「私、実は萬屋錦之介(中村錦之助)のファンなんですよ」
と、ある日、古書店で言いました。
すると、
古書店のダンナいわく「えっ? 錦之助のどこがいいの? 高倉健と比べたらずーっと落ちるのに」
むむう。
ダンナが続けて言うには「『宮本武蔵』(※東映)見た? 錦之助の武蔵より高倉健の小次郎の方が、ずーっといいから」
むむう。
言ってくれるじゃないの。「宮本武蔵」見てやろうじゃないの。
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「宮本武蔵」(東映・監督 内田吐夢)を見ました。
とどーん!錦ちゃん。
観客に対して、わしの演技でも食らえ!という目。(主観)
大時代的でスケールが大きくて、場違いなくらいな演技(怪演)が堪りません。
一方、健さん。
若手の頃から、あのしゃがれ声。
健さんは、佐々木小次郎なのに、
なんか、耐え忍んじゃっているんだよなー。
なんか、前科がありそうなんだよなー。
錦ちゃんと健さんの演技の差!
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心の中で、私は古書店のダンナに向かってこう言い放ったのです。
「小次郎(ダンナ)、敗れたりぃ!汝の負けと見えたぞ!」
錦ちゃんの一太刀! いや、私の一太刀!
前のめりに倒れる小次郎(ダンナ)。
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小次郎に勝利したものの、心の晴れない武蔵。
「この空虚!しょせん剣は武器か・・・」
《終》
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気分の晴れないまま鬱々と映画は終わります。
というのも、
映画の中で、若いころ宮本武蔵は、罪のない子供とお爺さんを剣で串刺しにして殺しているから。
(あくまで内田吐夢版)
そのことを武蔵は「私の手は血で汚れている」と終始悔いていて、
一度は剣は「生きる道」である、と思い込むんですが、小次郎を倒すと、
武蔵はやはり剣は「ただの武器」でしかなかったと言うんですよ。
なんで監督の内田吐夢はこういう設定にしたのか。私なり推理しました。
けれど、これについてはまた後日。
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このころの東映は、市川右太衛門と片岡千恵蔵の両御大の時代が終わり、錦之助の時代が始まるころでした。
(脇役でも、御大の貫禄!)