床屋で髪を切り、パーマをかけました。

天龍源一郎さん風にバッチリ!
(左:天龍源一郎・右:阿修羅原)

そういえば、少し前に阿修羅原さんが亡くなりましたね。
(毎日新聞)

むかーし、阿修羅原の引退試合を見て、涙を流したことを思い出しました。
(天龍源一郎とのシングルマッチでしたよ)

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ラグビーで世界選抜選手だった阿修羅原は、プロレスラーになり、天龍源一郎とタッグを組んで活躍します。
しかし、気前の良さのために借金を重ねて、引退。
(酒場で大盤振る舞いしたのが借金の原因で、プロレス記者いわく「決してギャンブルや女性問題ではない」というのがスゴい)

そして、
阿修羅が引退してからのこと。

天龍は、全日本プロレスから新興団体であるSWSへ移籍したため激しいバッシング受けます。
そんなときに、路頭に迷っていた阿修羅原は復帰を決意し、天龍と再びタッグを組むことになります。
で、
天龍を救い、阿修羅は、再び引退。

(以上が、知られている阿修羅原の経歴です)

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天龍と阿修羅原の関係を、高倉健と池部良と称した記者もいました。
(「天龍源一郎 酒羅のごとく」より)

《天龍「俺と阿修羅だからできたと思うんですよね。コノヤローと思いながら常にやってきましたよ」》
(スポーツアルバム 天龍源一郎引退記念号より)

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引退後の阿修羅原について・・・、
地元、長崎で中学生らにラグビーを教えるコーチとして暮らしていました。
(ここからは、「吉田豪のセメント!!スーパースター列伝」を参照)

阿修羅原というリングネームは、ラグビーのファンだった野坂昭如が付けたものです。
(ラジオで永(六輔)さんが「昔、野坂さんと一緒にラグビーで走りました」と言っていました)

しかし、
阿修羅原いわく「波瀾万丈だったねぇ(笑)。いま思えば阿修羅原っていうリングネームはよく付けたと思うけど、そのレスラーになる前から俺の人生っちゅうのは結局、修羅だったと思うよ」
野坂が付けたリングネームが、名は体を表す、ということを証明した格好になったのでした。

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スポーツ万能だった阿修羅原は、6校の大学から推薦の声がかかりました。
そして、東洋大(ラグビー部)へ進学。
その後、近鉄に入社しラグビーを続けていたのだとか。
《阿修羅原「(近鉄の)先輩の人で、酔っ払って『電車にスクラム組んでやる!』って言って、自分とこの電車に突っ込んで死んじゃった人がいるらしいんだよ」》
ええ!!

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阿修羅原は、借金で一回目の引退をします。
《若手に/なけなしのお金でおごり、自分自身は/我慢するような人だった。とにかく気前がいいのだ》
やがて借金取りに追われるようになります。
ジャイアント馬場が700万(当時)を代わりに払うのですが、阿修羅原は引退することになるんですねー。

《原「やさしいオカマがいてね」》
と、オカマの家へ居候することに・・・。スゴイ話。

その後は、札幌の寿司屋に居候。
コンビニへ行ったところ、プロレス記者に捕まり天龍の知るところとなり、現役復帰したそうです。
で、
涙の引退試合があり、その後は・・・
《阿修羅原「いま俺は年金暮らしで、経済的には親から面倒見てもらっているんだけど」》
と、家事とラグビーのコーチをボランティアですることになるのです。

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(実録の東映映画みたいだった頃のプロレス)

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あのー、私、髪型が天龍さんに近づいただなんて書きましたが、おこがましく、体格(体重)は半分以下ですし、髪型もどちらかというと野口英世寄りなんですよ。

精進します!