厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

長野市在住

祖母がひとりで暮らしていた山の家が、祖母が亡くなり、空き家になりました。
子どものころ(小学生のころ)から私は、この山の家が好きで、いつか隠居して仙人のように暮らしたいと思っていました。
しかし隠居志願者だった私にも分別ができ、また、しがらみもでき、いきなり仙人になるわけにはいかなくなりました。

空き家は売りに出すことになりました。
すると、あっという間に売れました。
「こんな、山の中にある古くて広い家、よく売れたものだなあ」と伯父。
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2階からの景色

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ところで、妻君はこのごろ民芸に傾倒しています。
先日も妻君のリクエストで日本民藝館へ同行しました。
また、近所の古道具屋にも通っているようです。
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日本民藝館の入口
妻君「この空間にいるとやすらぐわー」

話を戻します。空き家が売れた話です。
新しいオーナーに空き家を引き渡す前に「欲しいものがあれば持っていっていいぞ」
と伯父に言われ、祖母の遺品を貰いにいきました。
民芸ファンの妻君は、ガタガタの棚や机、ズタズタの収納、ギシギシする道具類、ボロボロの小物を喜々として引き取るというのです。
「こんな粗大ゴミもらってどうするの・・・」と絶句して頭を抱える私。
大きなしゃもじ(櫂?)も「これ欲しい!」
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私「これ、萬屋錦之介の武器だぜ・・・」
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(「宮本武蔵」より)

一方、私も遺品をもらうことにしました。
黒猫の置物、福助、大きめの赤べこ、1畳ほどある古い地図(数枚!)、謎の幟など。
遺品を車に詰め込みます。
すると、「ヘンな小物ばっかりもらって・・・、インテリアの調和が崩れるよ・・・」と妻君。
お互い様ですよ。

後日、妻君がズタズタの遺品を洗って磨いて、部屋に入れました。
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「様になるじゃないか!」

私の選んだ小物群もわが家でいきいきしています。
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Kばやし再生工場です。

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私の引き取った遺品の中には、
明治大正時代の学校の卒業証書や、戦争中の砂糖の配給券、まったく読めない江戸時代の手紙も何枚もありました。
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それと、祖母の日記帳を手に入れました。
戦前(祖母が結婚する前)から亡くなるまで毎日つけていた日記で、淡々とできごとだけを綴っています。
そのうちゆっくり祖母の日記を読み解こうと思います。
私にとってはこれが最大の収穫かな。


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(青森出張の続き)

仕事で五所川原までやってきました。
時間ができたので「立佞武多の館(たちねぷたのやかた)」を見学しました。

「ねぶた祭」と一括りで言われますが、「青森ねぶた」、「弘前ねぷた」など、地域によって違う形状の山車が出ます。
五所川原では、「たちねぷた」という巨大な山車が市街地を練り歩くことで知られています。
1800年過ぎには、ねぶたは巨大化が始まったそうです。
その後、大正時代になると町に電線が巡らされるようになり、再び小型化。
1990年代に「たちねぷた」は復活をします。

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「立佞武多の館」では、「たちねぷた」が展示されています。
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大迫力!
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覆い被さるような大きさの立ちねぷた!
エレベーターで4階に登ります。
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それでもまだ大きい!

見応えのある展示でした。

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ただ、私の写真では圧倒するような巨大さが伝わらないのが悔しい。
大きなキバをむき出しにする恐竜、長いしっぽを振り回す恐竜のような迫力だったのです。

ちなみに、恐竜と人間の大きさの差は・・・、
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「ドラえもん のび太と恐竜」より、首長竜とたわむれるのび太たち。

「恐竜図鑑」の恐竜と人間の大きさを比較するページを開いてみました。
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あらためて恐竜って大きいですね。

「たちねぷた」は全長22メートルといいます。
そこで、この図鑑に手書きの「たちねぷた」を並べてみました。
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「ほう!」
こんな巨大な「ねぷた」が練り歩く「立佞武多祭(たちねぷたまつり)」の日の五所川原の町は、リアル・ウルトラマンの世界です。

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「ドラえもん のび太と恐竜」の中に、恐竜ハンターという悪役が現れます。
タイムマシンで恐竜を捕獲し、金持ちに売り渡すという、恐竜を金儲けの道具にする輩です。
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恐竜ハンター
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恐竜ハンターの黒幕

立佞武多館にも「たちねぷた」を金儲けの道具にする輩を発見!
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たちねぷた祭の黒幕(パネル)

吉幾三氏には「立佞武多」という曲があり、祭りのテーマ曲になっているそうです。
青森の取引先とスナックへ行くと、必ず最後は『立佞武多』の大合唱になるのです。
ウィキペディアによると《毎年、祭りのスタート時には吉の乗った移動ステージ車が各山車を先導し、生の歌声を聞かせてくれるのが恒例となっている》。
吉幾三氏は、恐竜ハンターと違い、社会貢献をしていますね。

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ねぶた祭りは夏祭り。
ハリボテの山車は、巨大な提灯、あるいは、巨大な灯篭のようなものではないでしょうか。
お盆は、死者の魂が、この世に戻ってくる季節。
ねぶた祭りの山車の光は、無数の死者の霊魂の象徴のように感じます。

少し前の話。
恐山にいったときも、売店で吉幾三氏の名前を発見したのです。
恐山には、いたこがおり、亡くなった人と再会できる場所とされています。
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吉幾三氏の曲のカセットテープが販売されており、曲名は「約束   君に会いたくて」。
死者と再会する場所だけにトンチが効いてますね。

吉幾三氏は恐山の黒幕でもありました。

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おまけ1
「立佞武多」の合唱を目の当たりにしたときの話。

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数日間、青森へ出張することになりました。

長距離運転をしなければならないハードな出張です。


出発の前に、景気づけで、DVD「トラック野郎 一番星北へ帰る」を見返しました。

長距離トラックドライバーの菅原文太が主演の、東映のプログラムピクチャー。

恋あり、決闘あり、警察から逃れるためのカーチェイスありというコメディ映画(ロードムービー?)です。


菅原文太のように、青森に向かって激走。

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「行くぞー!」


「トラック野郎 一番星北へ帰る」は、オープニングからして奮っています。

のっけから菅原文太は売春婦(婦警のコスプレ)と「プレイ」を始めます。

文太「おい、女ポリ公!俺のマシンの性能はどうだ!?ズドーン!」

まともな脚本家だったら、こんな最低の名台詞は書けないでしょう。


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「男ひとり旅」
キュルキュルキュル!ブーン!

さて、青森へアクセル全開。FullSizeRender

「うりゃー!」


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「どけどけー!」


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あっという間に下北半島に到着。

たまたま国道沿いに駐車をして休憩をしていると、お墓を発見。

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看板には、「野辺地戦争(戊辰戦争の一端) 戦死者の墓所」。
「ほう」

ちょっと解説。
戊辰戦争は、江戸時代末期に勃発します。

東北地方を巻き込む内戦で、この下北半島にも戦火が広がったのだそうです。

新政府軍(長州、薩摩など)と、幕府軍(奥羽越列藩同盟など)が争った戦争です。

東北地方の各藩の立場は、ほとんど幕府側。

ただ、藩によってバラつきがあったそうです。

例えば、弘前藩は早々に新政府軍に寝返りました。


この墓は、新政府軍に寝返った弘前藩の死者を弔ったもののようです。

(戦争は、勝った方が官軍、負けた方は賊軍になります)


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ところで、

「仁義なき幕末維新 われら賊軍の子孫」(菅原文太・半藤一利)を読みました。

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この本を読むと、意外にも菅原文太は、地方の史跡を巡り郷土史家とも交流しているような歴史マニア。

半藤先生にも私見を述べ、鋭い質問をします。


ちなみに菅原文太は、宮城県(仙台藩)出身。

半藤一利は、新潟県(長岡藩)出身。

ともに、戊辰戦争のとき幕府側の藩でした。


基本的には幕府側の東北地方も、劣勢に追い込まれていくに従い、歯が欠けるように各藩は新政府軍に寝返っていきます。

例えば仙台藩では、侍たちは早々に寝返ったらしいのですが、「からす組」と呼ばれるアウトロー(博徒や百姓など)は、最後まで抵抗したといいます。

明治維新ののち、恭順派は得をし、会津藩のように最後まで新政府軍に抵抗した藩は冷や飯を食わされることになります。

会津藩は朝敵ということになり廃藩に追い込まれ、人々は青森県の下北半島(いまの「むつ市」)に移り住むことになりました。

当時の下北半島は不毛な土地で、移住した人々は苦労をしたそうです。


そんなわけで、仙台藩(恭順派)出身の菅原文太は忸怩たる思いがあるようです。


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ところで、

「トラック野郎シリーズ」の、菅原文太のデコトラには「雪の下北」という文字が入っています。

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「トラック野郎 一番星北へ帰る」の中で、その理由が語られます。

菅原文太と大谷直子(ヒロイン)が、福島のダム湖を眺めながら語らうシーンがあります。

菅原文太「僕はここで生まれたんです。この水の下に、僕のふるさとが沈んでいるんです」

ダム湖の下に沈んだふるさと(福島)をあとにし、「下北半島に流れついた」という菅原文太(一番星)。

下北半島で貧しい生活をして育ったのだとか。


このシーンを見て、私は気付いたのです。

幕府軍だった会津藩の末路と、「トラック野郎」の菅原文太(一番星桃次郎)の経歴が重なっていたのです。

つまり、会津藩が下北半島に流されたように、菅原文太(一番星)も会津の故郷を失い下北半島に流れ着いたのです。

そんなこともあり菅原文太は、仙台藩出身者として、また「トラック野郎」の主演男優として、幕府側に同情していたのかもしれません。


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さらにいえば、

菅原文太は、新政府軍のクーデターの首謀者である岩倉具視のことが嫌いなようです。

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岩倉具視に利用されて殺されたアウトロー(相楽総三)の墓参りをするほど菅原文太は歴史マニアなんですよ。
(墓は下諏訪にあります)

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《絶筆から しのばれる 相楽総三の 無念 菅原文太》


「仁義なき戦い」の山守組長(金子信雄)という姑息な男を嫌悪するように、「俺はこういうタイプのワル(岩倉具視)が一番きらいだね。維新政府の正当性すら疑いたくなる」ですって。


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下北半島の「野辺地戦争 戦死者の墓所」で、あらためて菅原文太の魅力に気がついた私。

大きな声とアクションでエネルギーを爆発させる姿と、筋を曲げない敗者への優しさが、まさにアウトローである菅原文太の魅力ですね。

さらに歴史マニアという「おたく」な一面も、ステキです。


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(おまけ)

長距離運転の疲れをとるため、「不老ふ死温泉」で一休み。

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海の中に、露天風呂があるんですよ。

泉質が素晴らしくエネルギーが満ちあふれます。

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「もうひとっ走りだ!」


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(おまけ2)

「トラック野郎 一番星北へ帰る」のエネルギッシュなアクションシーンを紹介します。

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魚が満載のトラックの上で殴り合う菅原文太と黒沢年雄。

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魚を運ぶクレーンの上でも殴り合いは続きます。


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(おまけ3)

数年前、むつ市に行ったときの記録

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