか。

(博打の世界では「カネ」のことをいまでも「寺銭」と呼びますね)


山の人々は、「博打」や「酒の密造」をしていたせいもあり、里の人を警戒していました。

しかし、里の人ではなく《「この世ならぬもの」(※芸人や旅商人や乞食など)とわかれば、決して悪くはしな》かったそうです。


吹雪の夜のこと。

旅の「薬売り」が、森敦が逗留している湯殿山に雪を凌ぐために転がり込みます。

薬売りいわく「よくミイラにされなかったな」。

これは湯殿山ジョークなのでしょうか。


「月山」よると、

その寺にある本当の即身仏は火事で消失していたとのこと。

現存の「即身仏」とされるものは、行き倒れのやっこ(乞食)で作ったミイラだというのです(※フィクション?)。

旅の商人がいうには、《吹き(吹雪)の中の行き倒れだば、ツボケの大根みてえに生でいるもんさけの。肛門から前のものさかけて、グイと刃物でえぐって、こげだ鉄鉤を突っ込んでのう。中のわた(腸)抜いて、燻すというもんだけ》。


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「天沼」(森敦)について

「月山」に連なる作品です。


「天沼」の冒頭より。

《湯殿は死者が行くとされる月山の秘奥の地とされているところです。客はみな潔斎して白衣で夜発ち朝発つをするものの、戻れば精進落ちの無礼講で警察もうかつに手を出さぬ霊場の寺とされていたから、バクチの開帳されていたことは、誰に聞かされずにも想像できぬことではありませんでした。》


治外法権のような場所だったので、バクチが行われ、酒も密造されていました。

湯殿参りの客をもてなすために密造していた酒ですが、いつの間にか闇屋に売るために密造されるようになったのだとか。


じさまは、お山で自殺者が多い理由を語ります。

《バクチだて。湯殿詣りの客はみな帰りは寺さ泊まって、酒だ、バクチだなんでろ。ミイラ取りがミイラになるてあんばいで、おらたちも手を出しての。肥るのは寺ばかしで、みな山も、林も、田も、畠もとられてしもうたもんだ。》


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大日坊の老僧がいうには、

即身仏が安置されているのは「大日坊」だけでありそれ以外はミイラであるとのこと。 


その根拠として、森敦の「月山」の《行き倒れを即身仏にしたという話》を踏まえているのだろうかとも思いました。

と同時に、

老僧がわざわざ罵るあたりに、権威を持った者のダークな部分(バクチによる荒稼ぎや酒の密造など)を感じざるを得なかったのですが・・・。


つまり、湯殿山には、

廃仏毀釈の被害者としての一面、

また、かつては権威ある寺院だったという一面、

さらに、私は「月山」を読み、

その繁栄の裏側にダークな一面があったということを知りました。


重層的で面白いところですね。

(とはいえ、「月山」はフィクションでしょう、きっと!)


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森敦が居候していた湯殿山の注連寺には、「森敦文庫」があるのですが、

湯殿山にとって危険文書(?)を書いた人物の蔵書を展示しているなんて、懐の深さを感じますね。


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実は、真言宗の開祖である空海も高野山で即身仏になっているそうなのです。

空海が即身仏になっているというのは有名な話なんだそうですね。


湯殿山の老僧いわく

「空海さんは高野山で生きているんだよ。空海さんは亡くなっていませんよ。それが証拠に、高野山のお坊さんに訊いてごらんなさい。毎日、食事をお出ししているから」

大日坊の真如海上人は、空海と同じ姿で即身仏になっているそうです。


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・ご祈祷

帰りにお坊さんのお経を聞いて、巨大な梵天で頭上をお祓いしてもらいました。

神社だと紙でできたバサバサしたハタキ状の道具でお祓いしてくれますが、大日坊では巨大な梵天で行われます。


いわく「大日坊の信仰から、伊達政宗の幼名は『梵天丸』だった」そうです。


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・大杉

お寺を出て少し歩くと、かつて焼かれる前にお寺のあった場所に、大きな杉が残っているとのことなので見ていきました。


空海が湯殿山にやってくるころにはあったという杉。


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・おまけ(「キャラ立ち民俗学」より)

「月山」には、大日坊の老僧の語っていなかった湯殿山の姿が書かれていましたが、

みうらじゅんの「キャラ立ち民俗学」という本にも、湯殿山のサイドストーリーが書かれており、「月山」同様、危険文書になりうると感じました。

サブカル視線で、湯殿参拝した話です。




大日坊の真如海上人について。

《二十歳から終身木食を常とし、湯殿山の霊場を参廻、仙人沢で三千日の苦行をし、九十六歳で入定した真如海上人。入定の際、生きながらに穴の穴に入り、竹で空気穴をつくり、中で鐘を叩き続け鐘の音がやんだら死んだものと思って掘り返してほしいと遺言されたそうだが、近所の老婆が、おなかがすいていることだろうと思いマンジュウを竹の穴へ落としたところ、竹の節にマンジュウがつかえて窒息死したと伝えられる。》


注連寺の鉄門海上人について。

鉄門海上人は、当時、蔓延していた眼病を治すために修行中に片目をくり抜いています。 


その上、睾丸ももぎ取ったそうです。ほとんど知られていない睾丸エピソードについてこのように書かれていました。

《睾丸まで引きちぎったというではないかっ。「あり得ないでしょ?」と聞くと、その睾丸はミイラ化し今も鶴岡市内の南岳寺に残されているという。「何故、そこまでされたんですか?」と思わず聞くと、かつて江戸で遊女を取り合って侍を殺してしまったという。駆け込み寺的に身を隠し、行人として修行を積んでおられたが、尋ねてきた遊女との縁を絶つために自ら睾丸を・・・・・・。オレは長い間、鉄門海上人の前に座って、あなたはやっぱり仏になられたのですねと話しかけた。》

この睾丸エピソードは、山のアジールとしての機能へも言及しているのでした。


「即身仏(ミイラ)の殺人」(高橋克彦)にも、

《(普通の農民が)人を殺したために大日坊に逃げ込んだんだ。即身仏を志願すりゃ、一切の罪が免除されたらしい》なんてことが書かれていました。



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(6)山寺

山形駅から車で30分ほど行くと、1000年以上前に、円仁が建てたという立石寺があります。

《しずかさや岩にしみいる蝉の声(芭蕉)》で知られる山寺です。




1時間もあれば山寺のふもとの立石寺から奥の院まで登頂できます。

奥の院まで上がれば、広がる盆地が一望できます。


奥の院には、ふたつのお堂があります。

片方には、鏡。もう片方には、大仏。

ここでも神仏が一緒になっていましたよ。


湯殿山は、女性を象徴する山でした。

山は、自然の恵みを産み落とす場所であること、さらに、修行を経て「新しい自分」を産み落としてくれる場所だったということ、

また、下界でなんらかのトラブルを抱えた人にとっては、町や村との縁を切り、新たな人生を送る場所だったから。


山寺に来て、ここでも山は女性を象徴していると気付いたのです。

山寺の上り口に「脱衣婆」の像。

脱衣婆は、この世とあの世の境界にいますが、一度死に、あの世(極楽や地獄)であらためて生き直す際の、「産婆」なのだろうと思いました。

さらに、

「胎内くぐり」、「胎内堂」、「地獄谷(行者戻)」と呼ばれる場所があり、まさに、生まれ直すための山だったんだなあと感じました。



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私の希望した山形旅行でしたが、妻も一歳の息子も満足した様子でした。ということにしておきましょう。