ある雑誌の記事によると、
《正月は歳神様(としがみさま)を迎えるための行事》なんだそうですね。
その《歳神様の宿るところが鏡餅》なのだそうです。

松の内が明けて、歳神様をお迎えした鏡餅を食べる日が、鏡開き。
そして、正月の松飾りや去年のだるまを焼くのが、どんど焼。

鏡開きとどんど焼きが終わると、正月が終わりという感じがしますね。

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去年のだるまに目を入れて、新しいだるまを買ってきました。
長野市の南部では、「おたや祭」でだるまを買う人が多いと思います。

長野市民新聞によると、
《おたや祭は、伊勢からお札を配るために訪れる神官が宿泊する「御旅館(おたや)」があったことにちなみ行われる》そうです。
(加賀藩の参勤交代で使った旅籠も「おたや」というらしいですね)

子供と戯れるだるま。(※半年前)

真っ赤なだるまを見ると・・・、

血みどろのアブドーラ・ザ・ブッチャー(悪役プロレスラー)を思い出します。

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だるまで思い出すのが、雪舟の描いた絵(「慧可断臂図(えかだんぴず)」と呼ばれている国宝)。
(「ヘンな日本美術史 山口晃」より)
雪舟のだるまと、真っ赤なだるまはだいぶ趣が違いますね。

雪舟のだるまを見ると・・・、
ターバンを巻いたザ・シーク(悪役プロレスラー)を思い出します。

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だるまに、家族で目入れをしました。
息子(1才)にもマジックを持たせて、だるまの目入れをさせました。
このほほえましい光景を見て・・・、


ザ・シークがアブドーラ・ザ・ブッチャーと仲間割れをし、凶器で目潰しをしている光景を思い出します。
だるま対だるまの構図。

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そうそう、雪舟のだるまの絵は、こんな由縁があるそうです。
所蔵されている京都の博物館によると、
《禅宗の初祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な禅機の一場面である。》
つまり、禅の真理に近づくために慧可は達磨に片腕を差し出すのです。

この「慧可断臂図(えかだんぴず)」をプロレス的に解釈すると、
テリー・ファンク(善玉プロレスラー)の腕を、ブッチャーが凶器のフォークでめった刺しするという有名なシーンと重なります。
 
つまり、禅の真理に近づくために(ファンの熱狂のために)、テリー・ファンク(慧可)がブッチャー(達磨)に腕を捧げているんですね。

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こんなことしか考えられない私のもとに、歳神様はやってきたのだろうか。

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(おまけ)
《歳神様は、地方によってはお歳徳(とんど)さん、恵方神、大年神、年殿、トシドン、年爺さんとも呼ばれている》
という記事を読んで、「どんど焼」という不思議な名前は、「お歳徳(おとんど)さん」を「焼く」というところから「とんど焼」→「どんど焼」のように名付けられたのかな、なんて推測してみました。