厄除け日記 (by Kばやし)

厄除けのように、好きなことを集めて書きます。 30代。 俳号は軽囃子(けいばやし)

長野市在住

妻君が小さなクリスマスツリーを飾りました。
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とはいえ、ずっと前から私は、クリスマスというものに対して腑に落ちないでいました。
このごろは、街中のクリスマスイルミネーションや浮かれムードが当たり前になり、自然と受け入れてしまっていました。
しかし、20才前後のころの私は反骨的で、クリスマスの街に出るたび舌打ちをしていたものです。

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話は変わりますが、
文化放送の「伊東四郎・吉田照美 親父パッション」というラジオ番組について書きたいと思います。
「親父パッション」の中に「親父大学」というラジオコントのコーナーがあります。
吉田照美(教授)が伊東四郎(生徒)に講義をするという設定。

年末になると、このコーナーで恒例のやり取りがあります。
ちなみに、去年の放送はこんな感じでした。

伊東四朗「おい教授、12月24日と25日は何の日か知っているか?」
吉田照美「クリスマスイブとクリスマスでしょ」
伊東「バカもん!12月24日は『納めの地蔵』だろうが!そして12月25日は『しまい天神』!」
吉田「『納めの地蔵』?そんなの知りませんよー」
伊東「じゃあ12月19日と21日は何をしてた?」
吉田「そんなの覚えてませんよ」
伊東「なにー!?19日は『納めの観音』、22日は『納めの大師』。教授はどこの観音様と大師様にお参りしたんだ?」
吉田「え!?お参りなんかしてませんよー」
伊東「バカもん!」

(※私の記憶に基づいて書き起こしましたので、微妙に違っていると思いますがお許し下さい)

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私はクリスマスになると、浮かれムードについていけず重い気分になっていました。
伊東四郎による、12月24日は「クリスマスイブ」ではなくあくまで「納めの地蔵」なんだという、世間へ冷や水をぶっかける一言。
いやあ、爽快でした。
クリスマスという「暗黒世界」に、お地蔵様が現れ、後光で世界を照らしてくれたがごとしです。

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先週の日曜日、4才になったばかりの息子と「ゲゲゲの鬼太郎」を見ていました。
来週の予告編を見て、私は仰天しました。

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私は飲んでいたお茶を噴き出しました。
目が点になる息子。

さすが鬼太郎。
ポカンとしている息子には、「悪い子のところへは、妖怪のサンタさんが来るからね」と言いました。

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ある日の信濃毎日新聞。
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CWニコルがサンタの格好をして、福祉をしているという記事。

クリスマスの影で悪さをしている連中は、そのうちCWニコルの餌食になるでしょう。
CWニコルのヒゲと髪が伸びて体に絡みつき、生気を吸い取られ骨と皮だけになってしまうのです。

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伊東四郎(地蔵)とCWニコル(サンタクロース)のお陰で今年も平和にクリスマスを迎えられそうです。
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仕事の取引先でもあり俳句仲間(大先輩)でもあるYまもとさんから内田康夫の小説を2冊いただきました。
先月の木曽での句会のあと、景品としてもらったのです。
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いただいた内田康夫の本は「戸隠伝説殺人事件」と「『信濃の国』殺人事件」。
Yまもとさんいわく「吟行で行った場所が小説の舞台になっているし、しかもこのシリーズ(「信濃のコロンボ」シリーズ)の主人公の竹村警部は俳句を趣味にしているんだ。だから余計に面白く読めると思う」。
へ〜。
2冊とも長野県が舞台の小説なので、たとえ吟行で行かなくとも長野で暮らす私には馴染みの地名がいくつも登場します。
実際の風景を思い浮かべながら小説を楽しむことにしました。

で、
一冊目の「戸隠伝説殺人事件」を読み終えました。
ところが、竹村警部が俳句を趣味にしているというくだりが全くなく・・・、
Yまもとさんにそのことを告げると「あれ?俳句のくだりなかった?・・・じゃあ、もう一冊の方に出てくるはずだから」。
そこで、二冊目の「『信濃の国』殺人事件」を読み終えたのです。
が、やはり竹村警部が俳句を趣味にしているというくだりは発見できず・・・。
再び、そのことをYまもとさんに報告すると、「うーん・・・。別のシリーズだったかもしれない。なにせ内田康夫は多作だから」とのこと。
煙に巻かれました。

それはそうと今回、内田康夫の小説を初めて通読しました。
サスペンスや人間の心理を描いた物語というよりも、小説の舞台になった土地の文化や歴史、風俗が物語を使うことで深く分かりやすく解説されており、地域のガイドとして楽しめる本になっていると気がつきました。
なるほど旅情で人気が出たということか!と煙に巻かれながらも妙に感心したのです。

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ところで、私が購読している毎日新聞の新聞小説には、偶然にも長野が舞台の小説が2作、連載中です。
夕刊の「スミレの香り」(馳星周)と日曜版の「道連れ直輔 居直り道中」(逢坂剛)。
「スミレの香り」は、犬の調教師になった警察OBが、新興宗教の信者が関わっている誘拐事件を追うという話。
舞台は、佐久や浅間山。
著者の馳星周は、内田康夫と同じく軽井沢在住だったはずです。

他方「道連れ直輔 居直り道中」は、剣術の達人である浪人の直輔が、高貴な娘を江戸から長崎へ送り届けるというミッションを負い中山道を旅する歴史小説。
ちょうどいま「道連れ直輔」は、江戸を出て中山道を塩尻まで進み、塩尻から伊那街道を飯田まで来たところ。
小説によると、当時、女性をつれて木曽福島の関所を通過するというのはタイヘンなことだったようで、ワケありの人々は中山道を避け、関所のない伊那街道を旅したのだそうです。

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先月の木曽吟行、句会の翌日のこと。
私たちは、木曽福島の関所跡(関所資料館)を見学してきました。
江戸時代、木曽は「天下の四大関所」のひとつと呼ばれていたような重要な土地だったそうです。

資料館を見学して知ったのですが、「入り鉄砲に出女」という言葉があるそうで、江戸に入ってくる武器と、江戸から出ていく女性(人質として江戸に住んでいる大名の妻)の取り締まりが関所の重要な仕事のひとつだったとか。
なるほど、「道連れ直輔」は女性連れの一行だったため中山道(関所)を避け悪路である伊那街道を進んだのか。

また福島宿は、交通の要所だっただけでなく材木などの集積地であるため、尾張藩の飛び領だったそうです。
山村代官屋敷と呼ばれる尾張藩の代官の屋敷が一部残っており、見学することができました。
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また、福島宿は御嶽山へ参拝する出立のための宿場でもありました。
そういえば以前、飛騨高山へ行ったとき町の中に御嶽教の教会を見つけ、参拝したことがあります。
中には巨大な不動明王の像がありました。
その昔、御嶽信仰は木曽周辺にとどまらず日本全般に広がっていたようですね。
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高山の御嶽教の教会

また、奈良井宿の元・櫛問屋の建物にも御嶽教の祭壇が展示されていました。
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御嶽教の祭壇

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話は戻りますが、内田康夫の「『信濃の国』殺人事件」という本について。
「信濃の国」は長野県の県歌として知られており、1番であれば長野県民は誰しも口ずさむことができます。

ただ、「信濃の国」の4番は、メロディが変則で長野在住の私でも歌えません。
ちなみに歌詞は、以下のとおり。
(4番)
《尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる》

「『信濃の国』殺人事件」という小説では、「信濃の国」の4番で歌われている土地で次々と謎の殺人事件が起こります。
犯人は「信濃の国」という県歌に遺恨のある人物ではないか、と竹村警部は推理し、みごと的中させるのです。
県歌に恨みをもった犯人が連続殺人を犯す、だなんて書くとメチャクチャな気もしますが、それもまたヨシです。

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ちなみに、「信濃の国」の5番の歌詞。
(5番)
《旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず》

5番は長野県出身の有名人を歌っています。
5番冒頭の「旭将軍義仲」というのは、源義仲のことです。
源義仲は、木曽義仲あるいは旭将軍とも呼ばれていますね。

木曽吟行のとき、木曽福島にある興善寺にも寄りました。
というのも、興善寺には源義仲の墓があるから。
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興善寺にはたくさんの調度品や美術品が展示されており、立派な庭も見学することができます。
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庭園を散策していると、種田山頭火が興善寺で詠んだ俳句の句碑を発見。

《たまたま詣でて木曽は花まつり》

私たちはこの俳句を見て、うーむ・・・と、首をかしげ唸ってしまいました。
リアクションに困る俳句です。

源義仲の墓の脇にも、山頭火の句碑がありました。

《さくらちりをへたるところ旭将軍の墓》

なんて言っていいのか・・・。
評論しようのない俳句に、面食らっている私たち。
すると、Yまもとさんが「俺の俳句のほうがウマイんじゃないか?」。
山頭火の俳句に絶句しているところに、Yまもとさんが爆弾投下。
「山頭火より俺の俳句のほうがウマイよ。な?」。
義仲の墓前で、名言が生まれたのです。

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木曽へ吟行(俳句の旅)に行った話は、前回書きました。

その吟行から帰ってきて気がついたことがあったので、今回はそのことについて書こうと思います。


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その前に、私たちの句会のルールについて説明したいと思います。

先日の、木曽路を観光したあと宴会をしながら行った句会です。


まず、参加者が俳句を匿名で提出。

誰の俳句か分からない状況で、各人が互選で、それぞれ「天・地・人」(1位、2位、3位)を選び、寸評します。

ちなみに私たちは、「天」の賞品として、「天」に選んだ俳句を短冊(色紙)に書き、選者から作者へプレゼントすることにしてします。

この短冊、もらえるとなると、これがなかなか嬉しいものなのです。


木曽路の句会では、私の作ったある俳句がYまもとさんとMやさかくんから「天」に選んでもらいました。

かつて櫛(くし)問屋だったという建物で詠んだ一句。

《櫛を買う妾と妻に秋の旅  Kばやし》

江戸時代、漆塗りの櫛は木曽みやげとしてよく売れたのだそうです。


ちなみにYまもとさんとMやさかくんからいただいた寸評は、以下のとおり。

「(歴史資料のように生活感がなく)ツマラナイ奈良井宿の町並みから、強引に色気を詠んだという『荒技』が見事」

「『妾』を『妻』より先に書いたセンスに感心」

有り難いお言葉をいただきました。


それにしても、こんな俳句が「天」で採られるなんて、ふざけた句会です(笑)。


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話は逸れます。

だいぶ前のことですが、JR有楽町駅を歩いていたときのこと。

国際フォーラム口に「相田みつを美術館」がありました。

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立て看板によると、「みつをの文字力」という企画展が催されているとのこと。

イーゼルには、みつをのポエム。

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文字力に満ちているポエムを目で追っていきました。

《つまがいたって いいじゃないか にんげんだもの》

頭の中で、漢字変換する私。

《妻がいたって いいじゃないか 人間だもの》

言葉を噛みしめる私。

「妻がいたっていいじゃないか・・・」。

つぶやく私。

「人間だもの・・・」。

なるほど。

「妻がいたっていいじゃないか」なのです。

「妻がいたって、過ちを犯すぞ」。「妻がいたって、道を踏み外すぞ」。「だってそれが人間だもの!」と、開き直るようなステキな言葉。

火遊びに惹かれる人間の真理をポエムにしたのか、みつをは。

深いなあ、みつをは。

気合が入っているなあ、みつをは。

にんげんだなあ、みつをは。

私はポスターの前で、感服のあまり拍手をしてしまいました。


そして、私は噛みしめるようにもう一度ポエムを読み直しました。

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《つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの》

ん?

目をこする私。

《つまづいたって》?

なんと「つまがいたって」ではなく「つまづいたって」だったのです。

そっか〜「つまずいたって」かあ。

なーんだ・・・。

当たり前じゃん・・・。

普通じゃん・・・。


私は踵を返して、有楽町駅をあとにしました。

(みつを先生、読み間違えてごめんなさい)


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で、私の俳句《櫛を買う妾と妻に秋の旅》の話に戻します。

YまもとさんとMやさかくんが「天」に選んでくれた珍句です。

賞品として、YまもとさんとMやさかくんが短冊に《櫛を買う妾と妻に秋の旅》と書き、私にプレゼントしてくれました。

帰宅し、その短冊を片付けていると、おかしな発見をしました。

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左:Yまもとさんが書いた短冊/右:Mやさかくんが書いた短冊


Yまもとさんの短冊をじっくりと眺めると・・・。

《櫛を買う妾と妾に秋の旅》

そうなんです、「妾と妾に」と書いてあったのです!

相田みつをのときと同じように、見間違えたのかと思い、目をこらしてみたのですが、本当に「妾と妾」でした。

となると、妻には櫛を買っていかないということになります。

しかも、妾を二人抱えているということになります。

へたをしたら、櫛を買ってやった妾が二人なだけで、妾はもっと大勢いるのかもしれないぞ。

これはタイヘンだ。

これはドン・ファンだ。


はたしてYまもとさんは酒を飲みながら短冊を書いたため、書き間違えただけなのだろうか。

それとも《櫛を買う妾と妻に秋の旅》よりも《櫛を買う妾と妾に秋の旅》のほうが優れていると添削してくれたのだろうか。


確かに《櫛を買う妾と妾に秋の旅》のほうが、より際どく、濃い味付けの俳句になります。

つまり、妾二人に櫛を買っちゃうのも「にんげんだもの」ということです。

妻には櫛を買わない、それも「にんげんだもの」なんです。

「にんげん」について考えてしまった秋の夜長です。
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